トップ急行〔佐渡〕上越線をかけぬけた急行列車たち
Exp. "SADO"

上越線を駆けぬけた急行列車たち

 国鉄時代をよく知るオールドファンにとって「上越線を代表する急行は?」と問えば、大方「佐渡」の名が出てくるだろう。確かに、最大8往復を誇り、他の急行を吸収していった〔佐渡〕は代表格に挙げられるだろう。しかし、〔佐渡〕の影に多くの急行が上越線を走っていた。

上越線を駈けぬけた急行列車たちの系譜越路こしじ〕 上野−新潟間


運転開始 1949/09/15
[無名急行]
命名 1952/10/01
運転終了 1965/09/30
→〔佐渡〕に統合

運転開始 1965/10/01
運転終了 1968/09/30
→〔佐渡〕に統合

 戦前の上越線全線開業とともに運転を開始した急行701レ・702レを継承する列車。運転開始以来客車による急行列車だったが、1963年(昭和38年)6月に165系電車により電車化。しかし、1965年(昭和40年)9月30日に、運転本数が増加した急行列車の名称を一本化することから、〔佐渡〕に統合され、〔越路〕は、同じ区間を走る夜行急行に転身を図るものの、1968年(昭和43年)9月30日を以って、上越線から姿を消した。その後、北陸本線の快速列車に〔こしじ〕が命名されたが、上越線にも上越新幹線にも復活することはなかった。

 〔越路〕で忘れられないのは、サンパチ豪雪との闘い。上りの急行〔越路〕は、新潟駅を1963年(昭和38年)1月23日16時5分(定刻)に発って、上野駅にたどり着いたのが28日8時29分。所要時間112時間24分(4日と16時間24分)、遅延106時間31分という雪害遅延記録は、鉄道災害史に刻み込まれることだろう。

弥彦やひこ〕 上野−新潟間

運転開始 1962/06/10
運転終了 1965/09/30
→〔佐渡〕に統合

 〔越路〕〔佐渡〕に次ぐ第三の「上越急行」。運転開始当初はロングシート・吊り革付の80系電車が使用され、同時にデビューした特急〔とき〕との格差があまりにもあり、ファンからは「特急を〔とき〕にするなら、急行は〔さぎ〕ではないのか」との強烈な批判を受けたといわれている。しかし、「史上最低の急行」とのレッテルを貼られた急行〔弥彦〕も、165系電車の登場で、グリーン車・半室ビュッフェ車が連結され、他の急行とも遜色ないほどに整備された。しかし、「幹線急行」としての姿は、わずか2年余りで終了した。

 〔弥彦〕はその後、復活することはなかったでしたが、越後線経由の長野−新潟間の快速〔やひこ〕が活躍した時代もあった。

越後えちご〕 上野−新潟間

運転開始 1948/07/01
[無名準急]
命名 1958/04/29
急行化 1965/09/30
運転終了 1965/09/30
→〔越路〕(2)に統合

 戦前の上越線全線開業とともに運転を開始した夜行準急703レ・704レを継承する列車。運転開始当時は、上野−秋田間の準急列車と併結されていたが、1949年(昭和24年)9月にはそれぞれ単独運転に変更された。1958年(昭和33年)4月に、10年間の無名時代に別れを告げ、〔越後〕と命名された。長く寝台車連結の客車準急だった〔越後〕は、1963年(昭和38年)6月に新型の165系電車の登場とともに、電車化・急行化され、寝台車部分は〔天の川〕として分離。その2年半後には〔越後〕から〔越路〕に改称され、〔越後〕は上越線急行から身を引いた。

 〔越後〕の名は、1968年(昭和43年)10月改正で、大阪−新潟間の急行として再登場し、1978年(昭和53年)10月まで活躍した。

 1996年(平成8年)3月からは、東海道本線の「大垣夜行」が快速化されたのに伴い、快速〔ムーンライト〕が〔ムーンライトえちご〕と改称した。夜行準急・急行だった〔越後〕の脈を受け継ぐ夜行快速に「えちご」の名が入ったのには、〔越後〕との因縁を感じずにはいられない。

天の川あまのがわ〕 上野−新潟(→秋田)間

運転開始 1963/06/01
運転終了 1985/03/13

 1963年(昭和38年)6月に、新型車輌の165系電車が「上越急行」に導入され、夜行準急〔越後〕が電車化・急行化されたことで、準急〔越後〕の寝台車部分を引き継いで登場したのがこの〔天の川〕だった。松尾芭蕉の句「荒海や 佐渡に横たふ 天河」に因んだ列車の登場には、なかなか気の利いた命名との評判もあった。これで、「上越急行」の夜行列車は、〔越後〕(のちに〔越路〕、さらに〔佐渡〕と改称)と〔天の川〕の2列車体制となった。

 1972年(昭和47年)3月の改正で、〔天の川〕の一部の編成が秋田まで延長され、新潟以北での輸送力増強に務めた。1976年(昭和51年)10月の改正では、特急から転用された20系客車に置き換えられ、全車輌が秋田まで運転された。〔天の川〕は、東京と新潟を結ぶ夜行急行から、東京と新潟、庄内地方を結ぶ夜行急行へと変化していった。上越新幹線開業時には廃止されなかったものの、1985年(昭和60年)3月の上越新幹線上野開業により、寝台特急〔出羽〕に吸収される形で廃止された。

〔ゆきぐに〕 上野−長岡(→新潟)間

運転開始 1959/04/13
[準急]
急行化 1963/06/01
運転終了 1965/09/30
→〔佐渡〕に統合

 上越線の全区間を走破する初めての電車による準急〔ゆきぐに〕が上野−長岡間で運転を開始したのは、1959年(昭和34年)4月13日であった。80系電車7輌編成で運転され、電車の特性を十分に発揮して急行〔佐渡〕〔越路〕よりもスピードが速く、人気を博した。1961年(昭和36年)10月の改正で、2往復に増発されたものの、翌年の6月改正で、急行〔弥彦〕が登場したことにより、1往復へと戻された。1963年(昭和38年)6月の改正で、運転区間を新潟まで延長して急行化され、「上越急行」は、上り・下りとも〔弥彦〕〔佐渡〕〔越路〕〔ゆきぐに〕の順に運転されるようになった。急行として新たな活躍が期待されたが、1965年(昭和40年)に、〔弥彦〕などとともに〔佐渡〕に一本化されることにより廃止された。

〔ゆざわ〕 越後湯沢−新潟間

運転開始 1960/10/01
[準急]
急行化 1966/03/05
運転終了 1972/03/14

 〔越路〕や〔佐渡〕、〔弥彦〕、〔ゆきぐに〕が典型的な「上越急行」であれば、〔ゆざわ〕は新潟県内で運転が帰結する一風変わった列車だったと言えよう。特急や急行の隙間を埋めるように、朝:越後湯沢−新潟間、夜:新潟−越後湯沢間の運転で、魚沼地方からのビジネスユースに対応していた。1966年(昭和41年)3月には運賃料金体系の変更により急行に格上げされ、1968年(昭和43年)10月改正では越後湯沢−小出間は普通に変更され、利用客の急行料金軽減に配慮した運転体系となった。

 1972年(昭和47年)3月の改正で、特急〔とき〕の増発によりその使命を〔とき〕に譲って引退。その年の10月以降は、下りの急行〔ゆざわ〕を引き継いだ特急〔とき1号〕の越後湯沢−新潟間に限っては、格安の特定特急料金が適用され、急行〔ゆざわ〕の人気が高かったことを証明した。

〔よねやま〕 上野−柏崎(→直江津)間

運転開始 1972/03/15
運転終了 1985/03/13

 〔よねやま〕の歴史は、1961年(昭和36年)3月改正で長野−新潟間の気動車準急に始まった(1966年3月に急行化)。1972年(昭和47年)3月のダイヤ改正で、長野−新潟間の急行は〔とがくし〕にその任を譲り、〔よねやま〕は上野−柏崎間を上越線経由で回る不定期の急行に転身し、特急〔はくたか〕のサポート役を務めることになった。その年の10月改正で、急行〔よねやま〕は定期列車となり、運転区間も直江津まで延長された。

 1982年(昭和57年)11月の上越新幹線開業でも廃止されることなくひっそりと走り続けていたが、1985年(昭和60年)3月の上越新幹線上野開業を以って引退。ちなみに、〔よねやま〕は民謡「三階節」や「米山甚句」で知られる新潟県柏崎市に聳える霊峰・米山(標高993m)から名づけられた。

上越線を駆けぬけた
急行列車たちの盟友 〜北陸へ〜

北陸ほくりく〕 上野−金沢(→大阪→福井→金沢)間

運転開始 1948/07/01
命名 1950/11/08
運転終了 1975/03/09
→特〔北陸〕、 急〔能登〕へ

 21世紀の現在も、特急として運転される伝統ある列車、〔北陸〕。戦前にも〔北陸〕の面影を追うことができるほど、歴史がある。戦後、上野−金沢間の急行として運転を開始し、大阪や福井まで延長されたものの、1959年(昭和34年)9月改正で上野−金沢間に運転区間が戻され、1975年(昭和50年)3月のダイヤ改正で、2往復あった急行〔北陸〕は、1往復が特急〔北陸〕として〔北陸〕の名を継ぎ、もう1往復が急行〔能登〕となった。

能登のと〕 上野−金沢(→福井→金沢)間


運転開始 1975/03/10
運転終了 1982/11/14
→〔能登〕(信越本線経由)

運転開始 1997/10/01

 〔北陸〕同様に〔能登〕も歴史が長い列車であるが、運転区間の変遷が3度もある波乱万丈の列車と言える。上越線に初登場したのは、1975年(昭和50年)3月のダイヤ改正で、急行〔北陸〕が特急化された時だった。これが〔能登〕自身では二代目にあたる。しかしこの急行〔能登〕も、わずか7年後の上越新幹線の開業により信越本線経由の急行〔越前〕と統合される形で信越本線経由の急行に転身したが、急行〔能登〕は意外な形で上越線に戻りました。

 1997年(平成9年)10月の長野新幹線(北陸新幹線)により、信越本線の一部区間が廃止され、信越本線経由で運転されていた急行〔能登〕は、上越線経由に変更された。2001年(平成13年)3月のダイヤ改正で、再び金沢発着に戻され、現在に至っている。ボンネット型の489系電車に人気が集まっている。

上越線を駆けぬけた
急行列車たちの盟友 〜羽越へ〜
 

羽黒はぐろ〕 上野−秋田間

運転開始 1956/11/19
運転終了 1968/09/30
→〔鳥海〕へ統合

 上越線・羽越本線を経由して上野−青森間を結んだ急行〔津軽〕(不定期)が存在したと聞くと、驚く鉄道ファンも多いのではないだろうか。さて、その〔津軽〕を受け継いだのが急行〔羽黒〕で、上野−秋田間を羽越本線経由で結ぶ初めての急行列車だった。このため、羽越本線沿線から重宝がられた。1968年(昭和43年)10月改正で、〔鳥海〕と吸収される形で姿を消した。

鳥海ちょうかい〕 上野−秋田間(新潟経由)

運転開始 1965/10/01
運転終了 1982/11/14
→〔出羽〕へ

 上越線に急行〔鳥海〕が誕生する前、1950年(昭和25年)12月から上野−秋田間を奥羽本線経由で運転された急行〔鳥海〕があった。いずれも〔津軽〕、〔たざわ〕と名を変え、急行〔鳥海〕が上越線に登場するのは1965年(昭和40年)10月の改正からであった。急行〔羽黒〕が夜行だったのに対し、急行〔鳥海〕は昼行で運転された。庄内地方では人気を博したが、秋田直通客は奥羽本線経由の特急〔つばさ〕に流れ、急行〔佐渡〕と急行〔羽越〕を組み合わせた性格が強かった。1982年(昭和57年)11月の上越新幹線開業により、急行〔鳥海〕は特急〔出羽〕に姿を変え、〔鳥海〕の名は上野−青森間の特急だった〔いなほ〕に引き継がれた。

[ムーンライトえちご]もあわせてご覧ください

〔ムーンライト〕 新宿−村上間

運転開始 1987/09/03
運転終了 1996/03/15
→快速〔ムーンライトえちご〕と改称

 番外編として、忘れてはならない快速〔ムーンライト〕を挙げなければならないだろう。急行〔佐渡〕〔天の川〕を伝統を受け継いだ列車で、東京側の始発・終着駅を「北の玄関」上野ではなく、新宿にしたところが「JR新時代」を印象づけるものだった。それでも、深夜でも賑わう新宿駅に、165系電車の快速〔ムーンライト〕は独特の存在感を示していた。

 1996年(平成8年)3月に、東海道本線の「大垣夜行」が快速化され、快速〔ムーンライトながら〕となるのに伴って、上越線の〔ムーンライト〕も区別できるように、快速〔ムーンライトえちご〕と改称した。

〔ムーンライトえちご〕 新宿−新潟(←村上)間

運転開始 1996/03/16

 東海道本線の「大垣夜行」が快速化されたことにより、快速〔ムーンライト〕も「えちご」をつけ、快速〔ムーンライトえちご〕と改称した。時代を遡ること30有余年。夜行急行〔越後〕が、形を変えて戻ってきたといっても過言ではないだろう。運転形態もほとんど変わらず運転されてきたが、2002年(平成14年)12月改正で下り列車は新潟で運転を打ち切られ、翌2003年(平成15年)4月には485系電車に置き換えられた。2004年(平成16年)3月には上り列車も村上始発から新潟始発に短縮された。いまだに根強い人気に支えられている。

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