トップとき復刻とき復刻2002・上り編
Revival "TOKI"

〜世紀を超えて。〔とき〕、ここに復刻〜

下り編(2002/11/17)

 やはり新潟では「とき」への思いはあつい
 上り列車も「団体」扱い
 ポートクイーン新潟の渡辺奈緒美さん。お疲れさまです
 4号車の3列席には乗客ゼロという悲しい現実
 新潟発朝の上り上越新幹線でよく見られる光景
 12月以降もめったに見られない「とき 大宮」
 意外にも初めてのコンビネーションを実現した
 20年前、ここで〔新幹線リレー号〕に乗り換えていた

 前日の下り〔復活とき号〕に続いて、11月17日には上りの新潟発大宮行〔復活とき号〕が運転された。営業列車で「大宮行」が運転されるのは、1985年(昭和60年)3月14日の上越・東北新幹線上野開業以来、実に17年ぶり、6,458日ぶりのことだった。今後、東京−大宮間の上越・東北新幹線で何らかの異常で運行できない場合は、大宮を臨時のターミナルとして機能させることが計画されているが、通常の営業列車としては、最後の「大宮行」になるかもしれない。

新潟県内

 新潟県内の上越新幹線の各駅には「おかげさまで 上越新幹線 開業20周年」や「『とき号』 出発」といった垂れ幕が飾られていた。やはり新潟にとって「とき」という名は特別な思い入れがある。

 下りと同様に上りの〔復活とき号〕の発車案内板の表示は「団体 408」だった。下り同様に構内アナウンスは頻繁に聞かれた。たぶん、上越・東北新幹線に何らかの異常が発生したときの大宮発着新システム導入まで、案内板上での「とき 大宮」行復活はお預けのよう。

 〔復活とき号〕に乗車した記念として、しおり型の記念乗車証明書と朱鷺の紙風船が乗客全員にプレゼントされた(左下画像)。下りの〔復活とき号〕では、JR東日本の社員の方々が配っておられたが、上りの〔復活とき号〕は、ポートクイーン新潟の渡辺奈緒美さんが、乗客一人一人に配っておられた。ポートクイーンに選ばれるだけの方だけあって、美しい方だった。こういうお仕事も大変である。

 いくら、記念臨時列車と言えども、上りの〔復活とき号〕の乗車率は10%前後とさみしいものだった。新潟発9時台、大宮着が正午前という、旅行のスケジュールには組み込みにくいダイヤが致命傷だったのかもしれない。下り列車には、昔の新幹線を懐かしみ、ついでに新潟県内の温泉でのんびりと過ごそうとしたグループも見かけたが、上り列車には時間が早すぎたようである。

 3列側の座席には乗客ゼロという車輌もあり、様々な制約の下で運転された記念列車ながら、もう少し運転時刻をずらせなかったのか、せめて午後の1時台にずらせなかったと思ったが、次回の記念列車にこの教訓は活かされることを期待したい。

 新潟発の上越新幹線には、新潟独特の空気が流れていたような気がする。どこからともなく漏れ聞こえてきた新潟弁の会話、コシヒカリを炊いた自家製おにぎり、お盆過ぎや年始のUターンラッシュには、数多くのお土産が網棚(網ではできていないが)が置いてあった。隠れた新潟キャラクターとして、座席前のポケットに挟まる「新潟日報」も上越新幹線ならではの光景である。

 東京発の上越新幹線には全国紙やスポーツ紙など多彩な新聞や雑誌が挟まっているが、新潟発の上越新幹線には、新潟日報が多く挟まっていた気がする。ちなみに、右画像は、〔復活とき号〕車内での2002年(平成14年)11月17日付の新潟日報朝刊。一面トップは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された横田めぐみさん関連のニュースだった。

 11月17日は、前日の寒空が嘘のように、新潟県内は晴れ上がった。越後湯沢到着前の車窓には、オープン前のスキー場にうっすら積もった雪を見ることができた。もう1ヶ月もすると、多くのスキーヤー、スノーボーダーで賑わうことだろう。

〔復活とき号〕最終章

 上越国境の大清水トンネルを一気に抜けた〔復活とき号〕は、関東平野を駆け抜け、まもなく開業当時の終着駅・大宮に到着しようとしている。

 11時50分、上越新幹線開業当初の〔とき〕よりも10分程度速い、1時間58分で大宮駅新幹線15番線ホームに到着した。今現在であれば、「次は上野」なのだが、〔復活とき号〕はここ大宮が終着点。決して多いとは言えなかった乗客の顔は、開業当初の上越新幹線の再現に満足げな表情だった。

 大宮が東京側のターミナルだったのは、1982年の開業から1985年の上野開業までの3年間弱の間だけで、当時は国鉄だった。だから、200系新幹線電車に描かれているJRロゴマークと「とき  大宮」は初めてのコンビネーションとなった。こんなに大きく描かれたJRロゴマークは、JR東日本の新幹線車両では200系新幹線電車ぐらいで、貴重な組み合わせということになる。

 〔復活とき号〕は、静かに回送されて行った。

 特急〔踊り子〕用の185系0番台電車側(上野寄り)

〔ときリレー号〕

 上越・東北新幹線が大宮開業した1982年6月23日から1985年3月13日まで、上野と大宮の間は、〔新幹線リレー号〕という新幹線連絡専用列車が運転されていた。当時の国鉄は、専用電車185系200番台電車を導入して、大宮乗り換えの不便をフォローしていた。

 今回の上越新幹線〔復活とき号〕運転に際し、快速〔ときリレー号〕(全車自由席)として、当時のままに185系電車を記念運転した。

 当時と変わらず14輌編成で運転されたが、外観も現在の新カラーのままで、さらに上りの先頭7輌は、東海道本線の特急〔踊り子〕などで運転される185系0番台電車が使用され、〔復活とき号〕同様に“完全復活(再現)”とはいかなかった。

再現イメージ 当時は前面に「上野−大宮 新幹線連絡専用」というものがあったが、今回は真っ白。ドア近くの行先案内も「臨時」と少しさみしい〔ときリレー号〕となった。

 ただ、大宮駅では、〔新幹線リレー号〕当時の専用ホームであった7番線ホームから発車した。JRの芸の細かさなのか、運転上の制約からなのかは定かではないが……。〔復活とき号〕では再現されなかった発車案内板は、大宮駅では「ときリレー号 12:07 上野」と表示されていた(英語表示は「Extra Rapid」)。

 〔ときリレー号〕が去った7番線ホームには、しばらくすると、12時44分発の特急〔成田エクスプレス21号〕成田空港行の253系電車「N'EX」が入線し、いつもの大宮駅と変わらぬ姿がそこにはあった。

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