トップとき復刻とき復刻2002・下り編
Revival "TOKI"

〜世紀を超えて。〔とき〕、ここに復刻〜

下り編(2002/11/16)

 大宮駅コンコースに掲げられていたポスター
 復活運転の列車が残念ながら「団体409号」と扱われているようである
 18番線には、日常の上越新幹線の姿があった
 発車を待つ〔復活とき号〕の隣を、リニューアルされた200系電車が過ぎていく
 〔復活とき号〕の出発式を待つ
 乗客は少なかったものの、ギャラリーは多く詰めかけた
 〔復活とき号〕の隣をE2系電車とE3系電車の〔やまびこ・こまち〕が発っていく
 まるで、上越新幹線が開業した20年前にタイムスリップしたような光景
 大宮駅で発車を待っている200系電車。まさに「大宮暫定開業」時代を再現させるひとコマ

 2002年(平成14年)11月16日(土)、前日に迎えた上越新幹線開業20周年を記念して、開業当初と同じ200系新幹線電車12輌編成、大宮始発で、上野−大宮間はリレー号が結ぶ、臨時列車〔復活とき号〕が運転された(リレー号については17日上り編を参照されたい)。

 1997年(平成9年)9月30日を以って、上越新幹線から姿を消した〔とき〕が、臨時列車ながら1,872日ぶりに、上越新幹線に文字通り復活≠ニなった。〔とき〕と同じ運命をたどった〔あおば〕は、東北新幹線の開業20周年にあたる2002年6月23日に、大宮−仙台間(下りのみ)で1本だけ復活≠オていた。旧国鉄時代からの車輌が次々に引退し、JR化後の車輌が一大勢力になりつつある今、鉄道は国鉄時代リバイバルブームである。

 さて、話を〔復活とき号〕に戻そう。

大宮駅

 通常であれば、大宮駅を発つ上越新幹線は18番線がメインとなっているが、18番線に始発の〔復活とき号〕をずっと入線させておくわけにはいかず、16番線からの発車となった。16番線の発車案内板には「団 体 409 10:44」しか掲示されていなかった。行先すら掲示されていない。

 これは、新しい新幹線総合管理システム(COSMOS:Computerized Safety, Maintenance and Operation Systems of Shinkansen)が、このような臨時記念列車に対応していないことが一番の要因と推測される。6月に運転された〔思い出のあおば号〕も同様に表示されていた。コンピュータの管理上では「団体列車409号」ということになるのだろうか。

 しかし、表示できない分、構内アナウンスは頻繁に聞かれた。「上越新幹線開業20周年を記念して、開業当時そのままに大宮発新潟行の〔復活とき号〕を運転致します。なお、この列車は全席指定席ですが、座席に余裕があります」といった内容のアナウンスだった。

 〔とき〕ファンには悲しい現実、席が空いている…… 無理もありません。12月には〔とき〕が復活し、在来線の特急〔想い出のとき〕も運転される。それに、千葉・房総方面で急行〔内房号〕が復活運転した日でもあった。そして、翌日には第7回の時刻表検定試験が控えていた。鉄道ファンが分散してしまったようである。

 さぁ、気分を取り直して、ホームに上ってみよう。16番線ホームには、アイボリーホワイトにグリーンラインの200系新幹線電車が入線していた。専門的には「F80編成」という編成が使用されていた。普段は走行中の雨などの汚れで少しぼやけてしまうアイボリーホワイトの車体は、きれいに塗装され直され、ピカピカの最高の状態だった。ただ、丸鼻の先頭部分に飾りがなかったのは残念なことだが、純粋に200系新幹線電車を楽しむなら、これほど綺麗な車体はめったにないことだろう。

 熊谷寄りでは、「〔復活とき号〕 出発式」の準備が進められ、隣のホームには、カメラ片手の鉄道ファンが詰めかけていた。

 12月の新生〔とき〕を一足早くお披露目した
 客室内は開業時が再現されず、現在の座席だった

〔復活とき号〕=12月からの〔とき〕を先行お披露目?

 右の画像をご覧いただきたい。「とき 新潟」と懐かしい、上越新幹線らしい名前が刻まれている。ただ、よく視ていただけばおわかりになると思うが、1997年9月まで走っていた〔とき〕とは、少し異なっている。何が異なっているのか? それは「とき」の表示方法である。1997年9月までは「と き」(濃赤地に白文字)だったが、今回は「と き」(白地に濃赤文字)となっていた。これは、もしかすると、12月から〔あさひ〕に変わって運転される〔とき〕用のものなのかもしれない。

 200系新幹線電車の車内は、さすがに開業当初を再現することは不可能だった。今や、全座席が回転できるリクライニングシートで、開業当初の3列側固定のリクライニングシートは姿を消しているので、こればかりは再現できなかったようだ。

 熊谷寄りでは、「〔復活とき号〕 出発式」が始まり、この模様は、埼玉新聞でも触れられていた。

 式典で島田邦男大宮駅長が「上越新幹線は1日21往復で開業したが、20年で45往復に増え、約5億人に及ぶ利用があった。今後も安全輸送を心掛けていきたい」と挨拶。相川宗一さいたま市長は「東日本有数のターミナル駅である大宮駅の発展は、さいたま市に必要不可欠」と話した。公募で選ばれた一日駅長で、さいたま市在住の女子栄養大学二年生・風間淳子さん(19)らがテープカットとくす玉割りを行うと、午前10時44分、とき号が新潟に向けて走りだした。出発の合図を送った風間さんは「緊張で走りだした時のことはよく覚えていない。新幹線は父が通勤で利用したり、駅で日常的に見掛けるなど身近な存在。私と同い年の上越新幹線の式典に立ち会えたのは貴重な体験」と話していた。

(埼玉新聞公式サイトより引用)

 駅長らの見送りを受け、〔復活とき号〕は大宮駅を発つ 
 今や「懐かしアイテム」となってしまった冷水器
 新型車両でも速度計がどこかあってほしいものだ
 この公衆電話で「かえるコール」、「お迎えお願いコール」を何度したことだろうか……
 大盛況のビュフェにお兄ちゃんも忙しそう
 最後のカレーライス(スプーンではなく箸付き)

〔復活とき号〕

 10時44分、大宮駅16番線を発車した〔復活とき号〕は、東北新幹線をまたぐようにポイントを渡り、上越新幹線本線へ。「大宮おどり」が流れる車内放送チャイムも再現され、新潟までの停車駅などが案内され、通常の列車ではまずあり得ない「上越新幹線」の紹介まで案内された。もちろん、各駅到着前の車内放送チャイムも、現行のものではなく、旧チャイムが流れた。

 ただ、大宮駅構内でアナウンスされたように、座席は2割〜3割程度の乗車率(各車両15人〜30人程度)と、少し寂しいものだった。もちろん、鉄道ファンが多く乗車していたが、中には国鉄OBと思われる方々もいらっしゃった。

 車内改札に回る車掌さんは、残念ながらJR東日本の制服だった。できることなら、国鉄時代の制服まで再現してもらうと、だいぶ盛り上がったかもしれない。

大盛況〜ビュフェ編〜

 〔復活とき号〕では、現在では全廃されている「ビュフェ」の営業も復活した。決して多くない乗客にも関わらずビュフェは大盛況。記念シートがついたビーフカレー(1,000円)が飛ぶように売れていた。

 私も買い求めましたが、なんと! 私を最後に完売! それもスプーンが先になくなってしまい、割り箸でカレーを食することに(右下画像)。これにはビュフェのお兄ちゃん(右画像中央手前の男性)も申し訳なさそうだったが、これも旅の思い出と思えば、いい思い出になる。

 さて、ビュフェで見逃せないのが、速度計。新型のE1系「Max」などにはない設備である。開業当初はこの速度計見たさにビュフェに足を運んだ人も多いはず。新型車両にもどこかに速度がわかるようなサービスがあるといいのだが……

 それにしても、ビュフェも車内販売も総乗客数の割合に対して、相当忙しそう。よく考えてみれば、鉄道ファンが多く乗っていて、みんながビュフェや車内販売を利用していて、ただ単に利用率が非常に高いということだった。これと合わせて、通路を往来する人が多いこと、多いこと。ガラガラに近い車内なのに、ザワザワと、なんとも記念列車らしい落ち着かない車内でもあった。

 すっかり、活躍を携帯電話に奪われてしまった公衆電話。だが、上越新幹線ではトンネル区間の電波圏外区間が多く、少なからず需要があるようだ。だが、今や、どれぐらいの人がテレホンガードを持ち歩いているのだろうか。

 そして、ビュフェからの座席に戻るときに、「冷水器」を発見した。こちらも、500mlペットボトルに押され、姿を消しつつある冷水器だが、懐かしアイテムのひとつになってしまった。

上越国境を越えて

 熊谷、高崎、上毛高原と停車した〔復活とき号〕。開業当初世界最長だった大清水トンネル(22.221km)をくぐって新潟県内に入り、上越新幹線開業によって一番変貌を遂げた街、越後湯沢に停車。今では、ほくほく線の開業によって対北陸ルートの乗換駅でもあり、スノーシーズンには多くの人たちで賑わう街になった。「東京都湯沢町」と称されたスノーリゾート地は、バブル経済の崩壊から続く日本経済の低迷で、一時の元気がなくなってしまったのは事実のようである。秋を通り越して、一気に冬の気配が感じられた2002年の11月16日、〔復活とき号〕の車内から眺めた湯沢の街には、うっすら雪が積もっていた。

 〔あさひ〕や〔たにがわ〕とは違い、越後湯沢からほくほく線に乗り換える人もほとんどなく、〔復活とき号〕は新潟を目指す。

 開業前には“いわくつき”と揶揄されてしまった浦佐や燕三条にも停車した〔復活とき号〕は12時46分、万代太鼓に迎えられながら新潟駅新幹線11番線ホームに到着した。

 これで、ピカピカに磨き上げられた200系新幹線電車は、明日の上り〔復活とき号〕までお役御免ではなく、新潟新幹線第一運転所での一般公開が待っていた。

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