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あの日――2004.7.13
2004年(平成16年)7月13日(火曜日)――。三条人にとって決して忘れることができない日となった。
ふだんは澄んだ水が穏やかに流れ、「清流」とも呼ばれる母なる川・五十嵐川が、突然暴れ狂った。1979年(昭和54年)に気象庁がアメダスを設置して以来最多の24時間降水量208ミリを記録した土砂降りの大雨に、五十嵐川は耐えきれなかった。
13時07分。三条市中東部・諏訪の五十嵐川左岸の堤防が崩れた。
五十嵐川の濁流は、三条市嵐南地区の約1万棟をのみ込んでいき、その深さは最深2mにもなり、完全に1階は水没した。道路に乗り捨てられた車は濁流に浮かび、5,000人とも1万人ともいわれる人々が濁流に孤立し、電気も水道も停まった自宅の2階で、水に怯えボートの救助を待ちながら、一夜を明かした。
水≠ニの闘い……“人は人にしか助けることはできない”
三条の人たちは、あの日、みな水≠ニ闘った。
土嚢を積んで五十嵐川の崩堤を少しでも食い止めようとした人たち。
外回りの仕事中に、突然の水≠フ襲来に車を捨て、通りすがりの会社に身を寄せ、一夜を明かした人たち。
「わが子は?親は?」……。避難所をさまよい、親族を探し続ける人たち。登校したまま一夜を学校で明かした子どもたち。
炊き出しの食糧を胸まで水≠ノ浸かり行けるところまで届けようとした人たち。思い出の品をボートで取りに行く人たち。
そして、自宅に取り残された身重の妻を、消防の制止を振り切り、肩まで水≠ノ浸かりながら助けた夫。
ここには書ききれない、誰もが必死で水≠ニ闘った。
泥≠ニの闘い、そして、9名の尊い犠牲を無にしないために
水が引いた嵐南地区。泥だらけの家々に足の踏み場さえない。水に浮かんだ冷蔵庫はひっくり返り、洗濯機には泥が貯まり、何もかもに泥がこびりついていた。水≠ニの闘いのあとには、泥≠ニの闘いが待ちかまえていた。そして、9名の方々の訃報が被災地に流れた。
目の前の惨状に只々呆然とし、どこから手を付けていいのかわからない。
「こんげのことに、負けてらんねっけ、がんばろってぇ」。どこからともなく聞こえてくる声は、負けん気の強い三条人の心意気に聞こえてくる。過去を振り返れば、幾度となく水害に見舞われ、豪雪に耐え、大火にも見舞われ、それでも復興を遂げてきた。私たちにできないはずはない、と。
百年に一度とまでいわれた大水害に、三条は少しずつ復興へと歩み始めています。しかし、まだ「あの日の水=vとの闘いは終わっていません。
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