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Sanjô Flood 2004.7.13

三条災い史(水害)

 三条は、五十嵐川と信濃川とともに発展を遂げてきた。その流るる水が肥沃な土地を生み出し豊作をもたらし、その水運で「三条の金物」を全国に送り届けた。しかし、その五十嵐川、信濃川が三条人に牙をむき、増水、堤防の欠壊、氾濫と、三条に大きな水禍を招いたのも五十嵐川、信濃川であった。まさに、五十嵐川と信濃川に運命をともにした三条。三条を襲った水害の歴史は、三条人の水との闘い≠記すものだった。

1872(明05)/08/01 八朔はっさくの洪水。五十嵐川、信濃川が稀にみる洪水。四日町郷浸水など、嵐南地区一帯は稀にみる惨状となり、収穫は皆無。新保ではこの年以降、八朔の餅つきをやめたという
1875(明08)/07/02 豪雨洪水のため山崩れが発生。床上浸水、水田皆亡の村が多数
1876(明09)/09/18 新保切れ。12日から大雨が降り続く。18日5時ころ、新保村から本成寺村までの数ヶ所で破堤、四日町、本成寺五明、新保、曲淵、諏訪新田の248戸のうち99戸が床上浸水
1877(明10)/05/― 五十嵐川、信濃川の堤防が決壊
1877(明10)/10/― 松尾与十郎らの尽力により五十嵐川左岸(嵐南地区)の築堤工事が完成
1879(明12)/07/11 本成寺地内で破堤、川筋の村々で、家財を避難させる
1881(明14)/09/03 五十嵐川が氾濫、籠場村と高岡村に架かる八十里橋、三条橋[嵐川橋]が大破し流失。川舟も流失、木切れ、薪木が五十嵐川に滞留
1885(明18)/04/08 五十嵐川洪水
1885(明18)/07/02 五十嵐川・信濃川洪水。暴風を伴い、風浪で五ノ町[本町6丁目丁目]以北の堤防が破堤しそうになるが大事に至らず
1892(明25)/05/12 五十嵐川洪水。本成寺村の堤防が5間[9m]破壊
1894(明27)/08/12 曲淵・田島切れ。五十嵐川氾濫。西大崎、曲淵、田島で計50間[91m]が破堤、溺死者16名、流失家屋13戸
1896(明29)/07/22 大河津分水工事のきっかけとなった横田切れ。三条でも被害甚大で、五十嵐川・信濃川洪水。諏訪で25間[45m]のほか、大島、井土巻で破堤
1897(明30)/07/10 三竹切れ。五十嵐川洪水。三竹で20間[36m]、中新で2ヶ所15間[27m]、籠場でも破堤。13日に再破堤。14日には信濃川が氾濫し大島で破堤。8月7日には三竹の仮水戸留が破壊、三条で1,500戸、一ノ木戸で700戸が浸水
1898(明31)/09/09 新保切れ。中之口川・五十嵐川洪水、新保で破堤20間[36m]。床上浸水は三条75、本成寺258、須頃52戸。耕地の流失多数
1905(明38)/06/21 信濃川・五十嵐川出水。三条、須頃、本成寺で浸水
1905(明38)/08/07 三竹切れ。信濃川・五十嵐川洪水。三竹で破堤30間[55m]、嵐南・嵐北ともに浸水被害
1910(明43)/07/17 信濃川・五十嵐川増水。上町[本町1丁目]から五ノ町[本町6丁目]までの間で数百戸が浸水
1911(明44)/08/05 井戸巻切れ。信濃川・五十嵐川洪水。井土巻、代官島で破堤、荒町の堤防数ヶ所が陥落、大島村で流失3戸、浸水517戸など、上町[本町1丁目]から五ノ町[本町6丁目]までの間で堤外家屋200戸あまりが全戸浸水
1912(明45)/02/29 信濃川・五十嵐川洪水。井戸場、西本成寺で破堤。床上浸水は大島4ヶ村で186戸、嵐南地区183戸
1913(大02)/08/27 信濃川・五十嵐川洪水。井土巻・大島の中之口川が破堤、井土巻、上須頃、下須頃は一円の泥海と化し、浸水家屋485戸。冠水田は大島村321町[318ha]、本成寺村20町[20ha]。大崎村では堤防が大破損
1914(大03)/08/14 一ノ町[本町3]・二ノ町[本町4]の堤防から越水。四日町通りの県道は3尺[100cm]浸水。信濃川・中之口川筋の上須頃堤防で欠壊5ヶ所、下須頃と大島で漏水、三条町の浸水被害260戸
1917(大06)/10/01 信濃川が長野県内の豪雨で増水、五十嵐川も増水。松栄橋[常盤橋]たもと右岸で堤防越水、信濃川の堤防各所で欠壊。
1924(大13)/08/22 五十嵐川洪水。21日から降り始め22日には激しい風雨。街路はほとんど水路と化し、須頃の中州欠壊、瑞雲橋橋台の石垣が崩壊
1925(大15)/07/28 諏訪・曲淵切れ。未明から朝に豪雨、農業試験場で153.7ミリを記録。森町村荒沢で五十嵐川の水位が1丈7尺[5.2m]に達し、11:00瑞雲橋が流失。15:00には田島橋が水没、諏訪新田と曲淵で3ヶ所102間[185m]、西本成寺で2ヶ所22間[40m]破堤したため、四日町方面は泥海と化した。10分間に3尺[100cm]の増水で、2階がある家は2階へ、2階がない家は屋根へ避難。三条駅ではホーム上約2尺[60cm]も水没。1週間後の8月3日まで水が引かず。嵐北でも東裏館、西裏館、荒町、新光、嘉坪川、一ノ木戸、田島で被害。浸水家屋は、北四日町284戸、南四日町232戸、西四日町40戸、西本成寺100戸、西新保218戸、東新保50戸、曲淵28戸の計952戸、家屋流失3戸、全潰3戸、浸水952戸、田畑冠水320町歩[317ha]、死者1名
1930(昭05)/07/10 五十嵐川増水。上町[本町1丁目]では水位が16尺[4.8m]に増水、四日町、由利、八幡小路、古城町、一ノ木戸裏通り、田島、西裏館で浸水。19日夜から20日朝にかけ再度豪雨、四日町、神明町、居島、上町などで床上・床下浸水の被害
1933(昭08)/01/22 五十嵐川河川改修工事が起工
1935(昭10)/10/18 新通川が溢水。四日町金工試験場から嵐南堤防までほとんどが床上・床下浸水
1937(昭12)/10/29 五十嵐川河川改修工事が竣工(田島、曲淵のV字型川形を直線型に)
1944(昭19)/07/20 梅雨前線により河川増水。森町村の観測所で日降雨量173.3ミリを記録。大崎村籠場の高岡橋が一部流失。新大橋の橋脚折損、浸水被害は裏館、島田、由利方面で300戸余、西本成寺では水が引かず、東北配電[東北電力]によって排水機を付け、25日には水が引く。この水害で、五十嵐川下流の計画洪水量が従来を大幅に上回ることになり、再改修の必要が生じ、笠堀ダムの建設による洪水調節計画が立案されるに至る
1949(昭24)/07/30 ヘスター台風。五十嵐川が急激に増水し、一新橋は3分の1を流失し、田島橋は傾く
1956(昭31)/07/15 五十嵐川・新通川が溢水し、四日町、荒町、古城町で床下浸水350戸
1958(昭33)/09/18 午前の降雨57ミリ。布施谷川の護岸が10m余欠壊し、床下浸水約500戸
1961(昭36)/06/― 笠堀ダム着工
1961(昭36)/08/05 8・5集中豪雨。荒町ポンプ場で5日7:00から7日9:00までに降雨301.8ミリを記録。五十嵐川は増水し、11:00に警戒水位を突破。12:00ころには全市で床下浸水が続出。13:00ころ本成寺の田川堤防が180m欠壊。14:55御蔵橋が流失、15:20ころ五十嵐川左岸の新保、曲淵の堤防が300m溢水しはじめ、15:45五十嵐川沿いと曲淵、四日町地域に避難命令。同じころ新大橋が橋詰めの民家とともに流失し家族5名が流されるも4名は常盤橋で辛うじて救助されるが1名と消防署員1名が死亡、新大橋の流失に続き渡瀬橋も流失。16:00自衛隊に災害出動を要請。曲淵の旧河川敷(河川改修工事前に河川敷だった場所)内の家屋では床上浸水約2mに達す。被害総額は8億6,746万円[43億4,619万円]
1964(昭39)/07/07 7・7水害。五十嵐川が氾濫。中新の堤防が200m欠壊し、行方不明者1名、床上62棟、床下425棟の浸水被害
1961(昭36)/11/18 笠堀ダム竣工
1966(昭41)/08/28 8・28水害
1969(昭49)/08/12 五十嵐川出水
1971(昭46)/―/― 五十嵐川ダム着工
1978(昭53)/06/26 6・26水害。五十嵐川出水。嵐南地区に被害
1979(昭54)/07/28 7・28水害
1993(平05)/―/― 「大谷ダム」として五十嵐川ダム竣工
2004(平16)/07/13 7・13水害(平成16年7月新潟・福島豪雨:三条・南蒲原大水害)。1925(大15)年7月28日以来の大水害
2005(平17)/06/28 前日から雨が降り続き、五十嵐川上流の笠堀ダムの流入量がマニュアルに定めた数値を超えたため、旧三条市である嵐南・嵐北地区26,128世帯に「避難準備情報」を発令。避難指示、避難勧告よりも前段階で発令される避難準備情報は、高齢者や避難困難者の事前避難を促すために制度化されたもので、全国で初めて情報が発令された
2005(平17)/08/10 三条で13時30分からの1時間に72ミリの猛烈な雨を観測。気象庁のアメダス観測では1976年(昭和51年)の観測以来最大値。13時50分過ぎには竜巻と見られる突風が本町6丁目、西裏館2丁目、東裏館2丁目、荒町で発生し、4人が負傷、建物21棟に被害。市内で床下浸水や道路冠水が発生

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