トップplus+三条・南蒲原大水害三条災い史(雪害他)
水害データ
7・13ドキュメント
浸水地域図
被災記録
五十嵐川改修事業
三条基礎情報
三条災い史(水害)
三条災い史(雪害他)
気象警報・注意報
Sanjô Flood 2004.7.13

三条災い史(雪害他)

 三条は水害だけではなく、多くの災禍に見舞われてきた。三六豪雪、サンパチ豪雪などの雪害、台風による暴風、大火。これらの災禍に打ち勝つことこそが、三条人の原動力なのかもしれない。

1880(明13)/05/21 大火 糸屋万平火事。13:05頃、上町[本町1丁目]の米屋から出火、ダシの風(フェーン現象の南東からの風)にあおられ、瞬く間に火は燃え広がり、7、8軒が炎上。東本願寺別院の御堂と米北教校、本寺小路の貸座敷にも飛び火し、八幡宮、南蒲原郡役所、三条小にも延焼、三条町だけでなく、一ノ木戸、東裏館、西裏館、荒町、新光、石上各村にもわずか5時間で燃え広がった。三条町2,010戸のうち1,961戸(97.6%)をはじめ、2,743戸を焼失、焼死者は34名、有史以来の大火となった。出火原因は幼女が竈に薪を焼べていたら、薪に古竹が混じり、その竹が破裂したことから出火した。当初、失火元は米屋の隣の糸屋とされたため、糸屋万平火事とよばれる
1887(明20)/10/04 大火 13:10頃、四ノ町[本町5丁目]土手下の唐傘屋から出火。激しい南風にあおられ、五ノ町[本町6丁目]、鍛冶町[本町6丁目]、八幡小路[八幡町]、三ノ町[本町5丁目]まで燃え広がり、368戸を焼失
1890(明23)/08/21 大火 0:30頃、四ノ町[本町5丁目]の凧屋から出火、三ノ町[本町5丁目]、四ノ町、五ノ町[本町6丁目]は残らず全焼し、176戸を焼失
1894(明27)/09/12 風害 暴風が吹き荒れ、三条で全潰2戸、半壊1戸。他に屋根、板塀の破損多し
1894(明27)/12/20 三条町に公設消防が組織される
1895(明28)/11/14 大火 5:00頃、本寺小路(大町[本町2丁目])の貸座敷屋から出火、西風に火は東西に燃え広がり、大町は全焼、新小路[本町2・3丁目]、一ノ町[本町3丁目]も大半が焼け、4時間半で鎮火。336戸焼失、死者1名
1896(明29)/06/01 大火 林町の家屋から6:30頃出火、仲ノ町、門前町[一ノ門]に延焼し183戸を焼失、一ノ木戸村で三条地震以来の大火
1897(明30)/06/30 大火 古城町[元町]のランプ屋から14:00頃出火し、古城町、八幡小路[八幡町]、三ノ町[本町5丁目]、四ノ町[本町5丁目]、五ノ町[本町6丁目]残らず、376戸焼失
1912(大元)/09/23 風害 台風で暴風吹き荒れ、板葺き屋根がほとんど吹き飛ぶ。八幡宮の能楽堂などが全壊、大島村の須頃小もほぼ倒壊、三条町の被災家屋は1,201戸
1917(大06)/01/04 雪害 2日から風雪が激しくなり、4日18:40頃、三条尋常高等小学校の東運動場が倒壊
1918(大07)/秋/― 病禍 塹壕風邪(スペイン風邪)が流行、三条町で10月から12月までに3,296名が罹病、12名が死亡。栗林村ではツツガムシ病が発生、5名が死亡
1920(大09)/06/20 放火 23:00頃、西本願寺三条別院(西別院)の本堂から出火、本堂、客殿を全焼、本尊、仏具類も焼失。放火犯は検挙される
1923(大12)/09/01 関東大震災。三条町議会が3,300円、町民9,929円の救済・義捐金、包丁1万挺、鷹匠、手拭いを贈る。罹災者が避難帰郷したため、三条、一ノ木戸両駅に救護所を開設
1928(昭03)/07/07 大火 16:10頃、四日町の家屋から出火、東風の乾燥下で13戸が全半焼、幼女が焼死
1935(昭10)/03/15 大火 8:00頃、居島の住宅裏手から出火、12戸を全半焼。こたつの残火不始末が原因
1936(昭11)/01/― 雪害 14日夜から吹雪と寒波が襲来、信濃川、五十嵐川などが結氷。下旬になると一気に暖気になり、融雪で栗林、石上、新光、嘉坪川で全戸浸水し、荒町、東裏館、西裏館、旭町、横町、林町、田島、興野、北中の一部でも浸水、嵐南でも新通川が増水し浸水の被害、浸水家屋は800戸以上
1937(昭12)/06/16 雹害 15:00頃から1時間半で雷雨とともに大粒のひょうが降り、大島村では3cm余も雹が積もる
1946(昭21)/07/30 大火 北四日町大火。2:30頃、北四日町ののこぎり鍛冶屋から出火。烈風により火は四方に燃え広がり、住家43戸、倉庫、工場各2棟を全焼、48世帯237名が焼け出され、戦後最大の大火。鍛冶屋の残火不始末が原因
1949(昭24)/05/31 大火 夕方(17:35頃)、一ノ門の家屋から出火、18戸を全半焼。火災通報の誤認などで消火が遅れ、火災を拡大させたとの指摘も
1954(昭29)/09/26 風害 洞爺丸台風(台風15号)。14:00過ぎに37.2m/sの瞬間最大風速を記録。大島や西本成寺の果樹園で梨や葡萄ら大きな被害。三条競馬場の屋根や外柵がはがれ倒れる
1956(昭31)/01/01 弥彦神社で福餅まきに参詣者が殺到、将棋倒しが発生し、124名が死亡、うち13名が三条からの参詣者
1956(昭31)/05/17 放火
大火
連続放火事件。16日23:40頃、居島の住宅玄関外にあった炭俵が燃えているのを家人がすぐに消火。17日3:20頃、居島の火災現場から30mほど離れた上町[本町1丁目]の茶舗裏に置いてあった藁ムシロが燃え、近所の人がすぐに消火。これとほぼ同時刻に200mほど離れた大町[本町2丁目]土手の住宅先にあった炭俵が燃え、隣の旅館に燃え移りそうなのを近所の人が消し止めた。さらに、ほぼ同時刻に400m離れた二ノ町[本町4丁目]堤外の薪炭屋から出火、南東風にあおられ延焼し11棟(520坪:1720m2)を全半焼。12:00頃には上町古鍛冶町で雨戸の障子が焼けるボヤ、15:30頃にはそこからすぐ近くの家の玄関戸が焼けるボヤと、市中心部での6件の火災はいずれも放火とされたが、放火犯は検挙されず
1957(昭32)/04/14 大火 0:40頃、塚野目の住宅から出火。11棟を全半焼
1957(昭32)/12/13 風害 午前から雨を伴い約30m/sの暴風が吹き荒れ、小学校の窓ガラスが割れるなどの被害。四日町小児童が帰宅途中に強風で田島橋から五十嵐川に転落、行方不明。神明町の22mのネオン塔が倒壊の危険が生じ、付近の住民に避難騒ぎ
1961(昭36)/01/― 雪害 三六豪雪。26日夕から降り続いた雪が29日夜から猛吹雪。31日には三条・東三条両駅に国鉄列車の乗客1,000名が足止めされ、炊き出しを提供。通算降雪量は595cm、最高積雪は187cm(翌年1月18日)を記録。高田市、長岡市よりも積雪が多い
1961(昭36)/09/16 風害 第二室戸台風(台風18号)。8・5集中豪雨から1ヶ月余しか経たずに、暴風の被害。19:55に最大瞬間風速46m/sを記録。市内は全域で停電、約2,000回線の電話が不通。井栗で男性がショック死。大島小校舎が全壊
1962(昭37)/03/25 大火 9:15頃、下田島の工場から出火。12棟1,000m2を全焼
1962(昭37)/04/18 大火 0:15頃、下田島の材木店から出火。18棟を全半焼
1963(昭38)/01/― 雪害 サンパチ豪雪。23日夕から猛烈な吹雪に見舞われ、10cm/hの降雪が続き、三六豪雪を上回る80年に一度の豪雪となる。26日22:20頃、大町[本町2丁目]の料亭が雪の重みで崩壊。28日には積雪425cmを記録、家屋の1階は完全に雪に埋まる。東別院の本堂で雪崩の危険が生じ付近の住民が避難。自衛隊に災害出動を要請し、延べ15,805人が派遣され、約132万トンの雪を除雪。2月1日には災害救助法が雪害では初適用。被害は全壊16棟、半壊11棟など。被害総額は66億9746万円[2926億1169万円]。2月24日には暖気により一気に雪が解け、融雪水による水害が発生、746棟が浸水の被害を受ける。>>>[ときの歴史]-[白魔との闘い]
1964(昭39)/05/03 大火 13:40頃、田町[本町2丁目]の銭湯から出火、10棟1,551m2を全半焼。失火原因は釜の火の逆流
1964(昭39)/06/16 地震 13:02、新潟地震発生。四日町で2階から飛び降りた女性が重傷を負う以外けが人はなし。林町の八幡宮の鳥居が倒壊し、架橋中の景雲橋が全体が上下左右に歪む。井戸場、荻島、柳場、三貫地では液状化現象で泥砂が噴出。>>>[plus+]-[新潟地震から40年]
2006(平18)/06/22 大火 8:10頃、本町3丁目の食肉惣菜店から出火、8棟530m2を全半焼、「丸井今井邸」の2階部分も延焼。失火原因は不明

*[ ]内は現在の名称などを示す。大火は明治期100戸、大正期以降は10戸程度以上が被災した火災を取り上げた。

度重なる大火からの経験則 〜ダシの風には火の用心〜

 明治以降でも多くの大火に見舞われた三条。どうしてこれほど大火が起きやすいのか。

 一番の原因は、フェーン現象である。台風が日本海沖を北上すると、台風に吹き込む南東の風が山越えの乾いた空気となって吹き下ろし、フェーン現象となる。秋に台風が北上しフェーン現象が発生すると、日中は20C°台前半でもにも真夜中でも30C°を超すことさえある。さらに火災のエネルギーである風が強く吹く。大火となる条件が揃っている。三条ではフェーン現象を「ダシの風」と呼び、火の始末に細心の注意を払った。

 さらに、大きな防火道路がなく、狭い路地が入り組んでいることも大火を起こしやすい条件となる。家屋が密集し、路地裏で出火すれば、周囲に燃え広がりやすい。さらに、消防車が駆けつけても狭い路地ゆえに消火活動に手間取ることさえある。

 他の地域であれば、台風が近づけば大雨、暴風に注意、対策を取るが、三条では何より「火の用心」が肝要となる。

 ダシの風が吹きやすい春から初夏にかけてと台風が日本海沖を北上する時は、特に火の用心に心がけなければならない。ダシの風が吹かなくても、木造の家屋が密集しているだけに大火になりやすい。

 その一方で、三条を火災から守る消防署、消防団も、もちろん手抜かりはない。毎年、五十嵐川の河川敷で大規模な防災訓練を実施し、市街地をパレードすることで、市民に防災を呼びかけていた。ただ、阪神・淡路大震災以降は震災対策に重点が置かれ、五十嵐川河川敷での大規模な防火訓練も実施されていないようである。

 ただ、「いざ、火災発生!」となると、消防車が一目散に現場に駆けつける。制限速度の80km/h(たぶん)で一般車両を「どけ!どけ!」と言わんばかりに駆けていく。三条の消防車の緊急走行は日本一速いのかもしれない。赤信号で一旦停止する救急車とは違い、消防車は一旦停止もしない勢いで駆けぬける。一刻も早く現場に駆けつけ、最小限の火災に食い止めるために。まさに、日本一速い消防車、それが三条の消防車である(と思う)。

このページの先頭へ|     【このページの最終更新日は