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Sanjô Flood 2004.7.13

被災記録

 諏訪の堤防決壊現場。破堤防止に最善を尽くした消防団員にももう為す術はない。 
 溢水寸前の一新橋。上流側の流木除けがいくつか流失し、こころなしか橋が下流側に傾いているようだ。一時は橋の流失さえ危ぶまれた。  多くの人が電気も水道も止まった自宅の2階に取り残された。県内外の消防が応援に駆けつけ救助に向かう。
 一時よりは水が引いたものの、まだ胸のあたりまで浸水している。左の小屋の屋根に泥が残っていることからも、小屋が水没したことがわかる。  北新保のきらきら保育園。車が完全に水没している。
 救助ボートによる人海戦術しか救う術はなかった。ボートが来るまでどんな気持ちで待っていただろうか……  新潟県警のヘリが救助に向かう。この他にも、自衛隊、海上保安庁、県外の救援ヘリがひっきりなしに三条の空を飛び交っている。
これらの画像は、三条市、新潟県から引用したものです。
 全く水が引かない。一面の泥の海に人間は自然の猛威を知らされた。

 あの日の“記憶”。

 「不意打ち」。

 五十嵐川の上流にふたつのダムができ、先人たちが幾度となく苦しめられた水害には、もう苦しめられないだろうと思っていた。誰もが過去の水害を、忘却の彼方に追いやってしまっていたのかもしれない。

 3日前の夕立ちの土砂降りで、やや冠水したところが出たものの、しばらくして水が引き、被害という被害ではなかった。夏の入りの頃には、激しい雷雨がつきもので、これが梅雨明けを知らせることさえあった。

 しかし、この年ばかりはそうはいかなかった。

 60年も三条に生きた人でさえ、あの日の朝の雨音は、今までに聞いたことが覚えがないという。

 五十嵐川の源流に近い下田村のふたつのダムでは70ミリを超す時間雨量を記録しているのだから、上流の山の方では相当降ったことが、後にわかった。

 あの日、13日は、誰もが「水」と闘い、死にもの狂いで肉親の安否を求めていた。肝心の電話は水没し、携帯電話も輻輳してつながらない。消防に救助を求めてもどうもしれくれそうにない。

 ある人は、車で外回りの営業中に、水害に遭った。「まるで津波のように」水が押し寄せた。Uターンもできず、とりあえず見ず知らずの会社の駐車場に車を入れた頃には、もうドアが水没する勢いで、命からがらその会社に寄せてもらった。一晩、その会社に身を寄せたという。


 水が引き、待ちかまえていたのは泥との闘い、復旧作業だった。

 一面の泥に覆い尽くされた我が家、工場の機械。あらゆるものが泥に覆われた。冷蔵庫はひっくり返り、浴槽には泥温泉とでも言いたいぐらい泥が貯まっている。あらゆる家電製品がダメになった。どこから手を付けていいのか、わからない。どこから手を付ければ、手っ取り早いのか、考えても答えは出てこない。とりあえず、どこからでもいいから手を付けなければ片づかないから、黙々と片づけの作業が始まる。

 我が家の泥出しの前に、ダメになった家財を出さなければならない。ここで流行った言葉がある。「生きてる」「死んだ」。この水害で犠牲になられた方、遺族の方々には不謹慎に聞こえ、お怒りになると思うが、家財道具のゴミ捨て寸前に交わされる言葉である。「(泥がこびりついた家財を指して)これ、どうかな?」。「生きてるろ」(使えるだろう)。「死んでるろ」(使えないだろうから、ゴミにしたら……)。ついつい、思い出の品や懐かしい写真が見つかると、手を休めてしまう。

 やはり、夜まで復旧作業を続けると、どっと疲労の色が出てしまう。

 けれども、語弊を恐れずにいえば、被災した人々の表情は明るい。どうしても、テレビや新聞では悲観的なニュースしか伝わらないが、若手は仕事が休めたからか、旧知の友人に久々に会えたからか、決して沈痛な表情ばかりではない。この災害をバネにしようという心の内がうかがえる表情でもある。明るい表情は、若手だけではない。昔懐かしい写真や思い出の品が出てきたのか、表情が緩む時もある。確かに、誰もが疲労の色、将来への不安を隠せないのは事実でもある。けれども、どこかに明るい希望を見つけ、それに向かって「ひたむきに明るく生きよう」という姿があった。三条人は強い。そして、なにより心強かったのは、県内外から駆けつけたボランティア。縁もゆかりもない人たちが駆けつけてくれた。本当にありがたかった。

 しかし残念なことに、疲労からか体調を崩してしまい、黄泉の国に旅立たれた方もいる。せめて、この方々は救えなかったのか…… 確かに災害による犠牲者ではないが、この方々も水害を遠因とする犠牲者である。


 ただ、三条市の初動体制に問題がなかったとは決していえない。「避難指示」(避難勧告よりも強制力が強い)を迅速に出した見附市の対応が評価され、避難勧告が遅れ、伝達に戸惑った三条市と中之島町の初動体制が批判された。

 確かに、自治会長に依存しきった避難勧告の伝達ミス、水害に対する心構え、問題点が多々あったことは確かに偽らざるを得ない事実である。自治会長が私用で市内に不在だったらどうするのか、今回の水害は、三条市の防災意識、危機管理を根底から覆すものであったことは間違いない。ただ、皮肉にも7月18日(日)に第二中学校で三条市総合防災訓練を実施する予定だった。この防災訓練も「嵐北地区において、直下型で震度6弱の地震が発生。嵐北地区では、道路が寸断され、建物被害も甚大。水道、電気、通信などの施設にも大きな被害が生じ、生活手段を失った被災者が続出し、また、情報伝達手段も奪われた状態」という震災を想定した訓練だった。もちろん、この防災訓練は中止されたことはいうまでもなく、今後の防災訓練もこの水害を教訓にしたものでなければならない。

 一部の報道で、三条市内に防災無線が各戸に備わっていないと指摘されたが、津波に襲われる地域でもなく、豪雪に襲われても防災無線はそれほど有用ではない。だから、三条には防災無線がなかった。けれども、これからは高齢者の単身世帯には、なんらかの情報伝達システムが必要だろう。例えば、消防署、消防団の車輌がサイレンを鳴らして各所を回るだけでも、私たちの心構えが違ってくる。つまり、「何かあるのか」という危機感を共有できる。

ラヂオは〜との名物?となった
市長の緊急割込“ガチャ切り”出演

 水害以後、ラヂオは〜とでは、高橋一夫三条市長の割込出演があった。ラヂオは〜とは「高橋三条市長の緊急割込放送」といっていたが、ラヂオは〜とのスタジオに高橋市長が行くわけがなく、災害対策本部がある市役所から電話での出演だった。

 「こちらは、三条市長です」。だいたい、このセリフから始まる。諏訪の決壊現場の仮堤防の構築状況や水害ゴミの収集状況を説明する。16日の五十嵐川再増水のときは「安全な場所に避難してください」と呼びかけた。

 しかし、緊急の電話出演ゆえ、「力を合わせてがんばりましょう」なりの締めのコメントが終わると、「ガチャッ! プーッ。プーッ。プーッ。プーッ」と電話が切られた。それもそのままラヂオは〜との電波に流れた。

 名付けて「ガチャ切り放送」。ラヂオは〜との名物になりかけたが、8月19日(金)に三条市長の電話出演は終了した。

 ラヂオは〜と(燕三条FM:コミュニティFM)で避難勧告を流したといえども、ふだん、ラヂオは〜とを聴いていた人はどれほどいただろうか。ラヂオは〜とにはかわいそうであるが、三条のためになる情報があまり流れていなかったのも、三条人にとってラヂオは〜とを遠い存在にさせていたことも忘れてはならない。だが、ラヂオは〜とは、今回の水害で、災害報道に強いといわれるNHKよりもきめ細かな情報を伝えてくれた。コミュニティFMの面目躍如といったところだ。復旧作業の傍らに流れるラヂオは〜と。水害後の三条でしばらく聴取率No.1だったのは、災害報道に強いNHKラジオでもなく、新潟大火、新潟地震に奮闘したBSNラジオでもなく、ラヂオは〜とだった。

 さらに、若手にとってインターネットが強力な情報収集武器となる。国土交通省によるリアルタイムレーダーや気象庁のアメダスなどあるが、県が設置した雨量計のデータをリアルタイムで閲覧できるシステムはない。さらに、水位さえも知ることはできない。そのようなデータが公表されれば、激しい雨が降れば自発的な情報収集、さらに避難態勢もとれ、自発的な避難行動につながる。ひいては行政側の負担軽減にもつながるはずである。

 ただ、このようなことは、災害から復興し、このような災禍を再び起こさないためにという時に、議論されなければならない。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」では、尊い犠牲を無にしてしまう。

 たとえ、二度と水害に遭わないようにと五十嵐川の改修が進んだとしても、「本当に水害は二度とないのか」と問われれば、自信を持って「Yes」と答えられる人は誰もいないだろう。常に行政側ももちろんのことだが、私たちにも危機管理・危機意識を持ち、ふだんとはちょっと違う様子であれば、「おかしい」と疑うのが、事前に災禍を防ぐ一番の方法なのかもしれない。

 最後に、三条市が市民に呼びかけた災害発生時の基本姿勢を紹介しておきたい。これは、三条市の広報紙「広報さんじょう」7月1日号に掲載されたもので、水害直前に掲載されていたのは何とも皮肉な結果としかいいようがない。

「自分のことは自分で」

 一見すれば、冷酷にも受け取られるかもしれないが、誰でも何もかも行政が面倒を見てくれるはずはない。確かに税金の使われ方にも問題があるにせよ、そんなことをしていたら財政破綻するのは火を見るより明らか。やはり、「自分のことは自分で」。そのうえでどうしても頼らなければならない時に行政が出てくる。そんなことを肝に銘じておかなければならないのかもしれない。

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