| 史料 |
場所 |
記事 |
メモ |
| 内廻状留 |
(特定不可) |
今町、家数同様皆潰れ、出火、内當支配所村々、其外村々十ヶ村、皆潰れ、出火も有之堤御面地大崩れ、割口より腐材木青泥吹出し大地相割れ、材木青泥吹出し候儀は右同断 |
今町他 |
| 三条町より三四里東まで |
三條町より三四里東まで、数十ヶ村、皆潰れ、大地相割れ、材木青泥吹出し候儀は右同断 |
|
| (特定不可) |
其外川添村々之儀は、……割裂缺崩等に相成、且村方に寄、田畑割裂、青砂吹出し、道路割損候場所も御座候 |
|
| 甲子夜話 |
柏崎 |
十一月十二日朝五ツ頃ヨリ地震シタルガ、コノ町方ハ、他ニ比ブレバ強キト云ニモアラズ、家居ユリ倒レタルコトハナク、所々土蔵の壁落タルト云ホドナリ、ナレドモ井ナドハ、所ニヨリ底ヨリネバ土、或ハ沙ヲ吹アゲテ埋リタレバ、村方ナドハ、所々呑水ニ困レリト |
|
| (特定不可) |
山崩立木根返り、里方村々、大地割破れ、砂水吹上げ候村々も数多有之、 |
三島・蒲原郡の村々 |
| (特定不可) |
山崩・田畑割裂候場所も多分御座候 |
三条町・三島郡 |
| (特定不可) |
田畑地割砂吹出場 |
蒲原郡新発田領内 |
| 大地震暦年考 |
(特定不可) |
行先地面割、砂を吹上、老若男女とも足を挟み、泥水を吹出し、 |
|
| 小泉文庫所蔵記録 |
堀溝川 |
専ら変とすべきものは堀溝川という川を塞げるなり、この流れは刈谷田川の枝川にてその源村松領下夕田郷に出ず |
|
| 弥彦山 |
かかる大変なりしかば弥彦山一丈ばかりもゆりあがりと云うもあり、又は三里ほど海中へ突出せるなど妄説をいひやせど、後に聞けば地震のをりは山いたく鳴りしことは有りしことなり、 |
妄説か? |
| 今井新田付近 |
今井新田の猟夫徳松は此時鐵砲を堤げて川島に出でありしに、川中所々波立ちのぼること或は五六尺又一丈ばかり、岸辺はひきしはの如く数町陸となれるを見しといえり、凡て江河の堤缺下り、ゆり窪めて川床高ふ押出し、又池沼の類ひも岸をくぼめ水中へ砂を震出し、平地より高くなれる所もあり、山地の井筋は凡て山崩れて所々ふさがり、平地のは大かた水をゆりあげ雑候蛙など岸にさまよへり。 |
|
| 鴉ヶ島(長岡領)・貝ヶ島(村松領) |
長岡領鴉ヶ島の井は水路凡二里、村松領は貝ヶ島井水路凡一里半共に山地にあり、皆埋れて其跡を失へりと云ふ |
|
| 鴉の森村? |
鴉の森村の前後信濃川堤外川原幅二三尺より二三間、長二三十間より三四百間、深さ三四尺或は八九尺所々破裂す。又陥りしところ数ヶ所にて井新舊川原地なども又之に同じ、 |
鵜の森の間違いか? |
| 前須田村・城腰 |
前須田村・城腰といへる畠地へかけ凡そ長二百間ばかりのうち地裂けて砂交りの水を吹出し、新之丞、孫七、孫八などが宅中へ水押入れり |
|
| 萩島新田・入野 |
萩島新田入野という畠地にては長八九尺、周圓四五尺ばかりの黒みたる埋木をゆり出し、 |
|
| 曽根新田・砂川原 |
曽根新田砂川原にても同じく周圓二尋餘、長八九間ばかりの大木をゆり出せり、 |
|
| 横場新田 |
横場新田忠治左衛門が宅地竹藪の地裂けしところより黒砂交りの水を吹出すこと高五六尺、近隣の家宅へ水押入りて皆逃げしといふ |
|
| 曽根新田 |
曽根新田佐助は籾をすりてゐたる折り、地震ふりきたるに驚き逃げ出で、宅に入れば寝所の下より砂水を吹出せるが、摺りたての米を押しながし、 |
|
| 未宝村 |
未宝村門岩郎が宅中も同じく許多の砂水を吹出せり |
|
| 上保内村 |
上保内村長泉寺の井水は清らかにして味美なりと世人は云へるを、水濁れば必ず變ありと古人傅へ來りしが、此年六月頃濁り、又十月の末濁あるを聖人心おちつかぬに、果して大震にあひ、かの寺は本堂、太子動などを破損し、庫裡は倒れ里の家は同じようになり、死に失へる人さへありといへり |
前兆現象か? |
| 妙法寺村・月岡村 |
妙法寺村と月岡村の間を提灯持ちて往來するもの、其提灯に火つきて焼きにけり、初め四五人がほどは己が粗末より出せしと思い居たりしに、日數經ちても人毎に皆同じ、こは狐狸などのわざにもあるかと後に變化のもの出る由噂高くなりて、夜は往來するものなかりしに心あるもの是を考へて、此地中の火気の盛んなるが眞火を與ふるなるべしと、抑も此妙法寺村百姓庄右衛門爐裡の隅に石臼をおきて、それに孔を穿ち其穴に土中より吹出る風に眞火をかざせば火となり勢ひ強く燃え立てかぎりなくもゆること世人に普く知るところなるが、地震になり後火をかざせば其烈しき事常より三倍の火勢を發すれば、出火をおそれしか日數をへて又常の如くなりぬといへり、元來此あたりは水田の中水沸々するところ、陸にては土中より風吹出る氣味ある所數多ありけり云々 |
|
| 全般 |
地動の先 十一月七八日頃より日々暁方より晨時ばかりに霧の如き氣立ちて、其深き時は僅に七八歩先に立てる人さへ見えがたく、又空はれわたりし時は太陽の周圓五彩たなびき虹にひとし、氣候も大むねそむけて高山すら雪を見ぬ暖氣につれて、萬木芽を生じ躑躅、水僊自ら花ひらけ、山葵、款冬花を市に鬻ぐ、我人後のうれひを知らねば春にあへる心地して物足り且暮のやすきを悦べり、 |
前兆現象か? |
| (特定不可) |
地震ふ様 地震のゆり來る様山野にありて見たる人の話によれば、初め西南より風立ちて砂ほこり眞黒に煙り立ち來る其の勢ひ、大波の衝くが如くうね立ちて地をゆり立て東方へすぎ行けり、其筋に立てるもの樹木は地を裂けたる口に轉び落つるもあり、 |
|
| 尾崎村と三條町の間 |
此時尾崎村善慶寺の住持は朝とく起き出で飯をも食せず三條町に至らんとする途にて此難にあひたり、されば起ることも得ず、ゆくりなく倒れながら東方を見れば、彼方なる山々暫時出没せし由を語る |
|
| 直木新田 |
又直木新田権八といふもの、其里近き江溝の中に雑魚すくひて□る折りから此難に遭ひ江の中にふり倒され、頓にはたちかねて岸にとりつきはひあがらんとせしに、目前なる田畠大波の押しゆく如く撼たて、庄瀬村のか□へすぐ、しばしがほど彼の里現はれかくれつして見えけりと云へり、 |
|
| 鴨ヶ池村付近 |
入蔵新田邑長源兵衛は蔵内村邑長勘兵衛とともに、此日吉野村より帰路鴨ヶ池村を過ぎ縄手道にかかる時、この地動に遇ひて後へころばさるを起きんとすれば又前へ倒さる、其のかわさたる田面をゆすること波濤に似て所々ごみ砂を飛ばすこと煙の如く、またたく間に一滴の水なき田面を泥水あぜの半をひたせり、翌る日其辺にゆき見るに水はなく、所々に地の破裂せるを見たり、このふ見し所は何れも皆地を押破りし時のわざなるべしと話せり、 |
|
| (特定不可) |
我隣邑某の家の前に建てる門(高さ一丈三尺、地の間八尺)あり、左右の本柱にならびて扣柱といふもの立てけるが、石にて根継きして深さ三尺程土中に埋め置きしを突きあげたれば、左右の塀をはなれ戸さし轉ばされ、五七間ばかり隔りて逆にたてり、此等の話によりて地震のすぐる様と震□の強く衝く其の烈しきさまを思ふべし |
小泉家の隣村か? |
| 前代未聞實録記 |
妙見宿より長岡より3里の間 |
妙見宿是より牧野備前守御領分長岡より三里の間田畑大に損じ大地裂け土砂吹出し、 |
|
| 越後國三條地震大變記 |
三條東御坊 |
十二日朝五ツ時頃東南の方より鳴出シ五六里四方大地を動り上候事五度也、六度目には東御坊を始め六里四方の町在々寺院過半ゆり崩し先ツ震初ニ名高キ三條御坊十五間ニ拾貮間の本堂八九尺程五度ゆり上六度目にはゆり崩し候……その内ニ大地の割口より火燃へ出し |
三条東別院 |
| 新潟市史 |
全般 |
北越天変記によれば…地盤に亀裂を生じて水砂を噴出し、 |
|
| 港街賛説 |
広範囲 |
越後大地震は、今茲文政十一子年霜月十二日なり、辰の刻頃俄にゆり出す、長岡、新潟、三條、今町、見附、與板、つばめの在々村々、数多の家々ゆり崩すに、大地われて泥砂を吹出し |
|
| 注解新潟県地震年代表 |
一般 |
この地震を調査した市之瀬の人で地理風俗研究家の小泉蒼軒は、地盤の弱いところは水・砂をふきだしたが、家屋の倒壊などの損害は少なく、堅い地盤のところは家屋の倒壊・人命の損亡の被害がおびただしかったことを報告している。 |
|
| 下川西の歴史 |
下川西 |
当地でも土地に変動が生じ、ただでさえ溢水しやすい地が、ことあるごとに水びたしになり、 |
|
| 下川西 |
右転変の跡、益水仕不宜、其後、壱年も無間断水難を受、田畑捨り地同様ニ相成候故、 |
|
| 古記録から見た文政の三条地震 |
長岡 |
(長岡城下)本丸、二の丸内ではニ〜三寸の幅の地割れが生じ、また中島辺では幅長さ二〜三尺、長さ数丈に及ぶ地裂を生じ、青粘土を露出した… |
|
| 中越大変地震録 |
曲谷村 |
左程の痛ミなし、しかれ共、山々の崩れは恐敷次第と承る |
|
| 上保内村石川新田 |
悪水の難を遁かれんと前に土手高ク築あけ置しに、土手よりハ居屋敷ハ七、八尺も久保地の居屋敷を四、五尺も土手より高くはりあけし事不思議なり |
|
| 鵜森村 |
順行寺と申寺あり、宗旨ハ浄土真宗なりしか、此寺の寺内八角に地震ニて割れて地の下より赤砂を持出し、青砂抔とを持出し |
|
| 方所 |
方所と申て見附町より半道計り、長岡の方によりて家数四拾軒も有之村有り、此村の囲ひ土手ハ拾間計リ平地の如く土中江沈ミし故 |
|
| 資料三条地震 |
新潟白山前御蔵所辺 |
大地破り水吹上ヶ三四日ほとの内不止其外所々青砂吹上ヶ候事夥し同所不動院の縁下より青砂吹出し縁板盤共吹上又川々堤通は所々川中へ揺込当時水底同様相成候場所も有之 |
|
| 与板〜加茂 |
所々夥ク平地吹破水青砂等吹揚ケ又埋レ木財木等吹出し候場所も有之候の義 |
|
| 鵜森組・加茂組・中ノ嶋組・大面組 |
田畑割砂吹出場所数拾町歩堤通割数百ヶ所 |
|
| 一の木戸村 |
堤通百三十六間程割 |
|
| 田嶋村 |
堤通長百十間余割 |
|
| 小高村 |
堤通長五十三間程割、堤内畑方所割青砂吹出有之 |
|
| 杣木村 |
畑方所々割青砂吹出 |
|
| 大田村 |
堤通長弐百間程割 |
|
| 大曲村 |
堤通弐百四十間程割、田畑野方之内所々割青砂吹出申候、田方一区揺窪メ変地可申候 |
|
| 熊森村 |
堤通百五十間程割 |
|
| 月潟村 |
堤 並道 百間程割 |
|
| 笈ヶ嶋村 |
堤通四百七十五間程割、村往来弐十間程穴崩 |
|
| 四日町村 |
川前痛長五十間但青柳持より大川端迄、同百間但丁刎より渡場迄 |
|
| 中新村 |
堤通痛百間、同八十間但籠場村之立会会場所也、田畑所々痛百間 |
|
| 籠場村 |
堤通大崩拾三間、同痛百五間 |
|
| 東大崎村 |
山大崩十三ヶ所 |
|
| 上ノ原村 |
往環道抜七十間、田痛長六十間但所々砂出申候、山崩壱所 |
|
| 柳沢村 |
山大崩五ヶ所、山道千軒余抜下り |
|
| 石上村 |
川前畑痛長百間但めり込壱ヶ所、大われ壱ヶ所九尺位より四五尺位迄 |
|
| 下須頃村 |
堤通千間痛、たおれ木数不知 |
|
| 上須頃村 |
畑方痛四反弐歩、堤通痛百九十弐間但三ヶ所 |
|
| 井土巻村 |
東西百五十間但し四尺位より九尺位迄大われ壱ヶ所、東西長百間但右同断、東西長百弐十間但し右同断、〆三ヶ所但何れ三四尺位平地より沈み申候 |
|
| 井戸巻上須頃下ヶ口 |
長三百間但在来江底より平均三尺五寸位砂吹出申候 |
|
| 井土巻村下ヶ江 |
長三十五間但在来江底より平均四尺五寸位砂吹出埋ミ申候 |
|
| 中村(嘉茂組) |
所々畑方三四尺壱丈程の割口より黒砂交りの水吹出し畑方一円水面ニ相成り |
|
| 横場新田(嘉茂組) |
黒砂水を吹出五六尺も飛上り忽水面ニ相成其辺床上り仕候ニ 付貝吹立候処村方夫集り候へ共防方無之如何相成候哉と心痛 仕候吹出候水湯のことく暖有之候 |
|
| 三貫地新田(嘉茂組) |
堤通りめり込少々出水ニても越水ニ相成候 |
|
| 曽根水口(嘉茂組) |
砂川原へ廻り弐尋余長八九間の大木吹出 |
|
| 嘉茂川 |
地震以来地中に包居候水一時ニ発し地より湧出山崩等に相成嘉茂川前代未聞の大水仕候と申事ニ御座候 |
|
| ?(大面組) |
砂吹出し候事当組辺ニ無御座候 |
|
| 御上知村?(大面組) |
当組御上知村々山数十ヶ所大崩其外小崩の場所は数百ヶ所有之嶺は壱尺より弐尺位の破疵山毎有 |
|
| 見附〜村松城?(村松領) |
村松御領見付町より村松御城下えの往来道見付在峰崎より塔ヶ嶺の小坂迄凡壱里程所々道堅横ニ破或はめり込一円砂吹出 |
|
| 庄川村 |
禅宗庄川寺裏山動崩庫裡押潰堀溝村沢ヲ隔東西ニ有之候山双方より崩出東西の山裳合一ツ山と相成候由ニ御座候 |
|
| 如法寺村 |
御存上候通火色有之候故歟地震の節村際田方の水湧立所々壱弐尺位つゝ水吹上 |
|
| 荻島新田 |
荻島新田地内字入野と相唱候堤外畑方の内へ長八九尺計ニ而廻り四五尺位の黒キ杭木様の木平地より弐三尺許り出居申候 |
|
| 大島新田・代 官嶋新田・井戸場新田・新飯田新田・上 新田・鵜森村 |
一円砂吹出相埋村々当惑仕候仕合ニ而砂の高サ三四尺位より多キ所は八九尺壱丈計有 |
|
| 田中新田 |
百姓庄右衛門と申者の庭地震の節縁ニ裂候而右裂口より水を吹出候 |
|
| 前須田村 |
村人家有之場所より字城之腰と申候畑方の通凡長弐百間程の内砂交りの水吹出候事 |
|
| 真木新田 |
江堀の内え被振転起上り候義不相成江堀の岸ニ掴付漸立上リ驚見請候処四面平地大波の如く撼立其波西より来東庄瀬村の方え参候ニ付触ク見留居候得は庄瀬壱村右の波影ニ罷成相見不申候歟と思候内亦顕レ出見へつ隠ついたし候由ニ御座候 |
|
| 古川新田 |
名主林之助義右地震の節外面ニ逃出候処宅前の庭中真一文字ニ裂割冷敷音ニ而高サ五六尺程も水吹上ケ縁下所々よりも埃砂交ニ而…屋敷外畑共一面水吹出し白押ニ相成候…津波同様の有様 |
|
| 脇川新田(中之嶋組) |
井戸深サ三間余も有之其中え釣瓶を下ケ置諸々綱を車輪に引懸置候処地震強き砌右釣瓶投上ケ候如ク井筒より五七尺程上へ飛上り又如元落下リ候無間も湧立候水と倶に猶又釣瓶浮上リ付け置候縄の限庭え転ひ出し候義等家内のもの見請候由且幸蔵翌日井の脇え参見候処水は元形リ治り候得共中より吹出候白砂多分井の辺ニ有之候 |
|
| 堀溝川・堀溝村(村松領) |
刈谷田川の枝川村松御領分堀溝川の義同御領分下田郷と御上知大面組吉野谷村山境より流出川路凡壱里余も有之細川ニは候得共余程流強御座候故見付郷壱万石余の用水路も右川より分水ニ而事足リ候処山脱ニ而所々堰留六七ヶ所も水湛ニ罷成居後日堰切ニ相成候ハゝ川縁ニ有之候堀溝村覆リ可申体ニも相見候ニ付村所々え引移候 |
|
| 中西村 |
平地より窪ミ候処有之候尤平地田畑ノ裂ケ候処よりは青砂水を吹出為夫地窪の処ニ而は暫時の内多分水湛ニ相成床上リ等も有之候 |
|
| 高山新田 |
|
| 下関新田 |
|
| 丸山興野堤通 |
|
| 並村(鵜之森組) |
地の裂候場所々々ニ而は家小屋等の破損小分ニ有之候 |
|
| 地蔵堂町(村上領) |
|
| □野田 |
地震の砌衛(街カ)道筋往来の者又は野田等ニ罷出居候者申候は西の方より砂埃り真黒ニ煙リ立東手へ吹付大波打寄せ候体ニうね立地所動リ立候処振転し或は地の裂候処え被挾候もの等も有之暫時の内何れにも往来相成不申候 |
|
| 大地震一件 |
長岡中島辺 |
長岡辺にても地破れ青粘土吹出す翌春中島辺へ野遊びニ行きしに幅二三尺長サ数丈地破裂せし場所所々にあるを見たり |
|
| 越佐史料稿本 |
三条之陣屋(村上領) |
三条之陣屋外堀壱丈三四尺地底より青砂吹出し埋候、其内五間ニ廿五間之籾蔵去る廿九日之夜一時ニめり込候 |
|
| (不明) |
田畑地割砂吹出場弐百八拾壱町四反歩 |
|
| 大風地震等災害書一 |
出雲崎 下町 |
出雲崎下町皆潰弐軒、土蔵壱ツ同断、其外同様山崩れ有之、同町後山頂ひびき八間程われ申候 |
|
| 文政十一戊子年十一月十二日大地震一件 |
三条・見付間(松平越中守御預所) |
辰の上刻乾之方ニ当リ大炮撃放候如き鳴音両度聞候故如何様成儀ニ有之哉と不審ニ存罷在候内無間茂家居震立候間一同打驚肝を冷し親を懐き小児を抱ひ別間に罷在候兄弟姉妹等を呼立一同逃出可申与存候内忽地裂熱き泥を吹出し |
蒲原郡2ッ村、古志郡52ヶ村 |
| 三条・見付間 |
大地震ニ而民家夥敷震潰地面割裂熱キ泥土吹出 |
| 新潟県史資料編七近世二中越編 |
草生津 |
村中ノ井戸一ツも用立不申、大地割レ青色のどろ吹出候由 |
|
| 三条市史資料編三・近世一 |
西本成寺 |
御番神様ハ本社ハ少し西南へずり、拝殿ハ柱おれ、西南へ壱尺程大かしけ潰れの計リニ御座候 |
|
| 見附市史上ノ二 |
内町村 |
片平山二カ所、竪二○間横一○間程ツゝ山抜ケ、江筋埋り。大谷砂山、竪三○間横七○間程山抜道筋潰。 |
|
| 峰崎村 |
三貫野往来町口四五間抜落、同所一九間程抜落江筋潰、同所 二○間程往来大破、竪五間横十二間程山抜江筋潰、同所竪五間横一○間程山抜江筋潰、同所一○間程往来大破、同所六間程同断、同所竪三間横六間程山抜江筋潰、同所往来二五間程大破□水刈谷田川へ落、同所往来三五間程大破、同所往来一五間程江筋へ抜落、同所往来四○間程大破 |
|
| 柏崎編年史 上 |
比角村挽木町(桑名柏崎領内) |
比角村挽木町の「まがりと」辺では大地が裂け、青粘土が吹きだした。 |
|
| 村松領大地震之節諸事扣帳全 |
東新潟村 |
本堤馬蹈半分長サ弐拾三間程田之方江抜下り申候 山ヶ 堤馬蹈弐尺程長サ拾間程田之方へ抜下り申候 山伏木堤馬蹈半分長サ三拾間程割レ申候 湯殿山下往来道長サ弐拾五間程割レ申候 同所継キ四五間宛三ケ所割下り申候中往来之内伴之丞前より仁右衛門迄之間は一尺程長サ四五間
程宛四ヶ所江ノ方へ抜下り申候 |
見附市 |
| 東新潟村−中村の間 |
小坂道半分程長サ拾二三間宛二ヶ所割レ下り申候 |
| 天徳寺境内 |
内山裾通不残深サ五尺程長サ三拾間程ツゝ弐ヶ所抜下り前庭道二尺程宛長サ拾二三間抜下り申候 |
| (不明) |
太平堤馬蹈長サ六拾間程割レ少々下り申候 |
| 出雲崎町史編纂室収集文書 |
船橋村 |
居屋敷内数ヶ所大割免り込 御田地数ヶ所割崩所々免り込用水堰弐ヶ所半崩 用水江筋堤通り半崩 往来作場道大 割崩落人馬通行差支 御田地内作場道橋大割免り込 |
|
| 山谷村字諏訪之下 |
下之田壱反四五畝も山崩ニ相成候 |
|
| 白根市史巻二近世史料 |
上八枚村?(赤渋組) |
堤通八拾間程之場所土中割込 |
|
| 原町問屋日誌 |
一般 |
地面所々われ泥押出し候場所も有之候由 |
|
| 文政十一子年十一月十二日辰ノ刻大地震ニ而破損村々取調帳控 |
新潟白山 |
新潟白山御蔵所辺大地吹破れ水を吹上凡三四日程不相止まる其外所々青砂吹上候事夥敷 |
|
| 不動院(新潟) |
同所(新潟白山)ニ而不働院縁下より青砂吹出し縁板疊共吹上川之堤通りは所々川中江ゆり込当時水底同様ニ相成候 |
|
| 加茂地域における三条地震の被害と救済 |
鵜森 |
この村の順行寺(浄土真宗)境内では、地割れが起き、地下から赤砂・青砂が吹き出し、庭一杯になったという液状化現象による噴砂が起きている。 |
|
| 文政十一子年十一月十二日地震ニ付き□所損死人怪我人御届写 |
見附駅及び下田郡近辺 |
見附駅并下田郡近辺去十二日辰中刻地震強所々地割山崩川欠潰 |
|
| 苅田郡椎谷 |
苅田郡私領分椎谷居所同町方在方共当月十二日辰刻大地震□地割大破之場所出来 |
|
| 栄村誌上巻 |
新潟白山 |
新潟白山前の御蔵所あたりは大地が破れて水吹き上げ(中略) 又、川々の堤通りは所々川中へ揺れこみ水底になったような場所があり反対に川筋が浅瀬になって渡船が差支えるようになっ
た。 |
|
| 与板〜加茂 |
与板近くから加茂辺までは所々多く平地が破れて水や青砂が吹きあげ、埋れ木や、木材など吹きだした地所もあった |
|
| 中之島 |
平地より窪み候処之有り候処よりは青砂水を吹出しそれがため 地窪の処にては暫時の内多分に水湛えに相成り床上り等も之有り |
|
| 中西村 |
|
| 高山新田 |
|
| 下関新田 |
|
| 丸山興野堤通 |
|
| 長岡の歴史 第二巻 |
一般(長岡藩) |
藩が十二月二一日に幕府へ報告したところでは……
一、山崩 六百六十五ヶ所 |
|
| 新発田藩主溝口家御記録「歴代廟記」抄 |
新飯田 |
三条地震のため信濃川筋新飯田地先にて隆起、上流信濃川筋道金(燕市)まですべて中ノ口川筋となる |
|
| 高柳町史本文編 |
大島 |
この三条大地震により信濃川の隆起陥没があり信濃川の河筋も動いている。国道8号線の大島地内に通りかかると、160年過ぎた現在でも堤外の野菜地帯に地震前の河筋の状態をうかがえ知ることができる。 |
|
| 燕市史 通史編 |
如法寺 |
越後七不思議の一つに数えられていた火井が、十月中旬頃から点火しなくなり、地震後再び点火できるようになった。 |
|
| 三条市史上巻 |
東本願寺別院 |
東本願寺別院の本堂は一五間に一二間の豪壮なものであったが、五回にわたって八〜九尺ほど揺りあげられ、六回目に崩壊した。参詣者の中には潰れた堂に手足をとられた人たちが多数いた。外へ逃げ出した人の中には大地の割れ目に落ちて死亡する者もあった。そのうち大地の割れ口から火が燃え出し、寺の台所辺に移り、やがて一面火の海となった。 |
|
| 三貫地新田 |
堤通りが陥没したため少しの出水でも水が堤を越す状態となった。堤防の亀裂の中には、二尋の竹が届かないほど深いものもあった。 |
|
| 荻島新田 |
長さ八、九尺、周囲四、五尺くらいの黒ずんだ埋れ木が、地下から揺り出され、二、三尺ばかり畑に突き出した。 |
|
| 井戸場新田 |
地面の割れ目から水や砂を噴出する流砂現象がみられた。 |
|
| 如法寺 |
如法寺では地震の際に、田圃の水が湧き立ちところどころで一、二尺くらい水が吹き上げ、地面の各所から火が出た。そこで七、八日間昼夜にわたり交代で火の番を立てた。また、如法寺と月岡の間を提灯をもって歩くと、提灯に火がついて燃えてしまった。…幾日たっても誰もが同様であったので、狐か狸の仕業だろうと・・・ |
|
| 東鱈目・西鱈目・金子新田・袋 |
地殻の変動が激しく、各川の川底が上昇したため、耕地の排水が悪くなり、湛水するようになった。 |
|
| 近江国鏡村玉尾家永代帳 |
一般 |
所ニより三尺四尺大地めりこミ青砂吹出シ、 |
|