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1828 Echigo Sanjô Earthquake

天災は忘れた頃にやってくる Disaster strikes when it is least expected.

地割れ、噴水・噴砂、ガス自噴……

 三条地震の被害は、家屋の倒壊、火災だけでなく、地割れや液状化現象と考えられる噴水・噴砂も記録されている。『三条市史』の東別院の被害に関する記述では、5回にわたって8〜9尺揺れ、6回目に崩壊、参詣者の中には潰れた堂に手足をとられた人が多数いて、外へ逃げ出した人の中には大地の割れ目に落ちて死亡したと書かれている。

 この他にも信濃川、五十嵐川などの堤防各所で地割れが生じ、「新発田藩主溝口家御記録」では「三条地震のため信濃川筋新飯田地先にて隆起、上流信濃川筋道金まですべて中之口川筋となる」と信濃川の川筋が変化したと記録されている(植竹富一他[2002])。

 さらに、三条を中心に新潟付近から長岡付近までに及ぶ広範囲に液状化現象と考えられる水が噴き上げたり、砂が噴出したことが記録されている。1964年(昭和39年)の新潟地震でも液状化現象が注目され、2004年(平成16年)の新潟県中越地震でも液状化現象が確認されているが、三条地震でも「水や青砂が吹きあげ、埋もれ木や木材など吹き出した」ところが多くあった。

『北越奇談』(葛飾北斎画)より引用

 その当時、現在の三条市如法寺では天然ガスが自噴していたといわれている。それは、たちばな崑崙こんろんが1811年(文化8年)に書いた『北越奇談』にも書かれている。

 火井かせゐ三条さんぢやうみなみばかり山のふもと入方村によほうじむら即入方寺村なり。又妙法寺又如法寺ともいう。それがしという百姓ひやく志よういへすみ石臼いしうすをおき、そのあなたけをさしをかざせば、すなわちこゑありてうつりさかんもゆるとしやくばかりならん。縦横じゆうをうたけをくみあぐれば、そのたけあなごとにみなもゆる。たけすこひきあぐれば、なかばたへてなく、うへにばかりさかんなり。みな土中どちうよりのぼれるのもゆるなるべし。一説いつせつ硫黄ゐをうといへど不然しらぞ硫黄ゐをうすなはちとを土中とちういり地中ちちうも又もゆるなり。これかならず臭水油くさみずあぶらなるべし。およそ国中こくちうこれるいする所はなはおほし。柄目木村からめきむらすなはち入方村によほうじおなじ。
 火井は三条から南に一里ほどの山の麓の入方村(入方寺村である。妙法寺または如法寺ともいう)にある。その百姓某の家の囲炉裏の隅に石臼を置き、その穴に竹をさして火をかざすと、音がして火がうつり、さかんに燃えて炎は一尺もあがる。縦横に竹を組み合わせれば、その竹の穴ごとに火が燃える。竹を少し引き上げるとその中間に火はなく、上にだけ燃えている。これは土の中から出てくる気が燃えるのだろう。一説に硫黄の気だというが、そうではない。硫黄だったら火が土の中にも入って、地中でも燃える。これはきっと臭水油の気である。国中にこのようなところは非常に多い。柄目木村(新潟市)も入方村と同じである。

 この如法寺の自噴天然ガスは1645年(正保2年)に発見されたといわれ、『和漢三才図絵』、『越後名寄』などに紹介されてきた。三条地震の発生時、如法寺ではところどころで水が噴き出し、地面の各所から火が出て、火の番を立てた。月岡との間で夜に提灯を持って歩くと、提灯に火が点いて燃えてしまった。はじめは自分の不注意と思っていたが、誰もが同じように提灯を燃やしてしまうので、夜道を歩く人はいなくなった。これは、地震によって天然ガスの自噴量が3倍に増えてしまったためで、数日後には収まったという。

備えあれば憂いなし Prepare for the worst, and you'll have no regrets.

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