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古文書の記録
1828 Echigo Sanjô Earthquake

天災は忘れた頃にやってくる Disaster strikes when it is least expected.

小泉其明・蒼軒が記した『懲震録ちょうしんひろく

 三条地震の各地の被害を丹念に見て回り、記録した親子がいた。小泉こいずみ其明きめい蒼軒そうけん親子。

 この親子が記したのは、『懲震録ちょうしんひろく』と『懲震鑑ちょうしんひかん』。「地震に懲りて、つつしむ」記録、図鑑。こんな意味が込められた記録は、三条地震の被害の様子を後世に伝えている。

『懲震録』目次
  • 地理のあら
  • 地動の兆
  • ゐふ滿
  • 山水の轉變
  • のがんとして却て死寿
  • 不意して死をの
  • 慾ハ止りもの
  • 愚直るもの
  • 力およる類
  • 貞操
  • きもの
  • 神祗の威コ
  • 忠勇
  • 死をさと死せ
  • 心を動せさるも
  • 臆病
  • 我身のうへ

 『懲震録』は、主に小泉其明の手によって記されたもので、三条を中心に広範囲な調査、聞き取りを、16項目に分類し、場所・人名を付して詳細に記録している。さらに、解説「或問わくもん」を付し、広範な引用文献から、地震に対する考え方、対処、前兆や予測など、小泉其明の考えが展開されている。この『懲震録』を含む「小泉蒼軒文庫」は、1993年(平成5年)1月20日に当時の新津市文化財に指定された(新潟市の指定文化財に継承)。

 一方の『懲震鑑』は、地図上に被害地域を明示し、各地の惨状を29枚の絵で彩色克明、詳細に描写したものである。これも、1980年(昭和55年)3月22日に当時の新津市文化財に指定された(新潟市の指定文化財に継承)。

題首

文政十一年霜月十二日辰ヵり我越後國ゐふりて世悲しう浅間しき事のミおりし中も古志三島の二郡東北のとりり蒲原郡の南邊へけて殊みしくわ南北十里東西七八里はる人千をもてかぞへハつくヵりの疵おへりるハくらとふ數を久方のる神もおとろ\/し地の底とみつゝ山くつてハ谷を埋ミ河の堤さけてハ水溢さらぬ處おちりて水涌きいさこき出て水田ハ畠高く岡ハ忽ち池沼りぬさる道行人大路 ふれ家る人ハおしうれぬあしくひて程なしき茶煮る火もをさめあへ ふれる家々りやえあほのハ幾里とふかきりも滿こと 虚空みち\/たおさのとも息たさるハ煙の下牛馬のくるしみゆる聲々されとハ聞ゆれとあハれとふへき滿もなけ救む人もあらさめりた\/のれ出うつし心皆うてとさまかうさ滿はしふのミり或ハ心とく家を出てる穴おちるハ涌出る水又ハふるゝ植木ウヱキしくりぬるもおし時の間家めくのハをさ\/見\/殘は柱くしけ梁くけたるにはしとにこれな地ゆるきてかりそも入へきやうれハ折しも空きくらしみそうちふ吹風ハ刃としく身さえととも雨ふせくの夜の滿とハ更綿衣とつにえとりいてハ布肩衣のつち滿て飯寿く霜の中にしまろひつゝ日をは侘しも悲しともつねてそされ神仏のみしき調度の具との(どろ)滿みれてふ人ふミるゝをすらかへりみくとハ大空をふきてつらし苦しとなきふのミりきかくておやけつお\/人あ見めらせ給ひそのと\/をヵりて御恵の多く下し給ひ皆人やう\/心をさまりて春まつつきをももとむる事とは抑かゝる禍事(まがこと)みしうかしことしへも言つ\/つハりる事ら誰\/のつのこさりのミ聞過ら斯さし当りてハうつし心もうりさウマく常へてほど\/をも用ひおきしかハ滿かうやハあらすやう\/心おちゐるまゝにとせりきかくせさりきおもふ事のみらむせめてハこひかゝるしおきて子孫ウミノコましともしきワザとおもひるま\/さハひのておのりからうして遁出ての心地な滿見聞つる有さ滿をかもうつし出て見やと思ふちなミにこの里ならぬものしてんと寿さるハやくなすさみとらふ人おりぬへと当時もつへてあらかしめ心得おむ料もとてむかくふハ文政十二年己丑九月 今町の里人 小泉其明

※ 「\/」はくの字点を示す。原書は縦書き。

 『懲震録』は、新津古文書研究会が2007年(平成19年)に『翻字 懲震録』として、原資料を活字書籍化した(なお、『翻字 懲震録』は非売品で、新潟県立図書館などで閲覧できる)

小泉其明・蒼軒親子

小泉其明きめい

 小泉其明は1761年(宝暦11年)、二代目本間作十郎の子として新潟に生まれた。名は文恕。通称善平。号は其明または白水はくすい

 年少の頃、小泉家に養われ、その恩義を感じ小泉姓を称した。長じて各地を遊歴し、長崎でオランダ人に測量術を学ぶ。新発田藩主の命で越後と佐渡を実測し、1817年(文化14年)「越後全図」などを完成させた。また「越後志」(地図に対応する記述、地理歴史)の作成も手がけていたが完成を見なかった。1836年(天保7年)75歳で没した。

小泉蒼軒そうけん

 小泉蒼軒は1797年(寛政9年)、其明の長子として中之島組今町(現見附市)に生まれた。名はもとかず。通称善之助。号は蒼軒。別号として橋東、雲棲、翠松軒、方円居、などがある。

 生来鋭敏博覧強記を以て聞こえ、あらゆる学問に通じたが、父其明の志を継いで、地理学に最も精通し、越佐の地誌調査編纂に力を注いだ。「越後志」全巻は未完であったが、「越後志」(村落部)、「越後志料」「越後志草稿」「越後括地誌」などの地誌類のほか、歴史、国学、民政、測量額、治水、民俗その他に関する著作などは363冊に上る。1873年(明治6年)没。

備えあれば憂いなし Prepare for the worst, and you'll have no regrets.

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