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弥彦東線廃線跡を巡る

弥彦東線略史

 弥彦東線やひことうせんとは、旧国鉄の弥彦線やひこせん東三条ひがしさんじょう越後長沢えちごながさわ間を特に指す名称で、現在でも残っている弥彦−東三条間を「弥彦西線やひこさいせん」として区別するときに使用された言葉である。

 弥彦線は、大正時代に私設鉄道「越後鉄道えちごてつどう参宮線さんぐうせん」として建設が進められ、越後一宮「彌彦やひこ神社」への参詣客を輸送するため、弥彦側から延伸され、1925年(大正14年)4月10日に燕から一ノ木戸(現在の東三条)まで延伸した。さらに路線は南東へ延び、1927年(昭和2年)7月25日、東三条−越後長沢間が開業した。その後も八十里越えで福島県側まで路線を延ばす計画があったらしいものの、線路は越後長沢で止まった。開業から2ヶ月余後の10月1日、越後鉄道は国有化され、「弥彦線」と呼称されるようになった。開業以来、南蒲原郡三条町と大崎村おおさきむら長沢村ながさわむら、その奥の森町村もりまちむら鹿峠村かとうげむらを結ぶ重要な足として、貨物路線として活躍した。

 しかし、大東亜戦争(太平洋戦争:第二次世界大戦)の戦争資材確保の名の下、1944年(昭和19年)10月16日、線路が撤去された(正式に運輸営業を休止したのは18日)。

 1945年(昭和20年)8月15日、15年にわたる戦争に終止符が打たれ、日本は戦後復興に向かって歩み出す。線路が撤去された東三条−越後長沢間に線路が敷きなおされ、再び列車が走ったのは1946年(昭和21年)10月1日のことだった。1949年の「日本国有鉄道」発足により、国鉄弥彦線として、再び“地元の足”として活躍した。

 1984年(昭和59年)4月8日、弥彦西線(弥彦−東三条間)が越後線とともに電化された。弥彦東線は電化されず気動車が走り続けた。このため、電化前の弥彦−越後長沢間の直通運転は廃止され、専ら東三条−越後長沢間の区間運転のみとなった。国鉄の累積赤字再建策の名の下、全国の赤字ローカル線が廃止されていく中、弥彦東線もその使命を終えることとなった。弥彦東線は赤字ローカル線として名が上がっていなかったものの、弥彦西線の電化と引き換えに、弥彦東線の廃止を国鉄、三条市、下田村の三者で合意していたといわれている。末期には東三条−越後湯沢間に朝夕1往復ずつの2往復、高校生の登下校時間に合わせて運転されるのみとなり、バス路線も充実していることからすんなりと廃止が決まった。

 1985年(昭和60年)3月31日、戦時の一時休止があったものの、58年間、三条・下田の人たちに親しまれてきた弥彦線・東三条−越後長沢間は、その使命を終え、二度とここに列車が走ることはなかった。

 廃止後、廃線跡は国道289号線として整備され、今では当時を偲ばせるものはほとんどない。

東三条駅跨線橋から三条駅方を望む
 画像左側のロータリーの右には、弥彦線のホーム4・5番線があった。しかし、三条市内の高架事業により弥彦線のホームが0番線に新築され、駅南口の整備工事とともにホームも貨物向けのヤードも必要最小限を残し撤去された。中央の柵伝いに高架前の弥彦線があった。右側に東三条駅の信越本線のホームがある。
東三条駅南口
 弥彦線の高架事業の完成を機に新築された東三条駅南口。4・5番線ホームにつながっていた跨線橋を再利用して、階段下にエントランス部分を新築。屋根下の青いビニールが被されているのは雪国では欠かせない小型ラッセル機である。跨線橋内に簡易券売機が設置され、ここから列車に乗ることができるが夜間は閉鎖される。奥に見えるのは信越本線の2・3番線ホーム。なお、自動改札機が導入されたことを契機に、南口にも駅舎ができた。
弥彦東線廃線跡から東三条駅方を望む
 弥彦東線の廃線跡は、広い道路に整備された。奥に見えるのが東三条駅。14年前であれば、ここに気動車が走り、「まもなく、東三条」と車内放送されていただろう。右手奥方にJR貨物の東三条貨物駅がある。
越後大崎駅跡
 ここは、越後大崎駅があったと場所で、駅舎は画像左手の交番にあったと思われる。廃線跡の道路は、国道289号線として整備され、地元では「下田バイパス」と呼ばれることもあるそうだ。この場所だけ道路幅が広く、越後大崎駅があった場所だと簡単にわかる。
清流大橋(弥彦線鉄橋跡)
 下田から三条へ流れ、信濃川と合流する清流・五十嵐川。三条と下田はこの五十嵐川に育まれてきたといってもいいだろう。この清流大橋は弥彦東線の鉄橋跡にかけられた道路橋である。>>>[五十嵐川]
越後長沢駅跡
 弥彦東線の終点・越後長沢。全く駅があった面影やレールの跡もない。ここから奥に向かって列車が走っていた。
長沢駅跡バス待合所
 廃止から20年。そこにレールがあったと思わせるものはほとんどなかった。ただ唯一、越後長沢駅跡に建てられたバス待合所の看板に「長沢駅跡バス待合所」と書かれ、ここに越後長沢駅があったことを教えてくれる。中央のバスは越後交通の子会社が運行しているバスである。

これらの撮影は、1998年(平成10年)8月である。

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