| All that's Sanjô |
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三条のおまつり
( 三条地域のみを掲載しています )
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三条八幡宮
(新社殿に再建される以前の2004年〈平成16年〉5月撮影) |
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| 浄土真宗大谷派三条別院(東別院) |
献灯祭
1月14日夜〜1月15日未明 三条八幡宮
三条などでは、1月15日を「小正月」と呼び、嫁いだ妻が実家へ夫とともに帰る(お里帰り)風習がある。ちなみに、年末年始には実家に帰ることはない。また、成人の日が1月15日ではなくなったため、第2月曜日の成人の日にお里帰りすることが多くなった。
ところで、毎年1月14日夜から15日早朝にかけて行われる八幡宮恒例の「献灯祭」は、江戸時代から行なわれてきた三条の冬の風物詩。八幡宮の社殿には、氏子から献納される巨大な蝋燭(直径50cm、高さ1m、重さ30〜50kg)に灯りが点され、三条市民の繁栄と家内安全、商売繁盛を祈念する。御神灯は幸福な前途を照らす灯明として、広く信仰されている。
>>>詳しくは、三条市経済部商工観光課
本成寺節分鬼おどり
2月3日 法華宗総本山本成寺
法華宗総本山「本成寺」の節分会の一大行事として行われる鬼おどりは、その昔、本成寺の僧兵と農民が力を合わせて戦乱を鎮圧したという古事にならい、悪魔祓いの形で節分の豆まき行事として続けられている。
「金物の街・さんじょう」の名にふさわしく、巨大な鋸、斧などの刃物を持った赤・緑・黄・青・黒の鬼たち、三途川婆が、御堂内で暴れ狂い、子どもたちが恐怖のあまり泣きじゃくってしまう。年男が「鬼は外!福は内!」と豆を投げて御堂から退散させ、鬼たちは鐘楼堂で鐘を突き改心し、人々ともに平和と安全を祈る。ダイナミックで邪気迫る大鬼たちの暴れっぷりにも注目。
>>>詳しくは、三条市経済部商工観光課
花祭り
5月第二土曜日 浄土真宗大谷派三条別院(東別院)
お釈迦さまの誕生を祝う「花祭り」は4月8日に開かれるが、三条では月遅れの5月に開かれる。市内の仏教系幼稚園の園児が稚児衣装に身を包み、表通りを練り歩く。浄土真宗大谷派三条別院(東別院)に到着すると、灌仏会が開かれ、園児たちが花御堂の釈迦仏に甘茶をかける。
三条祭り
5月14日夜・15日・16日 三条八幡宮・神明宮
「八幡さま」と慕われている三条の鎮守「八幡宮」は、今から1,100年余り前の885年(仁和元年)、京都の石清水八幡宮より分霊をいただき創建されたと伝えられている。
八幡宮の春季大祭である三条祭りには、表通りの家々は、仕事を休み、家宝の屏風を通りに面する部屋に立てて、祭りを祝ったそうである。そのため、屏風祭りとも呼ばれていたが、今では屏風を飾ることはなくなった。その伝統は、三条屏風展として復活する兆しがある。
三条祭りのメインは、神輿渡御と大名行列、舞込みである。
神輿渡御は、南北朝時代の1357年(延文2年)にはじめられたと伝えられている。現在のような大名行列は、江戸時代の1822年(文政5年)に三条の領主村上藩主の内藤信敦が京都所司代に就任したことを祝ってはじめられたといわれている。
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| 60cmほどもある一本歯の高下駄で、街を練り歩く道祖神(天狗さま)。徒士が天狗さまの腰元を支え、さらに手にした剣でバランスをとりながらゆっくりと歩み進んでいく。 |
先供に先導され、道祖神(天狗さま)が一本歯の高下駄で、街中を練り歩く。天狗さまはおよそ100m〜200mごとに交替するが、一本歯だけに天狗さまを支える二人の徒士も責任は重大で、万が一天狗さまが高下駄から降りてしまったり、転んでしまったりすると、そこの町内から火災が起こるという言い伝えが根強く残っている。また、天狗さまを2階から見下ろすことは許されておらず、昭栄大橋から見下ろすことも禁止されている。
天狗さまに続くふたつの御輿には、子どもたちがくぐると、健康で賢くなると言われ、天狗さまの交替時に御輿が止まると、くぐる子どもたちが絶えません。今では、御輿をくぐることが禁じられている。
また、傘鉾がその後に続く。傘鉾は、専用の傘の上に作られた作品はザルやたわしなどの台所用品を使って作られており、旧三条の町内ごとに作品を競い、一風変わった特徴を持っている。
神輿渡御と大名行列が田島の諏訪神社で折り返し、八幡宮に戻ると、「舞込み」が始まる。舞込みは、子どもたちを肩車した父親が、天狗さま、御輿、太鼓のあとを追うように八幡宮を3周回り、子どもの成長を祈る。また、御輿が3周回った後、本殿に戻ろうとする時には、御輿をしっかり納めようとする側とまだ祭りを終えたくないと御輿の入りを阻止する側との攻防も楽しみのひとつとなる。
八幡宮の大祭を終えた15日夜には神明宮の宵宮、16日は本宮が催される。
>>>詳しくは、三条まつり若衆会
三条凧合戦
6月第一土曜日・日曜日 三条商業高校裏の五十嵐川右岸河川敷 三条・燕総合グラウンド 三条競馬場跡地
♪三条の名物 凧揚げばやしは
元禄五年の男の節句に 陣屋さむらいのトントンたちが 揚げるイカみて 鍛冶屋の小僧め
負けてなるかよと ぼろイカ揚げりゃ 親があとからヤレヤレヤレと
小屋の空樽引きずり出して ボッコレル程にはったきながら 勢声かけたが このはやし ソレッ
(作詞・作曲:渡辺行一)
三条では、凧を「イカ」と呼び、凧合戦を「イカ合戦」と呼んでいる。三条の凧は、六角凧と呼ばれる三条独自の物である。三条の凧合戦の歴史は、幕藩の江戸時代、村上藩陣屋の役人の子供たちが凧を揚げているのに、町人の子供達が陣屋の子供達に軽んじられていた悔しさから、陣屋の子供達が揚げている凧をみて、鍛冶屋の小僧たちが遠くから姿を見せずに高く揚げた凧で糸を操り挑戦して、空中で相手の凧糸を切り、凧をたたして(飛ばして)日頃のうっぷんを晴らしたのが始まりであるとされている。今の合戦は、町内対抗の形で行われ、田島の五十嵐川河川敷で、六角凧の空中絵巻を繰り広げています。この合戦の見どころは、相手の凧を自陣の凧の凧糸に付けられた刃で切り落とす空中戦である。
2005年(平成17年)以降数年間は、五十嵐川の災害復旧河川改修事業により、三条商業高校裏の河川敷ではなく、三条・燕総合グラウンド(信濃川左岸)で開催される予定。2005年は三条・燕総合グラウンド(信濃川左岸)で開催されたが、2006年は三条競馬場跡地で開催。
>>>詳しくは、三条市経済部商工観光課
三条夏まつり
8月第一日曜日を最終日とする金曜日〜日曜日 三条市内
三条夏まつりは、戦後「金物まつり」として開かれていたが、全市をあげるまつりにと「三条夏まつり」と改称された。長く、7月24日の小中学校の終業式の翌日、7月25日〜27日に開催されていたが、梅雨末期で天候に恵まれないため、長岡まつりと新潟まつりの合間を縫うように8月4日〜6日に移動し、さらに8月第一日曜日を最終日とする金曜日〜日曜日に開催されるようになった。市制30周年を記念した1964年(昭和39年)と、市制70周年を記念した2004年(平成16年)は、新潟地震、水害により中止されたが、今も続く夏の一大イベント。なお、2005年(平成17年)に三条市、栄町、下田村が合併したことから、2005年の夏まつりを水害復興の意味を込め「第1回」とした。
五十嵐川での灯籠流しと歌謡ショーはいつの間にかなくなり、今では、市内小学校児童の三条凧ばやしがふれ太鼓として市内を巡り、夏まつりの始まりを告げる。凧と凧ばやしパレードに続き、表通りで民謡流しが夜遅くまで開かれる。三条音頭と三条おけさを踊り続けますが、奇抜な衣装で参加したり、見る側も楽しめますし、飛び入りで参加することもできる。
2日目は各商店街の夜店市が東三条、一ノ木戸、中央、昭栄通り、四日町で開かれ、夏御輿が市内を練り歩く。最終日は、信濃川・五十嵐川の合流点で打ち上げられる大花火大会が三条の夜空を彩る。旧競馬場スタンドと六ノ町公園が観覧場所で、日中から場所取り合戦が展開される。これらの観覧場所では打ち上げ場所から近いため、座ってみるより、寝転んでみないと首が疲れてしまう。しかし、それだけ近い分大迫力の花火を楽しめる。市民から寄附された協賛金で打ち上げられるスターマインとナイアガラ花火で夏まつりのフィナーレを飾る。
>>>詳しくは、三条市経済部商工観光課
お取越
11月5日〜8日 浄土真宗大谷派三条別院(東別院)
「御坊さま」と市内の善男善女の信仰を集める浄土真宗大谷派三条別院(東別院)の報恩講御引上会は、「お取越」と呼ばれている。寺前通りである本寺小路には、多くの露店が軒を連ね、三条の艶街・本寺小路とは一風趣を変えた本寺小路の姿をみせてくれる。この期間に開催される保内特産の植木市は、草花の苗や鉢植え、果樹の苗木、庭木などを求めるお客さんが多く訪れ、晩秋の風物詩となっている。お取越が終わると、三条は一気に冬支度を備え、コタツを建て、ストーブを用意する。早い冬は、このころにみぞれ交じりの初雪が舞い始める。
>>>詳しくは、三条市経済部商工観光課
二年詣
12月31日〜1月1日 市内各神社
三条では、大晦日の夜を「年夜」と呼んでいる。28日か30日に松飾りを飾り終え、正月の準備を整えます(29日は憎しみ苦しむと、31日も一夜飾りと忌み嫌われている)。大晦日の夜、一家揃って、座敷、客間でお膳を食する。お膳には必ず塩引き(塩鮭)が上がり、これを食さないと、新年を迎えられない。これを「年とり」と呼び、この風習は根強く残っている。
年とりの膳が終わり、浄土真宗大谷派三条別院(東別院)から除夜の鐘が聞こえ始めると、各地域の鎮守、氏神である神社に出かける。ここで一年間の無事を感謝し、来る新年の家内安全と五穀豊穣を祈る。年をまたいでお詣りすることから「二年詣」といわれている。「初詣」という言葉はあまり使われないし、年明け元旦にお詣りに行くこともあまりない。
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