全国植樹祭(5月〜6月)、国民体育大会秋季大会(国体、9月〜10月)、全国豊かな海づくり大会(9月〜11月)への出席と、地方事情の視察を兼ねて行幸啓の計画が関係する地方自治体と宮内庁の間で練られる。また、外国王室からの国賓訪日の日程については、外務省や宮内庁などの間で計画が練られる。
在来線で運行される御召列車は、特急列車並みのスピードで運行されるのが慣例で、他の列車と並んで走ることは大都市圏の複々線区間以外には難しい。このため、昭和時代までは一般の営業列車がダイヤ変更されることもしばしばあった。
御召列車の運行ダイヤが決まるのと前後して、皇室の公式行事である行幸啓が官報で公示される。なお、御用邸での静養に向かう場合は、私的なお出かけであるため、官報には公示されない。
一方、御召列車を運行する鉄道事業者でも着々と準備が進められる。御召列車に供される車輌の整備だけでなく、御召列車の運転士を選任する。御召列車は、発車時、停車時に揺れないことが求められる。それは、天皇皇后両陛下は、車内で立ったままお見送りに応えるからだ。さらに、停車位置が大幅にずれてしまうことも許されない。数センチ単位での停車位置のコントロールが求められる。蒸気機関車が牽引した時代は、揺れないように発車させたり、ずれないように停車させたりするには相当熟練した技能が求められ、運転を担当する機関区で、選び抜かれた機関士が運転を担当する。
さらに、御召列車に不測の事態が生じ運行ができなくなった場合に備え、予備列車の準備も進められる。御料車(客車)は1輌しかないので予備を用意することはないが、牽引する機関車、電車であれば編成単位で予備を用意する。この予備車輌・編成は、いわゆる「露払い列車」として御召列車に先行するか、御召列車に続行する形で運行されることになる。
御召列車の運行当日、いよいよ御召列車の運行となる。まずは、「露払い列車」(指導列車)が運行されることが多い。露払い列車とは御召列車に先んじて運行される列車で、この列車の運行以降、御召列車が走行する線路のポイントや信号などを一切固定することもある。
このような「露払い列車」がいつから運行されたのは、はっきりとわからないが、明治時代に九州での陸軍大演習を視察する明治天皇の御召列車の運行当日に、山口県の鉄橋に爆弾を仕掛けるという秘報が警察から国鉄当局に入った。これに対し、御召列車に約20分先行して機関車を走らせることで、不測の事態を回避することとした。爆弾は仕掛けられておらず、先行する列車も無事に鉄橋を通過し、それに続いた御召列車も無事に通過した。これが、記録の残る露払い列車の始まりといえる。
多くの御召列車は、東京側の出発駅を原宿駅にある専用の通称「宮廷ホーム」としていた。このホームは、正式には「原宿駅側部乗降場」といい、1926年(大正15年)8月に建設されたものである。これは、病弱の大正天皇が御用邸で静養する際、御召列車を出発させるために建設されたもので、昭和時代(戦後)には混雑する東京駅を避けて御召列車を運行させる意味合いもあった。この「宮廷ホーム」の敷地は財務省とJR東日本が共同で所有している。
御召列車は、列車番号が付されず、「お召し」あるいは「オメシ」とされる。ただ、最近ではコンピュータ制御による運行管理システムから「9001列車」「9002列車」と列車番号が付与されることもある。
御召列車の運行にあたり、国鉄時代には「御召列車運転及び警備規程」なる規程が存在した。国鉄改革によってこの規程は失効したものと考えられるが、JR旅客各社でもこの規程を基本的に踏襲していると思われる。JR東日本・東海・西日本の本州3社は、JR法の適用から除外された「民間企業」であるため、規程の存在を外部から確認する術さえもない。
1964年(昭和39年)10月1日、国鉄本社で挙行された新幹線(東海道新幹線)の開業式に昭和天皇・香淳皇后が出席したが、開業日に初めての新幹線御召列車は運行されなかった。
初めて新幹線の御召列車が運行されたのは、開業翌年の1965年(昭和40年)5月7日、鳥取県大山町で開催される第16回国土緑化大会(全国植樹祭)に出席する昭和天皇・香淳皇后は、東京9時30分発の御召列車に乗車した。新幹線には御召列車用の御料車はなく、一等車(グリーン車)に乗車し、浜名湖から蒲郡附近までの約15分間、運転席に出向き、新幹線支社長の説明を受けた。初めての新幹線御召列車は新大阪に13時30分に到着し、昭和天皇・香淳皇后は御召列車に乗り換えて岡山に赴いた。なお、東京を定刻9時30分に発車する〔こだま〕は5分遅れで運行した。
その後、御召列車として新幹線を運行することが少なくなかったが、新幹線に専用の御料車はなく、他の営業列車と区別がつかないため、警備上の理由などから、先頭車輌に識別帯がついた。この識別帯は100系電車以降の新幹線車輌ではつかなくなった。これは、無線が普及し警備上の観点から識別する必要がなくなったからだという。
皇族で初めて新幹線に乗車したのは、新幹線開業の前日に結婚式を挙げた常陸宮正仁親王夫妻で、伊勢神宮や神武天皇陵に報告するため、10月6日に新幹線〔ひかり6号〕で名古屋に向かったのが最初の新幹線乗車だった。
御召列車は、JR(旧国鉄)線以外のいわゆる「民鉄」(私鉄)でも運行される。運行方法は2つあり、JRと直通と直通していればそのまま乗り入れるケース、もう1つは民鉄側が貴賓車を用意する、あるいは特急車輌を改造して御召列車として運行するケースがある。
後者のケース、民鉄側が貴賓車を用意するケースは、第二次世界大戦前の大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)のサ2600、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)のフキ500、名古屋鉄道のトク1形SC3、東武鉄道のトク1があった。第二次世界大戦後は、特急車輌を団体貸切列車のように臨時運行して御召列車とするケースがほとんどで、JRのように国旗を先頭部に掲揚しないことが多く、一般の特急列車と簡単に区別がつかないケースが多い。