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地震の記録
震災被害の様子
新潟地震復旧ドキュメント
新潟の大地震
震度階級表
1964 Niigata Earthquake

天災は忘れた頃にやってくる Disaster strikes when it is least expected.

新潟地震復旧ドキュメント

6/16 13:02 地震発生
 新潟市を中心に新潟県下に大被害が生ずる
 新潟市内ではライフラインが寸断され、昭和石油工場から出火
13:05 停波していたNHKラジオ・テレビが送信再開
13:10 岩船方面の海岸に、最高波高4m近い津波が襲来
13:15 気象庁が日本海沿岸に津波警報を発令
13:30 新潟県は緊急部長会議を招集し県庁内に新潟県地震対策本部の設置を決定。新潟市は市役所内に新潟市災害対策本部の設置を決定
気象庁は震源地を北緯38.4度、東経139.2度(粟島付近)と発表、「新潟地震」と命名
14:15 新潟県は、徒歩連絡による新潟地方気象台の職員から津波警報の伝達を受け、直ちに新潟市に連絡。BSNテレビが送信再開
14:25 新潟港に最高波高2.3mを超える第3波の津波が襲来
14:30 新潟市は緊急避難命令を発し、広報車などで市民に伝達
県庁、警察、消防などの新潟市内における重要電話回線は、仮工事により次第に復旧
15:00 政府は、総理府において緊急関係省庁連絡会議を開催
15:05 BSNラジオが送信を再開
15:23 県庁行政無線統計局を開局
15:30 新潟県は陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田)に対し、災害派遣を要請
16:30 新潟県は、行政無線により上越支庁を経由して東京との連絡を開始。また警察無線を通じて連絡可能な新津・五泉・小須戸・巻・燕・吉田の各市町長に対し、新潟市への消防応援を依頼。タンク車・トラックを動員して新潟市民に対する応急給水計画がまとまり、県は器財の手配を開始
17:00 政府は持ち回り閣議により、総理府に「新潟地震非常災害対策本部」を設置することを決定
17:10 陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田)からの災害派遣隊が万代橋取付道路の補修作業を開始
18:00 県は新潟市に対する災害救助法の適用(第1次)を決定。昭和石油旧工場と三菱金属の境界付近から出火
新潟市は市内の全小中学校に臨時休校を指示
19:00 国鉄新潟支社は、輸送制限を全国に手配
19:40 野々山重治副知事がNHKテレビの全国中継で被災者の実情を訴える(〜20:00)
20:00 県は、昭石火災の消火対策として警察無線により中条町長を通じ倉敷レイヨン中条工場に対し化学消防車の応援出動を要請
20:10 政府現地調査団として派遣された赤澤正道自治相ら一行がヘリで新潟着
21:00 県は、ラジオを通じて新潟市内の給水要因などの緊急動員を呼びかけ
21:30 政府は新潟地震非常災害対策本部の初会合を開く
県は、政府に対して来県中の赤澤自治相を通じ、給水タンク車、復旧用資材、応急食糧などの緊急手配を要請
県東京事務所に「新潟地震連絡本部」を設置
23:00 県庁、新潟大学付属病院などに配電再開
6/17 3:00 塚田十一郎知事が出張先の北海道から帰庁
6:00 吉浦浄真副知事が出張先の大阪から帰庁
海上保安庁の巡視船「きそ」「しなの」が佐渡ヶ島・粟島の被害状況調査に出発
万代橋が応急工事で車両の通行が可能となる
陸上自衛隊第12師団は、県庁内に災害派遣部隊総指揮所を設置。陸上自衛隊第12師団司令部が新潟に進出し、陸海空の3自衛隊の災害派遣部隊は続々と新潟へ集中
県地震対策本部は、8時・12時・16時に定例本部会議を開き具体的な対策の組織的推進を図ることを決定
7:20 塚田知事、渡辺浩太郎新潟市長、新潟地方気象台長の対談がNHKテレビで全国中継(〜8:00)
国鉄は、上野−新津間で一部の急行列車、長岡−亀田間でローカル列車の運転を再開
9:00 県公安委は、緊急輸送車両の交通確保のため災害対策基本法に基づく交通規制を実施
佐渡汽船は、直江津−小木−両津間の運航を再開
新潟市周辺の路線バスは一部の郊外線から運行を再開
赤澤自治相がヘリで帰京
昭石火災消火のため、知事が自衛隊に対し消防の応援を要請
新潟市内の幹線道路の応急復旧工事が始まる
県は新潟市の要請から非常防疫体制に入る
小林武治厚相が視察のため来県。田中角榮蔵相も池田勇人首相のメッセージを携えて来県、視察・激励
昭石第2火災は、近隣民家348戸も延焼し、重油タンクがなおも燃え続ける
新潟市の市内電話が25%、市外の東京回線10回線が復旧。家庭用電力は55%復旧
15:30 消防庁長官ら一行が新潟に到着し、県庁内に設置された政府現地災害対策本部が始動
信越本線・柏崎−長岡間、磐越西線、赤谷線、羽越本線と白新線の一部が夕刻までに復旧
6/18 4:00 県公安委は、新潟市内の交通渋滞を緩和するため、万代橋と帝石橋をそれぞれ一方通行に規制強化
自衛隊員約5,000人の来援を得て、信濃川両岸破堤現場、新潟駅、新潟空港などの復旧作業が始まる
県内外から各種の救援隊が続々到着
新潟市内の路線バスは臨時西新潟環状線の運行を開始
新潟市内の市内電話は28%、家庭用電力は80%復旧するも、ガス・水道の復旧は見込みが立たず
sc篤泰防衛庁長官と参議院視察団が来県
13:00 村上市など10市町村に災害救助法の適用(第2次)を決定
県は西新潟地区に応急仮設住宅200戸の建設、被災者に対する県税の減免特別措置などを決定。また、防疫対策本部を設置し、県内外からの応援防疫班、自衛隊と共に本格的な消毒作業を始める
国鉄新潟支社関内の輸送施設は80%まで復旧
20:00 新潟市内の交通は県内外からの救援用車両の乗り入れで大渋滞を招き、県警本部は交通規制を強化
6/19 天皇・皇后(昭和天皇・香淳皇后)の名代として侍従が来県
昭石火災の火勢がようやく衰え始める
北蒲・中条町など2町に災害救助法の適用(第3次)を決定
新潟駅の仮乗降場を笹口に開設し、長岡からの震災後一番列車が入る。佐渡汽船は新潟−両津間に1往復の就航を再開
河野一郎建設相(政府新潟地震非常災害対策本部長)、衆議院視察団が来県
臨時県議会が招集され、地震対策特別委の設置が決まる
陸自災害派遣部隊は、排水・防疫・水道復旧・飛行場補修などのため、四大復旧作戦を決定
新潟市内の家庭用電力は98%に回復
6/20 新潟地方に強風波浪注意報が発令され、かなりの降雨により、新潟市内の排水済地区が再び浸水
新潟駅前に県地震対策本部駅前案内所を設置
白根市など6市町村に災害救助法を適用(第4次)
sc一通産相が港湾・工業施設の被害視察のため来県
市外電話は全対地が開通し、市内電話も46%復旧
昭石第2火災は鎮火したが、第1火災はなおも炎上中
6/21 新潟市内の電灯は100%配電を回復
池田首相、野田武夫総理府総務長官が来県。塚田知事は池田首相に対し激甚法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)の全面適用を要請
北蒲・紫雲寺町など2町村に災害救助法を適用
6/22 浸水地域の山ノ下地区の一部で赤痢が発生
新潟市内の全小中学校が一斉に再開
信濃川左岸の護岸締切工事が完了し、排水作業が始まる
新潟市内のバスは、東西新潟を結ぶ市内線の臨時運行を開始
気象庁が新潟地震の調査結果を発表
新潟商工会議所は、中小企業の復興推進のため、国税庁、日本商工会議所、日本損保協会に対し、税務・金融面での特別措置を陳情
新潟市内の電話は、2・3局60%、4局16%、6局85%復旧
6/23 自衛隊による信濃川右岸(臨港地区)の護岸締切工事が完了
塚田知事は新潟市以北の被災地をヘリで視察
県は、東新潟地区に応急仮設住宅200戸の建設を決める
県警災害警備本部は、新潟市内の交通規制強化策として、ステッカーの交付を開始
池田首相は、閣議で新潟地震対策のため早急に中央防災会議の開催を指示
政府は、新潟地震による被災住宅復旧のため、住宅金融公庫融資額の約4割引き上げの措置を決定
県地震対策本部は、本部会議で県地震災害復興委の設置を協議
6/24 5:47 新潟駅のホーム2本が復旧し、上野からの急行〔越後〕が初列車として入線
新潟市は、7月3日復旧を目標として八千代橋の復旧工事に着手
海上自衛隊は、新潟市民の交通確保のため新潟港−万代橋間で水上輸送を開始
塚田知事は新潟市以南の被災地をヘリで視察
6/25 政府は、新潟地震災害復旧のため、1964年度一般会計予備費から3.5億円余の支出を決定
新潟市西船見町に応急仮設住宅200戸が完成
塚田知事はヘリで粟島を視察
西蒲・月潟村など2村に災害救助法を適用。これで災害救助法の適用は23市町村
6/26 塚田知事が上京し、池田首相に対し激甚法の適用を再度要請
県は地震対策本部の定例本部会議の庁議への切替を決める
新潟市の水道は33%が復旧したが、工事が難航しているため路上配管の応急策に変更、
6/27 新潟空港が復旧・再開し、新潟−東京便1往復、新潟−佐渡便4往復が運航を再開
綾部健太郎運輸相が来県
自衛隊は、一部を残し主力派遣部隊の引き上げを開始
6/28 県警本部は、新潟市内の交通情勢が好転したことから交通規制を緩和
新潟駅のホームが本格復旧し、特急〔とき〕が13日ぶりに運転を再開
赤城宗徳農林相が来県
6/29 国鉄は、越後線・新潟−関屋間を除き全線で運転を再開
県は、震災復興局と見舞金配分委を設置
6/30 新潟市内の小学校で、仮設のプレハブ校舎が一部完成
中央防災会議は、新潟地震を激甚災害に指定。政府は、県庁内に設置していた新潟地震現地災害対策本部を解散
災害救助法適用市町村長会議が、県に対して早期復興を要望
7/1 昭石第1火災が350時間余燃え続け鎮火
新潟市内の市内バス60%、郊外線95%に復旧。水道は50%、ガスは20%復旧
7/2 佐渡汽船は、新潟−両津間の臨時運航を正常運航に戻す
八千代橋が復旧・開通し、万代橋などの一方通行規制も解除
7/3 県は、東新潟地区に200戸、西新潟地区に10戸の応急仮設住宅を追加建設することを決める
新潟市松浜町に98戸、船江町に102戸の応急仮設住宅が完成
新潟地震 その時、鉄道は……

国鉄

 国鉄新潟支社では地震後しばらくして通信が途絶したが、一部使用が可能であった長岡指令線により管内全域向け緊急指示として、(1)運転中の列車を直ちに停止させる措置をとること、(2)旅客に対する万全の措置を講ずること、(3)併発事故の防止に努めることなどを連絡し、次いで13時10分、支社の庁舎脇に震害対策本部を設置して、状況の把握と応急対策の推進にあたることとなった。

 対策本部では、早速、地震直後の状況の把握と緊急手配の体制を固め、通信線の回復と夜間照明の確保とに主力をおいた。まず通信線についての調査結果から新潟−新津間の地下ケーブルが健全であることが確認されたので、急速に回線構成を進める一方、同日夜半には新潟駅構内の照明も復活できたので、その後の応急措置は急速に進められた。復旧活動は、国鉄職員が主体となって昼夜をわかたぬ作業が進められ、当面の応急措置として新津以南の幹線確保に全力が注がれた結果、17日早朝までには上越線、信越本線(亀田以南)の復旧に成功することができた。しかし、新潟駅構内の陥没および笹口跨線橋の橋桁落下のため、上信越線・白新線からの新潟乗り入れは不可能であったので、6月17日に上野−新潟間の急行列車を新津折り返しとして、他に長岡−亀田間に電車・気動車を10往復運転して急行列車の接続とローカル輸送を確保し、さらに亀田−新潟間には国鉄自動車を連絡させて輸送の強化を図った。

 6月18日には、新潟駅の北東500mの場外に笹口仮乗降場が設けられ、震災から4日目を迎えた翌19日には新潟乗り入れの初列車として、13時40分過ぎに長岡からの6両編成の電車がそれぞれ親類や知人の安否を気遣う約1,500名の乗客を乗せて、この仮乗降場へすべり込んだ。この日から上信越線・白新線からのローカル列車が新潟地区に引き込める状況となった。

 一方、残る新潟駅構内の早期復旧にも全力が注がれた結果、一部施設の復旧により笹口仮乗降場−新潟間も24日には列車の乗り入れが可能な状態となり、5時47分に上野発の下り急行〔越後〕が朝の光を浴びて7番線ホームへ静かにすべり込み、ホームに出迎えた保線区員や自衛隊員の間から一斉に万歳の歓声がわき上がった。ここに地震後185時間にして列車の新潟駅乗り入れは成功したのである。

 また、新潟地区の緊急物資の受け入れをはじめとして貨物取扱体制の整備も重要な問題であり、港湾施設関係の貨物駅がほとんど壊滅的な打撃を受けているため、応急対策も見込めない状態から、とりあえず新津、亀田、関屋、新発田などの周辺各駅において臨時の取扱を行って急場を凌いできたが、20日には上沼垂−沼垂間が復旧するのと同時に、沼垂駅の抜本的な改善に着手し、当面する体制の強化を図ることとなった。

 管内各線における被害の復旧は、6月20日にいたって新潟周辺と、羽越本線・勝木−小岩川間、磐越西線・白崎−津川間を残していずれも開通し、列車の運転も平常のほぼ50%に達した。このうち勝木−小岩川間は、19日に発生した余震とその夜半から翌朝にわたって激しく降った雨のため、新たな土砂崩壊に見舞われて被害を重ねたものであり、白崎−津川間は17日にいったん開通した後、落石の危険があって再度不通になったものであって、白崎−津川間は23日早朝に再復旧した。

 被害の激しかった越後線・新潟−関屋間は、21,000m3に及ぶ路盤の陥没と、信濃川橋梁の橋脚の傾斜、白山駅ホームの破壊などのため、新規に施設を建設するような復旧工事が続けられ、7月7日にいたってようやく白山−関屋間の開通にまでこぎつけ、7月12日に新潟−白山間の開通をみることができた。この間、通勤利用者は連日徒歩またはバスによらなければならず、地震直後には鉄道線路を歩いて往来する通勤利用者の姿も後を絶たなかった。

 この越後線の開通によって地震発生以来22日目にして初めて旅客関係では支社管内全線が回復することとなった。

 一方、港湾施設内にある貨物取扱駅については、水没区域を残して東新潟港構内が7月16日に、また新潟港駅構内が7月29日それぞれ仮復旧を終えた。

私鉄

 新潟県内の私鉄関係は、地震の被害を受けて不通となったもの、あるいは安全運転のため一時運行の休止を行うものなど、それぞれ臨機の措置がとられたが、そのなかでも大きな被害を受けたのは新潟交通が営業している燕−県庁前間の電鉄軌道であった。この軌道は一級国道8号線の道路の中央に埋設されており、国道は地震によって相当な被害を受けたため、軌道はくねり、一部では地中に埋まって無軌道の道路と変わらないような状況もみられた。道路の両側には民家が密集しており、かつ非常に狭い道路であるため復旧はむしろある程度落ち着いてから行われた方がよいとの事情などがあり、電鉄の利用者にとっては不便なことではあったが、新潟旧市内への乗り入れのための工事は見送られ、燕−東関屋間の郊外線だけは地震後まもなく開通した。東関屋−県庁前間は1964年暮れ近くから復旧工事が行われて、地震から半年近くを経た1965年(昭和40年)1月1日より全面的に運転を再開した。

 この他の私鉄は地震後まもなく平常運行ができるようになった。

備えあれば憂いなし Prepare for the worst, and you'll have no regrets.

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