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大阪駅で発車を待つ急行〔きたぐに〕
大阪駅で発車を待つ急行〔きたぐに〕

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 急行〔きたぐに〕は、大阪─新潟間を毎夜1往復運転される急行列車である。国鉄時代に製造された583系電車で運転される唯一の定期列車でもあり、国鉄の分割・民営化以降数を減らした“稀少価値”のある急行列車でもある。

 急行〔きたぐに〕は、乗車券と急行券で乗車できる自由席車(自由席には定期券と急行券でも乗車可能)、座席グリーン車、2段寝台のA寝台車、3段寝台のB寝台車が連結されている。

下り(大阪発新潟行)時刻表はこちら
(JRおでかけネット)
上り(新潟発大阪行)時刻表はこちら
(JRおでかけネット)
急行〔きたぐに〕の編成図
(クハネ581はクハネ583の場合もある)

 急行〔きたぐに〕は、終戦後の1948年(昭和23年)7月1日に運転を再開した大阪─青森間の急行列車がその起源とされている。この当時、大阪─青森間の所要時間は約26〜27時間だった。1950年(昭和25年)11月2日にはこの列車に〔日本海〕と列車名が付された。一方、1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で、金沢─新潟間に急行〔きたぐに〕が登場、のちに、大阪─新潟間に延長された。

 “ヨン・サン・トオ”とよばれる1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正で、急行〔日本海〕は新設された寝台特急(ブルートレイン)の列車名に採用され、急行〔日本海〕は〔きたぐに〕と変更された。

「国鉄色」時代の急行〔きたぐに〕
 1988年(昭和63年)頃、583系電車の急行〔きたぐに〕。いわゆる「国鉄色」をまとっていた。
1993年(平成5年)頃から1996年(平成8年)頃の急行〔きたぐに〕
 1993年(平成5年)頃から1996年(平成8年)頃の急行〔きたぐに〕。
(上2点の画像提供:日本の旅・鉄道見聞録

 1972年(昭和47年)11月に下り〔きたぐに〕(青森行)が北陸トンネル内を走行中、食堂車から出火し30名が死亡する事故が発生した。1982年(昭和57年)11月の上越新幹線開業によるダイヤ改正では、新潟─青森間を特急〔いなほ〕に衣替えし大阪─新潟間に運転区間を変更するとともに、14系客車に使用車輌を更新した。1985年(昭和60年)3月にはそれまでの14系客車から583系電車に変更し、それ以降、車体の塗色が変更されたものの、583系電車による運転体制は約20年間変わっていない。大阪─新潟間の寝台特急〔つるぎ〕、特急〔雷鳥〕なき今、大阪と新潟を直通する唯一の定期列車となった。

 急行〔きたぐに〕の特徴は、多彩な車輌編成と急行列車による運転によって、多様な輸送需要に対応している点が挙げられる。

  • 主に京阪地域内、新潟地域内での通勤客輸送(下りの新津─新潟間で自由席のみ快速扱いになるのもこのため)
  • 主に京阪地域と金沢・富山地域との間で、下りにおいては特急〔サンダーバード〕〔雷鳥〕終電後、上りにおいては始電前の速達輸送
  • 京阪地域と新潟地域との間での長距離客輸送
  • 米原で東海道新幹線と、長岡で上越新幹線と接続し、主に北陸方面から首都圏方面への長距離客輸送

 このように、全車輌を寝台車にせず、座席グリーン車と普通車を連結しているのは、国鉄時代の急行列車の名残を色濃く残しているともいえる。

 なお、急行〔きたぐに〕はJR西日本京都総合車両所に所属する583系電車で運行されている。

急行〔銀河〕とともに
急行〔銀河〕とともに
 夜行急行列車は、今や〔はまなす〕(青森─札幌間)、〔銀河〕(東京─大阪間)、〔能登〕(上野─金沢間)と、この〔きたぐに〕の4列車のみとなってしまった。
急行〔きたぐに〕のヘッドマーク
急行〔きたぐに〕のヘッドマーク

 国鉄時代は「急行」と掲示されていたが、JR発足と前後して佐渡おけさを踊る踊り子と思われるデザインのヘッドマークを掲示している。

大阪駅で発車を待つ急行〔きたぐに〕
大阪駅で発車を待つ急行〔きたぐに〕

 JR京都線・神戸線の帰宅客をよそ目に静かな11番線ホームで発車を待つ。

大きな方向幕
大きな方向幕

 「方向幕」とよばれる行先表示器は、583系電車のものは縦長に大きく、列車名と行先が大きく表示される。

シュプール・リゾート
シュプール・リゾート

 JR西日本の583系電車は、冬期間に信越方面への〔シュプール号〕として運転されることもあり、「Spur Express」「Resort Express」とロゴが描かれた編成も、急行〔きたぐに〕に用いられる。

サロ581
サロ581
 座席グリー車のサロ581。寝台車輌と屋根の高さを揃えるためか、天井まで異常なほど高い車輌となっている。手前には座席を撤去しソファを設けたサロンもある。
B寝台車のモハネ583
B寝台車のモハネ583
 上部にあるのは、上段寝台と中段寝台用の明かり窓。
3段寝台のB寝台車の車内
3段寝台のB寝台車の車内
 圧迫感を感じてしまうほど、3段に重なった寝台が並ぶ。どことなく「国鉄」の匂いが漂うようだ。
B寝台車の下段寝台
B寝台車の下段寝台
 B寝台の下段寝台は幅が106cmと広い。これは昼間に座席(クロスシート)として使用することが考慮されたためだ。クロスシート1ボックス分がまるまる下段寝台となる。
B寝台車の中段寝台
B寝台車の中段寝台
 上段と中段の寝台の幅は、他の寝台車と同様に70cmになっている。だが、3段寝台であるため高さが68cmしかなく、カプセルホテル並みの設備といえよう。そのため、寝台料金は下段よりも1,050円安い5,250円。
朝を迎えた急行〔きたぐに〕
朝を迎えた急行〔きたぐに〕

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583系電車 急行〔きたぐに号〕(大阪発新潟行)
東三条駅1番線ホーム入線〜発車
kitaguni_higashisanjo_arr_dep.wmv
(21,584KB:2分35秒:2006年5月2日収録)
 この日の急行〔きたぐに号〕は、ゴールデンウィークのため、通常の10輌編成から2輌増結し12輌編成で運転された。

583系電車

583系電車

 戦後の高度経済成長期、伸び続ける鉄道輸送需要に対し、当時の国鉄は、特急・急行列車を増発し、また車輌を新造して対応した。しかし、車輌を新造しても留置する車輌基地の容量が不足しはじめた。そこで国鉄は、昼行と夜行の列車を1つの車輌でまかなおうとした。そこで、座席と寝台を兼用できる電車を開発した。それが581系電車であった。電車特有の機器騒音などを克服し、「寝台電車」を実用化したのはこの581系電車が世界で初めてだった。

 1967年(昭和42年)に登場した581系電車は、夜行時には東海道新幹線に接続する寝台特急〔月光〕(新大阪─博多間)にれ、昼行時は特急〔みどり〕(新大阪─大分間)に使用され、「月光形電車」とよばれた。

 翌年の1968年(昭和43年)には、東北地方の交流電化線区でも運転できるように改良された583系電車が登場し、寝台特急〔はくつる〕〔ゆうづる〕(上野─青森間)などに活躍した。

 しかし、昼行と夜行でまさに馬車馬のごとく活躍したため、機器の老朽化も早く、また3段寝台が敬遠されたり、寝台と座席の転換にきわめて複雑な工程があったりと、早々に廃車される車輌が続いた。そんななかでも、583系電車は主に臨時特急や団体列車に活路を見いだし、国鉄の分割・民営化後も活躍を続けた。

 21世紀に入っても、JR東日本とJR西日本がそれぞれ保有し、定期列車の急行〔きたぐに〕の他にも活躍を続けている。

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