| Kanji of the Niigatan, by the Niigatan, for the Niigatan |
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新潟人の、新潟人による、新潟人のための、新潟人しか使わない「漢字」
このページは、漢字の専門家でも国語学者でもない作者によるページです。ですので、専門的な知見に基づいたページではありません。御了承ください。また、「新潟人」とは新潟県民と新潟県出身者を合わせたグループを指しています。
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| にいがた |
にいがた? |
新潟人のあなたは、今まで何回「新潟」という文字を書いたでしょうか? また、これから何回「新潟」という文字を書くのでしょうか?
| 都道府県名の画数グラフ |
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懸賞応募のハガキ、年賀状、さまざまな書類の住所欄、履歴書、平均すれば1ヶ月に最低でも10回以上は書いているのではないでしょうか?
さて、「新潟」という文字は、「新」が13画、「潟」が15画と、計28画です。例えば「東京」は2文字で16画、「大阪」は2文字で10画です。一番少ない画数は「山口」の6画、一番多いのが「鹿児島」、「新潟」の28画です。一見画数が多そうな「愛媛」は25画(13画+12画)です。
28画もある「新潟」を繰り返し書いていくと、次第に書くのが面倒になります。そうすると、行書や草書を用いて書くか、「略字体」を用いて書く傾向が強くなります。ここでは、「略字体」に注目したいと思います。
略字体とは、字画の複雑な漢字についてその点画の一部を省いて簡略にしたものを指します。例えば、「医院」の「医」。これは「醫」の略字です。旧漢字と新漢字といってもいいでしよう。このような略字体も含めると非常に多くなるので、ここでいう略字体とは、常用漢字表には載っていないけど、おおかたの人々が理解できる略字としておきましょう。
これらの略字体は、日本人であれば、ほぼ、「機」の略字だとか、「卒」の略字だとかを理解できます。
しかし、新潟人以外の日本人には解読できない(市民権を得ていない)のに、新潟人であれば解読できる漢字(正確には漢字とはいえないのかもしれませんが)があります。それが「 」という字です。では、どうして「 」が「 」になったのでしょうか?
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「写す」「写真」などの「写」という字の旧字体は、「冩」でした。「ワかんむり」に「潟の右側」の組み合わせで、似た漢字に「瀉」(下痢止めの止瀉薬)という字もあります |
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「冩」が「写」になったのを模倣して、「潟の右側」を「写」としました |
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「冩」が「写」になったのを模倣したんですから、「潟の右側」は「与」になるはずですが、なぜか「ワかんむり」は残りました |
しかし、この字は現在では「漢字の化石」と化して、ほとんど使われていません。以前は、案内看板などを中心に使われていました。想像するに、案内看板などの印刷技術がコンピュータではなく手書きに頼っていたため、簡略化した「 」を用いていたか、発注書に「 」が使われていたか、だと考えられます。
今では、案内看板などでは見かけることはほとんどありません。もちろん、公式な文書や印刷文書では、この字を使うことはできませんし、漢字検定や試験でこの字を書いても点にはなりません。ですが、メモ程度に書いたり、新潟人同士の手紙などでは、十分通用する字ということになります。
追 記
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| 新潟市西蒲区潟頭の地域表示板 |
新潟市西区山田の道路標示 |
| (『新潟県のことば』p.226より引用) |
さらに、詳しく「 」を調べていくと、このような文字を「方言文字」として研究されている方がいました。外山正恭氏(新潟県ことばの会)によれば、2004年(平成16年)時点で、「 」となっているのは、新潟市西区(黒埼町)山田の新潟ふるさと村近くの道路標示、それに新潟市西蒲区(巻町)潟頭の国道116号線に立つ地域表示板の2例ぐらいしか見当たらないそうです。
また、やや時代を遡ると、どうして「 」が登場したのか、「 」がどれだけ使われているか調査された研究が2例残っています。
国立国語研究所は、「国民各層の言語調査」として、1963年(昭和38年)9月13日〜19日に、長岡市(当時)の市民(15歳〜69歳)2,012名を対象に調査した。対象者に質問用紙を届け、1,663名(82.7%)から回収した。
| 字形 |
16歳〜23歳 |
24歳〜29歳 |
30歳〜34歳 |
35歳〜44歳 |
45歳〜54歳 |
55歳〜70歳 |
成人 |
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21% |
10% |
7% |
7% |
9% |
10% |
10.5% |
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16% |
29% |
34% |
32% |
13% |
24% |
24.7% |
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25% |
18% |
17% |
22% |
30% |
24% |
22.7% |
| その他 |
38% |
43% |
42% |
39% |
47% |
42% |
42.1% |

この調査結果を国語研究所では、次のようにまとめています。
- 学校生徒が「潟」の字を正しく書けない理由は以下の2つが考えられる
- 表外字であることから、学校で書き方を習わない
- ふつう「長岡市」で通用するので、「新潟県」という語をあまり書かない
- しかし、常に見る文字であるので、大体の形はとれる
- 成人の場合、「潟」が少なかった理由に2つのことが考えられる
- 書き取りテストという場面ではなく、日常の書く生活の中で書かれたもので、略体を用いたのであり、もしこれが書き取り検査ならば「潟」がもっと増えたのではないか
- 当用漢字制定後、当用漢字については、新字体が正字であるので、類推により、略体である「
」「 」を用いるのではないか
- 最年少成人を除けば、さして年齢差がないのは、以前から「
」「 」が通用体として流布していたのかもしれない
- 学校生徒と成人との違いは、通用時代の習得過程を示すものである可能性が強い
「 」よりも「 」の方が使用されているのが多く、右上部分が「臼」ではなく「白」などの分類できないその他も多く、「潟」と正確に書かれているのはわずか1割程度でした。当時、16歳から23歳だった人たち(現在60歳前後)には「潟」「 」の割合が多く、それが後にも略字としての「 」が浸透していった要因ではないでしょうか。
- 『言語生活』(第288号)柄沢衛「地名にみる異体字について―新潟の場合―」(1975年:昭和50年)
当時、高校教員だった柄沢氏は、東京方面から届く就職活動関係の封書に筆写された宛先の字形を調査しました。ここでも、「潟」「 」「 」に3分類して結果をまとめ、さらに略字体である「 」「 」の由来も求めています。
| 字形 |
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他 |
| 使用頻度 |
31% |
16% |
14% |
39% |
| 傾向 |
高校生など低年齢層に多く、現在標準的な形とされている「潟」を何とか書こうとしたため、最も異なりが多い。そのため、その他に分類されたものも多い |
比較的中高年齢層に用いられている |
老若を問わず、あらゆる年齢層に用いられる字形で、また字形が最も簡略であることもあって、頻繁に用いられる |
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| 由来 |
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正字の草書における字形を楷書ふうの点画構成に固定させた略字 |
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| 当用漢字(1981年:昭和56年に常用漢字告示により廃止)字体表の「兒→児」「稻→稲」のように、「臼」の部分「旧」と簡略化したものであり、今日的には字体表の表外漢字への適用ということもできる |
当用漢字字体表の「冩→写」に基づく類推によるものと考えられるが、そのように考えると、潟を と書くのには飛躍がありそうである。日本新聞協会では「統一基準漢字書体表」で を「瀉」の代用とし、『書写・書道四千字現代字体字典』(日本書道教育研究所[1969])には、瀉の新字体として を掲げている。また中国の簡体字でも、瀉→ となっている |
そして、「新潟」という地名は、「河口の中州の間に新しい内湾、すなわち新しい潟が形成されたことにちなむという」(『角川日本地名大辞典』)そうで、1568年(永禄11年)の上杉謙信の書状が「新潟」の地名が残る最古の史料となっています。ちなみに、「新潟県」の由来は、1871年(明治3年)に県庁が当時の蒲原郡新潟町に置かれたためです。
さらに、「潟」を『大漢和辞典』で引くと「かた。(イ)うら。入江。入海。(ロ)沙洲に圍まれ狭い水路によって外海に通ずる湖沼。」とされています。しかし、「 」の記載はなく、 は中日辞典に登場しています。
(瀉) |
- [書き言葉](水が斜面を)勢いよく流れる、速く流れる
- [書き言葉](比喩的に、日・月の光が)さっとさす
- [書き言葉]下痢する、腹を下す
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さて、柄沢氏は、「 」「 」を単に誤字・誤用と決めつけることができない背景があったと指摘しています。それは、地名の伝統的表記法が根強いことと同時に「潟」が当時の18,50字の当用漢字には含まれていないことにも理由があるとしています(現在の1,945字の常用漢字には、潟が含まれています)。
1963年(国立国語研究所)の調査から1975年(柄沢衛氏)の調査まで12年間の間に、「潟」は20ポイントも増えた半面、誤字とされる「 」「 」はいずれも使用頻度が減ってきています。こうなると、逆に「 」と書いていたことも後世に伝えなければと感じてしまうのが、日本人なのでしょうか……
追 記(続1)
日本語学を研究している笹原宏之氏(早稲田大学教授)は、「地域文字」として「 」を取り上げています(笹原宏之[2006])。
「 」は江戸時代から見られ、鈴木牧之(1770年〜1842年)が著した『北越雪譜』にみられるだけでなく、松尾芭蕉(1644年〜1694年)の『奥の細道』(芭蕉の直筆)でも、新潟や象潟を「新 」や「象 」と記しています。
象潟や 雨に西施が ねぶの花
そして、笹原氏は1981年(昭和56年)に常用漢字表に「潟」が加わったため、「共通字化」されつつあり、「 」が消えつつあると指摘しています。
笹原氏はまた、『現代日本の異体字 ―漢字環境学序説―』において、「日本行政区画便覧データ・ファイル」で異体字がどう使われているかを分析しています。ここには多くの異体字が挙げられていますが、例えば「頸城」が「頚城」と表記されているとも指摘されています(新潟県の地方紙「新潟日報」では「頚城」を用いていました)。しかし、平成の市町村合併で西頸城郡、中頸城郡、東頸城郡がそれぞれ消滅し、上越市の地域自治区である頸城区(旧中頸城郡頸城村)などしか残っていません。
追 記(続2)
新潟県内在住の男性の情報によれば、2008年(平成20年)に新潟市で開催される主要先進国首脳会議(サミット)労働相会議を控え、「 」の使用が新潟県議会総務文教委員会で取り上げられた。委員(県議会議員)が「潟は中国では『湖水の入り込んだ地』だが、 は印象がよくない(下痢、吐瀉の意味)。『新 』と表記すると、何かドロドロした不潔なイメージを抱かれかねない」と指摘、改善と県外での「潟」使用の周知を求めた。これに対し、県側(知事政策局長)は「確かに別の字だ。県としても表記を徹底する」「サミット労働相会議など国際イベントが控えており、注意したい」と、「 」の不使用を誓っていた、という。
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