トップplus+上々≠ネ旅IV 2006〔スーパー北斗13号〕
〔あけぼの〕
〔あけぼの〕
青森(連絡船埠頭)
〔スーパー白鳥1号〕
〔スーパー北斗13号〕
〔スーパー宗谷1号〕
〔スーパーホワイトアロー22号〕
〔北斗星2号〕
〔北斗星2号〕
上野
JôJô Tour 2006

2006年 〔北斗星〕再び… “上々”な旅IV

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 函館駅で発車時刻を待つ特急〔スーパー北斗13号〕。
 小沼を左の車窓に迎え、大沼国定公園を進む。
 長万部からは室蘭本線に進む。
 函館から3時間20分。道都・札幌に到着した。
5013D 特急〔スーパー北斗13号〕
0.0 函 館 14:13発
28.0 大沼公園 14:30発
49.5 14:48着
14:49発 変更
81.1 八 雲 15:07発 15:10発
112.3 長万部 15:25着 15:28着
15:26発 15:28発
153.8 洞 爺 15:48発 15:50発
166.8 伊達紋別 15:57発 16:00発
189.5 東室蘭 16:12着 16:14着
16:13発 16:15発
207.0 登 別 16:24発 16:27発
247.5 苫小牧 16:46着 16:50着
16:46発 16:51発
274.7 南千歳 17:01着 17:06着
17:01発 17:06発
307.8 新札幌 17:20発 17:23着
318.7 札 幌 17:29着 17:33着

キハ281系気動車

 上々≠ネ旅II(2004年)で函館までは来訪したが、この先は未踏の地である。そこへ、JR北海道が誇る新型気動車キハ281系気動車で、足を踏み入れることにした。

 特急〔スーパー北斗13号〕は、函館駅5番線ホームで発車を待っていた。気がつけば、もう発車時刻に間近となっていた。早速、特急券に指定された号車に乗り込んだ。荷物を整え、座席に腰を落ち着かせたら、もう発車時刻となっていた。

 14時13分、特急〔スーパー北斗13号〕は定刻通り函館駅を発った。五稜郭までは特急〔スーパー白鳥1号〕で辿った道を戻る。五稜郭を過ぎると、床下のディーゼル音が一気に加速モードに入ったかのように轟き始め、直噴式ターボチャージャーの355PS(馬力)エンジンを2台がうなった。加速は背中に「G」を感じるほどはやい。

(画像提供:日本の旅・鉄道見聞録

 キハ281系気動車は、JR四国の2000系気動車をモデルに開発した特急用の振り子式気動車である。1992年(平成4年)に2輌の試作車が製作され、この試作車からフィードバックした膨大なデータに基づき、1994年(平成6年)に量産車が登場し、3月から特急〔スーパー北斗〕に登場した。「HEAT 281」(Hokkaido Express Advanced Train)最高速度は130km/h、曲線での通過制限速度を従前よりも最大30km/hも向上させ、札幌−函館間を3時間で結ぶことができるようになった。在来線で表定速度がもっとも高い(約106.23km/h)列車のひとつである。JR北海道の特急用標準型車輌、キハ283系気動車やキハ261系気動車の「祖」ともいえる車輌である。

 特急〔スーパー北斗〕〔北斗〕には、このキハ281系気動車の他、キハ283系気動車、キハ183系気動車が用いられている。特急〔スーパー北斗13号〕はキハ281系気動車が用いられているというわけだ。

特急〔スーパー北斗〕〔北斗〕使用車輌(2006年8月現在)
下り(函館発札幌行) 上り(札幌発函館行)
キハ183系気動車 北斗5号、11号、15号、19号 北斗4号、8号、14号、20号
キハ281系気動車 スーパー北斗1号、3号、9号、13号、17号 スーパー北斗6号、10号、12号、18号、22号
キハ283系気動車 スーパー北斗7号、21号 スーパー北斗2号、16号

北の大地を駆け抜ける

函館本線・七飯−森間の略図 七飯から通称藤城線ふじしろせんとよばれるショートカットの下り線に入り、大沼からは通称砂原線さわらせんに入らず大沼公園を経由する本線(旧線)に入る。ここは、それぞれ輸送力増強のため複線化する際、駒ヶ岳山麓の急勾配を避けるため、別線のように新しいルートで線路が敷設された。1945年(昭和20年)6月に砂原線、1966年(昭和41年)10月に藤城線が開業し、砂原線は主に上り列車、藤城線は主に下り列車が割り当てられた。現在でも、貨物列車は上り下りで別々に運転されるが、特急列車などは車輌性能が向上したことから、砂原線を通ることになく、大沼公園を経由する旧線を走る。

 大沼と小沼の間を抜け、大沼公園に停車。心地よいディーゼル音が響き、車窓右手には火山・駒ヶ岳を眺め、特急〔スーパー北斗13号〕は進んでいく。

 14時48分に駅弁「いかめし」で有名な森に停車。いよいよ、右手に内浦湾を眺めることとなる。心地よいディーゼル音と揺れが眠気を誘い、前夜からの旅の疲れもあってか、ウトウトと眠ってしまった。それほど、特急〔スーパー北斗13号〕は静かに、しかし力強く北の大地を進んでいった。

 八雲では最後尾の1号車がホームから外れると到着前に案内放送が流れた。ふと、通常の7輌編成が2輌増結されて9輌編成となっていることにその放送で気づかされた。少なくとも乗車している2号車では、増結している意味はあるのかというほど静か(乗車率は3〜4割程度か)なので、もしかすると、車輌運用上の都合で増結されているのかもしれない。その八雲には3分ほど遅れて到着。3分遅れの原因については、特段説明はなかった。

 長万部からは、函館本線(通称:山線やません)に進まず、室蘭本線にその道を求めて進む。これとともに、それまで函館本線と併走するかのように並行していた国道5号線も別れを告げ、国道37号線が並行するようになった。

内浦湾と有珠山

 特急〔スーパー北斗13号〕は室蘭本線に歩を進め、車窓右手には引き続き内浦湾、左手には有珠山が眺められるようになる。内浦湾は「噴火湾」、「胆振いぶり湾」とも呼ばれているが、有珠山や駒ヶ岳の火山とは関係ないらしい。明治時代に来道した英国人船長が、湾を取り囲む駒ヶ岳や有珠山などを見て「これは噴火湾だ」と語ったことに由来するとのこと。

 さて、車窓左手に見えるはずの有珠山は、もやに隠れ眺めることはできなかった。有珠山といえば、明治新山、昭和新山などを生成した活発な火山で、2000年(平成12年)の噴火も記憶に新しい。

2000年(平成12年)の有珠山噴火

 2000年(平成12年)3月29日、気象庁から有珠山に関する緊急火山情報が出され、近日中に有珠山が噴火するとの予知が発表された。噴火前に予知情報に基づいて緊急火山情報が発表された例はこの有珠山噴火しかない。

 有珠山麓の伊達市、虻田町、壮瞥町では住民に対し避難指示・勧告を出し、住民は噴火していないにもかかわらず避難していった。火山性有感地震が頻発していたため、住民たちの噴火への危機感も高かったのだろう。

 3月31日13時10分頃、有珠山西山西麓から噴火が確認され、噴煙の高さは最高で3,500mに達した。その後4月1日11時30分過ぎには、有珠山北西側にある金比羅山西側山麓に新たな火口群を形成し、噴火、噴煙の高さは最高で3,000mを観測した。住民の人的被害は皆無だったが、59棟が全壊、半壊211棟、一部損壊501棟という被害が出た。

 有珠山噴火に対し、JR北海道は3月29日に長万部−東室蘭間の運転を休止し、特急〔スーパー北斗〕〔北斗〕の運転を小樽経由の山線回りに迂回させ、寝台特急〔北斗星〕や〔トワイライトエクスプレス〕も山線に迂回させた。貨物列車も山線に迂回、船舶代行としたが、山線が一気に過密ダイヤとなり、山線の普通列車を代行バスに振り替えて、道央と道南の輸送路確保に努めた。噴火した3月31日には北海道の現地対策本部からの要請で、虻田町住民避難のための救難列車が運転された。函館発札幌行の特急〔北斗15号〕(9015D、山線迂回運転予定)を長万部で運転を打ち切ったうえ、虻田町住民の避難列車として向かわせることとなった。JR北海道は、避難住民への乗車案内要員の確保、避難住民の休憩所準備、代行パス手配、運行安全確認部隊の編成、避難列車ダイヤ作成等避難列車運行準備の対応に追われ、運転を打ち切った9015Dを含め2本の列車を緊急避難列車として運転した。運転が難しい台風災害や地震災害とは異なり、噴火災害では安全が確保されていれば、避難民輸送に鉄道が大量輸送力を発揮する証左ともなった。

 噴火が沈静化した4月27日には貨物列車の運転を再開し、29日には旅客列車の運転も本格的に再開され、山線迂回となっていた道央と道南を結ぶ特急列車は通常通り室蘭本線経由の運転に戻った。

 特急〔スーパー北斗13号〕は遅れを取り戻すことなく、15時50分洞爺に到着した。すぐに発車となる。洞爺は洞爺湖温泉への最寄り駅で、洞爺湖観光への玄関口でもある。ちなみに、洞爺とはアイヌ語で湖岸を意味する「トーヤ」に由来しているという。ここが時間的に函館と札幌の中間点となる。伊達紋別は伊達市の中心駅で、以前は胆振線が1986年(昭和61年)10月末に廃止されるまで分岐駅でもあった。伊達市はその名が示すように仙台藩一門の伊達氏が深く関係している。1869年(明治3年)に亘理伊達家15代目の伊達邦成が開基、伊達氏のような旧士族は明治時代の北海道開拓に道内各地に移住してきたが、伊達は特に成功を収めたところでもある。なお、伊達邦成の亘理伊達家はもちろん仙台伊達家の遠戚にあたる。亘理伊達家の初代実元さねもとの父、稙宗たねむねは伊達政宗の曾祖父(ひい爺さん)にあたる。明治時代に開拓のため渡道した人々は出身地を地名にしてきた例が多いが、伊達は「亘理」とせずに名家の「伊達」を名乗ったのだろうか。

 明治開拓時代の労苦を偲びつつ、伊達紋別を発ち、次は「製鉄の町」室蘭である。東室蘭までの間でDD51型ディーゼル機関車2輌が牽引する寝台特急〔トワイライトエクスプレス〕とすれ違った。札幌を14時05分に発ち、大阪にはお昼過ぎに到着する、まさに「乗るための寝台列車」である。

 16時14分、東室蘭に到着した。ここからは交流電化された室蘭本線を進む。ここまでキハ281系気動車の乗り心地を体感してきたが、「上々≠ネ旅III」で乗車したJR四国の2000系気動車と比較しても、力強い印象を受ける。スピードが遅い電車特急よりも速く感じ、「俊足特急」の名に相応しい。振り子式の機能を十分に活かして、カーブでもスピードを落とさないからだろうか。温泉地らしいホームの装飾が目を引く登別に停車した特急〔スーパー北斗13号〕は、スピードを抑えることなく北海道の大地を進んでいった。

総合工業都市・苫小牧

 雲行きがいよいよ怪しく、雨もポツリポツリと窓に当たるようになった。特急〔スーパー北斗13号〕は16時50分に苫小牧に到着した。苫小牧は製紙業を中心とする工業が盛んな都市で、夏の高校野球で初めて優勝旗を渡道させた駒大苫小牧高校でも有名である。苫小牧は「トマコマナイ」(沼の奥にある川)というアイヌ語が由来であり、当初は「苫細」と書かれていたが、1874年(明治7年)8月20日に「苫小牧」に改めたという記録があるという。しかし、牧を「マイ」としたのは、開拓使東京出張所の庶務官が「小枚」とすべきところを「小牧」としたためという説がある。

 苫小牧のひとつ先の駅、沼ノ端から千歳線に入った。北海道のJR路線名は、現在の特急運転系統に即していない印象を拭いきれない。特に特急〔スーパー北斗〕〔北斗〕の函館−札幌間は、函館本線・室蘭本線・千歳線・函館本線となっている。例えば、この区間を「道南本線」、山線区間を小樽線などといってよいだろう。北海道新幹線が開業する将来、本格的な鉄道路線名再編が来るのかもしれない。

 千歳空港駅を改称(1992年)した南千歳に停車したが、新千歳空港への乗り換えか石勝線の列車への乗り換えのため、降車した利用者はあったが、ここから乗車するような利用者はみられなかった。札幌までは快速〔エアポート〕が充実しており、わざわざ特急料金を支払って特急列車に乗車する必要もないのだろう。

道都・札幌へ

 残す停車駅は新札幌のみとなり、いよいよ道都・札幌が近づき、車窓はそれまでの北の原野から都市的街並みに一気に変貌していった。新札幌は札幌市営地下鉄東西線の乗換駅とあって、札幌駅を経由せずに大通公園や宮の沢方面へ行けることもあり、ここで降りる客も少なくない。

 北の空は夏といえども日暮れは早く、もう夕闇深く、特急〔スーパー北斗13号〕の車内放送が「終点・札幌」に到着する放送を始めた。白石から再び函館本線に入り、到着放送を聞いた乗客も荷物を整え、デッキに集まりだした。17時33分、定刻より約4分遅れ、特急〔スーパー北斗13号〕は札幌駅4番線ホームに到着した。9輌編成の特急〔スーパー北斗13号〕から多くの乗客がはき出され、エスカレーター・階段へと足早に向かっていった。そのホームには小樽行の普通列車を待つ帰宅客が列をなしていた。これ以外のホームを見渡しても、学園都市線(札沼線)、岩見沢方面、千歳方面への列車を待つ乗客がホームに集まっていた。まさに「札幌都市圏」の交通の重責を担う一端が窺えた。

 上野から1,251.7km――。「上々≠ネ旅IV」はここで一区切りし、30日の特急〔スーパー宗谷1号〕から再開となった。

 

(北海道イメージアップキャンペーンキャッチフレーズ・ロゴタイプ届出番号2598)
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