トップplus+上々≠ネ旅IV 2006〔あけぼの〕
〔あけぼの〕
〔あけぼの〕
青森(連絡船埠頭)
〔スーパー白鳥1号〕
〔スーパー北斗13号〕
〔スーパー宗谷1号〕
〔スーパーホワイトアロー22号〕
〔北斗星2号〕
〔北斗星2号〕
上野
JôJô Tour 2006

2006年 〔北斗星〕再び… “上々”な旅IV

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 “上々”な旅II(2004年)で初めて「北海道上陸」を果たしたが、函館に4時間滞在したのみに過ぎなかった。第4弾となった今回は、本格的に「北海道」を堪能する旅となった。今回は、前回の“上々”な旅III(2005年)と同様に新幹線を避けてみた。となると、渡道ルートは寝台特急〔北斗星〕がメインとなってしまうが、往路はあえてそのメインルートを避けてみた。

 「“上々”な旅IV」は、寝台特急〔あけぼの〕からスタートした――。

 今や、この発車案内板に表示される「青森」行は、この寝台特急〔あけぼの〕のみとなった。
 「寝台特急」の始発駅に相応ふさわしい舞台が、人気ひとけの少ない上野駅13番線ホームにはある気がする。
 「弘前」と書かれた新聞の束が用意されていた。〔あけぼの〕は新聞輸送の重責も担うようだ。
 尾久から推進運転(バック運転)で入線する寝台特急〔あけぼの〕。
 発車を待ち乗客を迎え待つ寝台特急〔あけぼの〕。
 この日はなぜか電源車(カニ24)が2輌連結され、双方ともディーゼル音を轟かせていた。
 寝台特急〔あけぼの〕の方向幕。一部は「(羽越・奥羽線経由)」を消しただけと思われる方向幕もあった。
 テールマークが旅情を誘う。
 6号車のソロ。
 ソロの上段。寝台としてセットされていない状態で乗り込むこととなる。
 ソロの通路。大きな荷物を持っているとやや狭く感じる。
 こんな注意書きも上段だからだろうか……
 高崎で5分停車し、寝台特急〔あけぼの〕は三国峠越えに挑む。
2021 寝台特急〔あけぼの〕
0.0 上 野 21:45発
26.7 大 宮 22:08着
22:09発
101.4 高 崎 23:15着
23:20発
374.5 村 上 3:19着
3:21発
424.9 あつみ温泉 4:09発
454.5 鶴 岡 4:35着
4:39発
469.8 余 目 4:53着
4:53発
482.0 酒 田 5:06着
5:08発
494.2 遊 佐 5:19発
518.5 象 潟 5:43発
529.8 仁賀保 5:54発
544.0 羽後本荘 6:09着
6:10発
586.8 秋 田 6:47着
6:52発
615.6 八郎潟 7:18発
633.2 森 岳 7:39発
643.5 東能代 7:50着
7:51発
660.3 二ッ井 8:06発
676.6 鷹ノ巣 8:17着
8:18発
691.0 大 館 8:35着
8:36発
715.3 碇ヶ関 8:57発
723.4 大鰐温泉 9:05着
9:05発
735.2 弘 前 9:17着
9:18発
772.6 青 森 9:55着

上野駅13番線ホーム

 2006年(平成18年)8月27日、日曜日。この日の東京は雲に覆われ、最高気温は30℃を割り込んだものの、蒸し暑さは緩むことなく、湿気が身体にまとわりつく。

 東京から北海道への鉄道渡道ルートは、寝台特急〔北斗星〕、もしくは東北新幹線〔はやて〕〜特急〔スーパー白鳥〕〜L特急〔スーパー北斗〕が普通である。もっとも東京から北海道へは航空路がシェアの96%を占めるメインであることはいうまでもないが。そこをわざわざ「日本海側」(羽越本線・奥羽本線)を経由して渡道するのだから、なかなか「特異」なケースである。

首都圏から北海道への交通機関シェア
(第3回全国幹線旅客純流動データより作成)

 さて、上野駅13番線ホームは地平頭端ホームの端に位置し、隣のホームからは宇都宮線・高崎線のE231系電車や211系電車が発着していく。そこには115系電車の姿はなく、その代わりに普通列車に連結されたグリーン車の姿がある。もう「国鉄」の姿を見いだすことは難しくなった。

 発車時刻までまだ30分以上あるというのに、寝台特急〔あけぼの〕の乗客らしき荷物を抱えた人たちが集まり始めていた。なかには、東京ディズニーリゾートのバッグを提げた若者の姿もある。どちらかといえば、寝台特急は年配者向けとの先入観があったが、若者の姿に驚き半分といったところだ。

 21時18分、1号車を先頭にして寝台特急〔あけぼの〕となるブルートレインが入線してきた。上野駅13番線ホームは行き止まりのホームであるため、〔あけぼの〕は推進運転で入線してくる。つまり、牽引すべき機関車が車輌を後押しして入線してくる。1号車のオハネフ25は貫通扉が開き、係員が前方確認とブレーキ操作を補う。所定の位置に停車し、しばらくすると各車輌のドアが開いた。

 「13番線に停車中の列車は、青森行き、寝台特急あけぼの号です。……」と構内放送が流れると、ホームの待合いスペースで待っていた乗客が次々と乗り込んでいった。

 乗り込む前にどれほどの乗客が乗り込んでいるのか、ホームを歩いて様子をうかがってみた。8月最後の日曜日、この日に空席が目立つようであれば、相当深刻な状態であるといわざるをえない。1号車の開放2段B寝台レディースゴロンとシートは女性専用車輌で、もちろん女性の姿しかない。2号車〜4号車は同様に開放2段B寝台。こちらは下段を中心に寝台が埋まりつつある。5号車と6号車はB寝台個室ソロ。上段・下段ともほどほど埋まっているようだ。ただ、カーテンは入線時から閉じられていて本当にどれほどの乗客がいるのかはホームから窺い知ることはできない。そして、7号車はA寝台個室シングルデラックス。最後に8号車は開放2段B寝台ゴロンとシート。こちらも下段がほどよく埋まっている。

電源車の重連

 先頭の機関車は、EF81型交直流電気機関車。〔あけぼの〕のヘッドマークも色褪せることなく、発車を待っていた。ただ、先頭のEF81型電気機関車と8号車との間には電源車が挟まり、後部の各車輌の電源をまかなっている。ただ、この日は電源車が2輌連結されていた(ページ下部の編成表参照)。それも2輌とも電源車内のディーゼルエンジンが稼働しており、上空が閉ざされた地平ホームでは、轟音が逃げ場を失い、鼓膜を直撃するように響いてくる。

孤軍の〔あけぼの〕

 B寝台券に指定された6号車に乗り込んだ。これまで、上々≠ネ旅では寝台特急〔彗星〕(廃止)、〔北斗星2号〕〔富士〕とソロに3回乗車した。これで4回目だが、〔彗星〕と同様に車輌中央に通路を設けその左右に2段の個室が並ぶ車内構造である。〔北斗星2号〕、〔富士〕のように通路を隅にして枕木方向に寝台が並ぶ車内構造と優劣を比することは難しい。ただ、上段に限ってみれば、〔彗星〕〔あけぼの〕方式は窮屈感が否めない。

 車内も三々五々個室が埋まっていくのか、個室のドアの開閉音だけが聞こえてくる。時計の針は21時40分を回り、まもなく発車である。

 21時45分。定刻通り寝台特急〔あけぼの〕は、上野駅13番線ホームを離れた。上野駅から発車する寝台特急はこのあと金沢行の〔北陸〕しかない。〔はくつる〕〔ゆうづる〕と発車していった時代は、もう過去のものとなっていた。

上野始発の下り寝台特急・夜行列車 上野駅発車時刻
1987年(昭和62年)4月 2006年(平成18年)8月
列車名 行先
19:50 寝台特急〔ゆうづる1号〕 青森(常磐線経由)
20:50 寝台特急〔あけぼの1号〕 青森(奥羽本線経由)
21:01 急行〔能登〕 金沢(信越本線経由)
21:18 急行〔八甲田〕 青森
21:50 寝台特急〔北陸〕 金沢
22:00 寝台特急〔あけぼの3号〕 青森(奥羽本線経由)
22:20 寝台特急〔はくつる1号〕 青森
22:24 寝台特急〔あけぼの5号〕 秋田(奥羽本線経由)
22:30 急行〔津軽〕 青森(奥羽本線経由)
23:03 寝台特急〔出羽〕 秋田(羽越本線経由)
23:12 寝台特急〔ゆうづる5号〕 青森(常磐線経由)
23:58 急行〔妙高〕 長野
列車名 行先
16:20 寝台特急〔カシオペア〕 札幌
16:50 寝台特急〔北斗星1号〕 札幌
19:03 寝台特急〔北斗星3号〕 札幌
21:45 寝台特急〔あけぼの〕 青森(羽越本線経由)
23:03 寝台特急〔北陸〕 金沢(上越線経由)
23:33 急行〔能登〕 金沢

 日暮里付近で上野駅地下ホームから駆け上ってきた〔とき353号〕がスーッと追い越していった。この〔とき353号〕は新潟行の最終列車であり、新潟から羽越本線方面への接続列車はない。

 ほどなくして、車内放送が流れた。青森までの全ての停車駅と停車時刻、それに貴重品管理などの留意点が案内され、秋田到着の20分前まで車内放送を控えるという。さほど遅くない時間帯ではあるが、上野発車後の放送でいわゆる「おやすみ放送」になったのには驚いた。やはり、早朝から停車するため、早々に床に就いた乗客への配慮であろう。

 大宮の手前から、窓に雨粒が付くようになった。大宮に到着すると、6号車でも個室のドアを開閉する音が聞こえた。大宮からも乗客が増えたらしい。1分程度の停車時間で大宮を定刻に発車した寝台特急〔あけぼの〕は、高崎線に針路をとった。

 大宮までの車窓は、高層マンションやビルが続き、ネオンや灯りで眩しいほどだったが、高崎線に入ると、駅の周辺はマンションがあるものの、車窓から入る灯りは、どことなく家庭的な灯りをもたらしてくれるようになった。通過する各駅の下りホームも日曜日のせいか、列車を待つ人もまばらだった。熊谷を通過する頃には車内も静かになって、車窓の闇も深くなった。6号車のソロもトイレに立つであろう乗客のドアを開け閉めする音がたまに聞こえるだけで、たまに下から聞こえるジョイント音が心地よく響いた。

上越国境に挑む

 23時20分、高崎に5分停車した寝台特急〔あけぼの〕は、上越線に入り、いよいよ上越国境に挑んだ。ホームの灯りも駅名標以外の灯りが消された駅やホームにぽつりぽつりと灯りが点いた無人駅を通過していく。沼田にさしかかる頃には、霧に煙るようになった。

 日付が8月28日に変わり、0時15分に水上に運転停車した。まるで本格的な峠越えに息を整えるかのように、6分間ほど停車し、いよいよ上越国境に挑んだ。車内はジョイント音が響くのみで、ほとんどのソロ個室の乗客は眠りに就いたようだ。ベッドをセットし個室の灯りを落として、読書灯のみにして床に就いた。

悲運の〔あけぼの〕

 寝台特急〔あけぼの〕の歴史を簡単にひもといてみたい。1970年(昭和45年)7月1日に上野−秋田間を東北本線・奥羽本線を経由する臨時列車として登場した。同年10月1日には、20系客車を導入して上野−青森間(東北本線・奥羽本線経由)の急行〔おが〕を引き継ぐように、寝台特急〔あけぼの〕は定期列車となった。1973年(昭和48年)10月のダイヤ改正で上野−秋田間に1往復増発され、上越新幹線が開業した1982年(昭和57年)11月15日にはさらに上野−青森間に1往復増発され、3往復運転されるようになった。同日、上野−秋田間に上越線・羽越本線を経由する寝台特急〔出羽〕が登場した。

 1990年(平成2年)9月1日に山形新幹線工事に伴い、1往復を上越線・羽越本線経由の寝台特急〔鳥海〕に改称し、1往復を東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由とした。1991年(平成3年)3月16日のダイヤ改正ではA寝台1人用個室「シングルデラックス」とB寝台1人用個室「ソロ」が1輌ずつ連結されるようになった。一方で、1990年代から寝台列車の凋落傾向が顕著になり、1993年(平成5年)12月1日のダイヤ改正で寝台特急〔出羽〕が〔鳥海〕に統合される形で廃止された。1997年(平成9年)3月22日の秋田新幹線開業に伴うダイヤ改正で、東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由の寝台特急〔あけぼの〕が廃止され、上越線・羽越本線を経由する寝台特急〔鳥海〕を〔あけぼの〕と改称した。当初、東北本線・奥羽本線を経由した寝台特急〔あけぼの〕は、山形新幹線に関連して陸羽東線を経由するようになり、さらに秋田新幹線の開業によって、上越線・羽越本線を経由するという、「ミニ新幹線に翻弄された」運命をたどった。2002年(平成14年)1月には、開放2段B寝台に毛布や浴衣、シーツなどのサービスをなくし、指定席券で乗車できる「ゴロンとシート」を開始し、10月には女性専用の「レディースゴロンとシート」も始まった。

 新幹線の直接的な恩恵を受けない羽越本線や奥羽本線の沿線から、東京への直通列車として、寝台特急〔あけぼの〕は、他の寝台列車が廃止される中、ひっそり≠ニ運転を続けた。しかし、2004年(平成16年)から立て続けに3回も長期運休を余儀なくされた。1度目は新潟中越大震災(新潟県中越地震)で、このときは地震発生の10月23日から翌2005年(平成17年)3月24日まで約5ヶ月間も運休した(長期運休により、秋田−青森間では臨時の特急〔かもしか〕が運転された)。2度目は2005年(平成17年)12月25日に発生した羽越本線での特急〔いなほ14号〕脱線転覆事故によるもので約1ヶ月間運休。3度目は2006年(平成18年)7月13日に発生した羽越本線内での土砂崩れによるもので、海の日を含む3連休には東北本線・北上線を経由して迂回運転された以外は運休となった。3年連続で長期運休を余儀なくされた寝台特急は、過去に例がないだろう。3度も経由線区が変更されたことと合わせて「悲運に翻弄された」列車ともいえる。しかし、これほどまでの悲運にもめげず、運転され続けているということ自体に、ある種の寝台特急〔あけぼの〕のスゴさがあるのかもしれない……

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