トップplus+上々≠ネ旅III 2005東京
〔サンライズ瀬戸〕
〔サンライズ瀬戸〕
四国上陸
高松琴平電気鉄道
金刀比羅宮
〔うずしお19号〕
鳴門線
〔剣山9号〕
〔南風21号〕
土佐電気鉄道
〔南風11号〕
予土線
〔宇和海24号〕
伊予鉄道
道後温泉
伊予鉄道
〔しおかぜ24号〕
〔ひかりレールスター375号〕
広島電鉄
〔富士〕
〔富士〕
東京
JôJô Tour 2005

2005年 夢四国(コーストラリア)一周+ブルートレイン “上々”な旅

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 見慣れたJR東日本の駅名標の熱海。
 東海道本線・大船駅に隣接する鎌倉総合車両センターに留置されている全2階建て電車「215系電車」。今ではなかなか出番はないようだ。
 終着・東京も目前。有楽町で山手線のE231系電車とすれ違う。徐々に「現実」に引き戻される。
 東京駅10番線ホームに到着した寝台特急〔富士〕。隣には200系電車。
 先頭の機関車が切り離され、回送としての発車を待つ。既にドアは閉まっている。
 星が輝く「ソロ」。いわば2階建ての窓配置に、周囲の人々の視線を集める。
 東京駅。この“上々”な旅に幕が下ろされると同時に、「現実」に戻される。
2 寝台特急〔富士〕
変更
0.0 広 島 22:37発 22:47発
82.9 尾 道 23:48発 23:58発
103.0 福 山 0:04発 0:15発
161.3 岡 山 0:48発 0:57発
528.2 名古屋 5:19発 5:34発
637.1 浜 松 6:32発 7:31発
714.0 静 岡 7:30発 8:30発
748.0 富 士 8:02発 8:58発
768.0 沼 津 8:17発 9:19発
789.6 熱 海 8:35発 9:39発
865.4 横 浜 9:36発 10:40発
894.2 東 京 9:58着 11:03着

JR東日本管内へ

 東海道本線の「箱根の関所」ともいえる丹那トンネルを抜け、9時37分に熱海に到着した。運転士の交替などで2分ほど停車し、9時39分に発車した。ここまで、静岡から富士、沼津、熱海と1時間あまりに4駅に停車したが、どうしても発車時には「ガタッ」と軽い衝撃感がある。停車時にはスーッと停まるが、やはり電気機関車に牽引される客車寝台特急ではどうしようもないことで、これこそ運転士の腕頼みという「職人技」に頼るしかない。

 熱海からは普通列車の間を縫うように走っていく。小田原では小田急電鉄の「ロマンスカー」とすれ違った。車窓はもう「首都圏」となっていた。自然の緑は遠くに望むしかなく、家、家、家が車窓に並ぶ。国府津からは東海道貨物線が並行し複々線となって、車窓はさらに賑やかになる。

新幹線では味わえない

 およそ1時間で寝台特急〔富士〕の旅も幕を迎える。車窓を眺めていると、どれだけの人がこの車窓を楽しんできたのか……と先人達に思いを馳せた。

 もしかすると幾千、幾万の人々が様々な気持ちを抱えて、この車窓を眺めたに違いない。東京で名をあげるために、故郷の懐かしい面々に逢うために、団体旅行で、この車窓も変化したのと同じように、車窓を眺める人たちも変化していった。

 今や、東海道の鉄道は「新幹線」の時代であり、寝台特急はとてもマイナーな存在になのだろう。1980年代前半までが寝台特急〔富士〕が輝いていた時代なのかもしれない。もしかすると、その残光を今浴びているのかもしれない。

 けれども、この車窓を眺めていると、寝台特急〔富士〕には新幹線では決して味わうことができない「なにか」がある気がする。それは「旅情」という一言で表現されることが多いが、それ以上の筆舌に尽くしがたい「なにか」があるようでならない。「目的地に早く快適に移動したい」というのは人間の偽らざる要求である。その要求に応えるように、新幹線網、航空網が発達した。やはり、時代の要求に応えられないものは淘汰されていくのが“世の定め”のようだ。けれども、寝台特急になにかを求め、新幹線よりも時間がかかることを承知の上で、利用する人たちには「新幹線よりも快適」なのだろう。

 結論が出ない思いに、車窓を眺めるしかなかった。車窓は何を語るでもなく、ただただ流れていった。

特急〔東海〕に追いかけられて……

 小田原からは湘南新宿ラインの電車も加わり、さらに113系電車やE231系電車の普通列車の合間を縫う感が強まってきた。携帯している時刻表を読み込めば、この寝台特急〔富士〕の後ろからは静岡発東京行の特急〔(ワイドビュー)東海2号〕が追いかけている。追いかけられていることがわかると、横浜と東京の到着予定時刻がわかってきた。途中で特急〔(ワイドビュー)東海2号〕に追い抜かれない限り、東京には11時過ぎには到着するようだ。

 10時26分には大船を通過した。隣接する鎌倉総合車両センターには全2階建電車・215系電車が留置されていた。大船では根岸線・京浜東北線、横須賀線も加わり、一気に「東京感」が強まった。徐々に“上々”な旅の幕が近づき、現実に引き戻されつつある。けれども、その分、残りの時間を満喫しようという気分にもなる。

寝台特急〔富士〕と寝台特急〔はやぶさ・さくら〕

 広島乗車の冒頭で述べたように、〔富士〕には失礼だが、〔さくら〕に乗車したかった。やはり廃止される前に乗っておきたいのは、「世の常」ともいうべきで……。けれども、結局は〔富士〕に乗車した。

 実は、寝台特急〔富士〕と寝台特急〔はやぶさ・さくら〕は、同一の編成で運転されている。共通運用化することで、効率よく運転されている。なので、たとえ乗客が少なくとも、寝台特急〔富士〕は堂々たる11輌編成(1月以前は12輌編成)で運転される。

  • 4号車のA1寝台「シングルデラックス」は1月11日から欠車

 推測の域を脱しないが、どうも寝台特急〔富士〕として運転する日もあれば、寝台特急〔はやぶさ・さくら〕として運転する日もあるようで、寝台特急〔富士〕に寝台特急〔さくら〕の面影を求めてみた。寝台特急の雰囲気はやはり大差はない。けれどもやっぱり寝台特急〔さくら〕に乗りたかったというのが偽らざる気持ちでもある。

 ちなみに、寝台特急〔富士〕、寝台特急〔はやぶさ・さくら〕に運用されている14系15型・24系25型客車は、いずれもJR九州の所属となっている。

ラストスパート

 10時39分、寝台特急〔富士〕は横浜駅8番線ホームに到着した。横浜駅は、通勤ラッシュ後の静けさで、寝台特急〔富士〕に目を向ける人はそれほど多くない。隣の9番線・10番線ホームには横須賀線のE217系電車が発着していく。

 ここまで来れば、もう東京は目の前だ。ラストスパートにふさわしい走りをみせる。川崎を通過して多摩川を渡ると、東京都に入る。京浜東北線の209系電車が頻繁にすれ違ったり追い越していく。どうも横浜発車がサインだったのか、8号車・ソロの乗客も洗面所で身だしなみを整え、終着へ向けた乗客の準備も徐々に慌ただしくなってきた。やはり、トイレは洗浄水が凍り付いたままだったようだ。

 個室に備え付けの浴衣から着替え、荷物も整理していると、もう車窓は品川の手前で、山手線が合流するところだった。

“1週間の旅”、終着・東京へ

 「ご乗車ありがとうございました。終点・東京に到着致します。……」と最後の車内放送が流れると、新橋を通過し、有楽町にさしかかり、寝台特急〔富士〕は減速し始めた。

 定刻よりも1時間5分遅れで、寝台特急〔富士〕は東京駅10番線ホームに到着した。11輌編成の寝台特急〔富士〕から降り立った乗客はまばらで、足早にホームの階段を降りていった。

 昼下がりともいえる時間帯だけに、ホームの喧噪はそれほどでもないが、東隣の上越・長野新幹線ホーム(20番線・21番線ホーム)には「ニュー新幹線」と呼ばれた100系電車型のロングノーズの200系電車が、まるで、寝台特急〔富士〕との競演を待つように停まっていた。JR発足期の「バブル華やかな時代」を見た気がした。乗客が全員降りたのが確認されると、ドアが閉められ、先頭のEF66型電気機関車が切り離されていった。タイミングを見計らって、回送へと送られる準備が始まっていた。向かい側の9番線ホームには追っかけていた特急〔(ワイドビュー)東海2号〕が到着した。“1週間の旅”を終えた感傷に浸っている余裕は与えてもらえそうもない。

 もう、寝台特急、夜行列車は、

  1. 〔カシオペア〕や〔トワイライトエクスプレス〕のように、列車そのものの移動時間を楽しむ寝台特急
  2. 〔サンライズ瀬戸〕〔サンライズ出雲〕のように、全個室化などの近代化を図った寝台特急
  3. 〔ムーンライトながら〕のように、快速列車として寝台はないが安価な列車

の三極に収斂されていくのだろうか、この三極に当てはまらない列車は淘汰されていく運命にあるのだろうか。この中には伝統の「ブルートレイン」は淘汰されていく運命にある。これだけは時代の流れと半ば諦めるしかない。この三極では、〔富士〕のような列車はどこにも当てはまりそうもない。やはり、過去の栄光の残光を浴びて「生き残っている」のかもしれない。けれども、もうしばらく、「ブルートレイン」には最後の意地をみせてほしい。

 もしかすると、永遠とわの別れになるのかもしれない寝台特急〔富士〕に、感謝と激励の気持ちを抱いたまま、ホームの階段を降りた。

(完)

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