| JôJô Tour 2005 |
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| 真冬の夜明けは遅い。まだ夜が明けない名古屋駅に到着。ホームも真っ白になっている。 |
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| どこかの駅を通過する。窓には雪が吹き付けられ凍り付く。 |
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| 夜が明け、豊橋駅を通過する。「-1℃」でも通勤客は黙々と電車を待っているようだ。相当寒さがこたえる。 |
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| 「ソロ」個室内にはトイレマークの機械が。カバーを開けると、ランプのようなものが現れた。これはトイレ使用中に点灯するようだ。ただ、点灯は確認できなかった。 |
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| 名古屋から車内販売が乗り込んできた。購入したのはサンドウィッチとオレンジジュース。 |
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| 浜名湖付近を通過している時、並行する東海道新幹線には500系電車の〔のぞみ1号〕(東京6:00発)がすれ違った。 |
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| 浜名湖の鉄橋を渡る。 |
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| 寝台特急〔富士〕の車内から、快晴の空に浮かぶ富士山を眺めた。 |
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| 5号車のロビーカー。人影はまばら。せめて、朝刊やテレビがあれば…… |
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| 6号車と7号車には貫通扉があり、〔富士〕のテールマークをつぶさにみることができる。 |
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| さらに、富士続き。寝台特急〔富士〕は、富士に停車する。これがダジャレのために停車しているのかはわからない。 |
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| 製紙業が盛んな富士市。製紙工場からの白煙の後ろには富士山。 |
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| それまでの雪模様が嘘のように晴れ渡った。「SOLO」のサインが後ろから太陽に照らされる。 |
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| B寝台。一部はカーテンが閉まっているが、ほとんどは空気を運ぶ寂しい現実を突きつける。 |
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| 「ソロ」個室内に備え付けのテーブルは、ノートパソコンも置けるほど大きい。ただ、電源供給がないだけに実用できない。 |
| 2レ 寝台特急〔富士〕 |
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変更 |
| 0.0 |
広 島 |
22:37発 |
22:47発 |
| 82.9 |
尾 道 |
23:48発 |
23:58発 |
| 103.0 |
福 山 |
0:04発 |
0:15発 |
| 161.3 |
岡 山 |
0:48発 |
0:57発 |
| 528.2 |
名古屋 |
5:19発 |
5:34発 |
| 637.1 |
浜 松 |
6:32発 |
7:31発 |
| 714.0 |
静 岡 |
7:30発 |
8:30発 |
| 748.0 |
富 士 |
8:02発 |
8:58発 |
| 768.0 |
沼 津 |
8:17発 |
9:19発 |
| 789.6 |
熱 海 |
8:35発 |
9:39発 |
| 865.4 |
横 浜 |
9:36発 |
10:40発 |
| 894.2 |
東 京 |
9:58着 |
11:03着 |
雪雲とともに……
ふと、目覚めた。時計の針はちょうど5時30分。どこかの駅に止まっているようだ。山口県などでの雪害でダイヤが乱れていたが、どうなっているのか? 車窓をよく見れば、ホームにもまだ雪が積もっている。停まっているので、どこの駅か外を凝視してもわからない。動き出せばわかるのだろう。3分ほどたって、寝台特急〔富士〕が動き出した。動き出すとともに、「名古屋」と駅名標が確認できた。時刻表に目を落とし、寝台特急〔富士〕の欄を追った。15分遅れに遅れは広がっている。
窓には雪が吹き付けられ、そのまま凍り付いてしまう。しかし、車内は適度な室温で寒さなんて無縁だ。
ベッドに横になっていると、再び眠ってしまった。
トイレ故障!
目が覚めた。もう車窓の空は白み、時刻は6時30分を回っていた。起きてさっそく、トイレに向かう。まだ朝早いので、慎重にドアを開け、個室に出た。通路に出ると背伸びしたくなるが、周りに迷惑になってしまいそうでやめた。そのまま、トイレに入った。用を足し、洗浄水を出すペダルを踏んだが、洗浄水が出てこない。カラになったのか、「小」の方だからまだしも、何度ペダルを踏んでも出でこない。
しかし、これはのちに「トイレ故障」事件へと?発展していく。8時ころに、しばらくして再度トイレ(小)に行ったが、その時に、車掌さんがトイレでなにやら様子を見ている。「使えないですか? 朝も水が出なかったんですよ」と尋ねると、「そうみたいですね。7号車のトイレもこんな状態でして……」と返ってきた。どうも、あまりの寒さに洗浄水のパイプが凍ってしまったのだろうか。確かに、この車輌は耐寒耐雪を施されていないはずだ。洗浄水が凍ってしまっても無理はない。「その他の車輌は?」と聞いている余裕もなく、とりあえず9号車のトイレに半ば駆け込み気味に向かった。こちらも洗浄水は出てこない。「小」なので、そのままで勘弁してもらう。
遅れは広がり
時間は前後するが、早朝のトイレから戻り、しばらく外を眺めていた。6時43分、「おはよう放送」が流れた。それによれば、名古屋発車時点よりも遅れは広がり46分遅れになったとのことだった。名古屋で一度起きたがその後も降雪で徐行運転していたのだろうか、遅れは広がってしまった。遅れの放送に加え、ジェイアール東海パッセンジャーズから車内販売の案内も流れた。ただ、個室ではいつ車内販売が通るのか、わからない。開戸を若干開けておいて、車内販売がくるのを待った。
車内販売を待っている間に豊橋を通過したが、気温を示す電光表示は「-1℃」を示し、飯田線と名鉄線のホームで電車を待つ通勤客はみなコートの襟を立てて、寒さを凌いでいるようだ。
しばらくして、車内販売のワゴンが入ってくるのがわかり、開戸を開けて、注文をお願いした。幕の内弁当には温かいみそ汁、サンドウィッチにオレンジジュースやコーヒー、それにおみやげ品として博多の明太子と浜名湖のうなぎパイ。サンドウィッチとオレンジジュースにした。車販価格でちょっと高いのは仕方ないにしても、車内販売が回ってくるだけでもありがたい。もう一点注文すれば、朝刊があれば、なおよしだったのだが……
豊橋からは先行する静岡行の通勤快速(2926M)に阻まれる形で、寝台特急とは思えないほどの鈍足になってしまった。静岡圏内のダイヤまで乱すわけにはいかず、このまま静岡までは続行する形で進んでいくことになりそうだ。
それでも、寝台特急〔富士〕は浜名湖にさしかかった。並行する東海道新幹線の下り線にちょうど500系電車がすれ違っていった。東京6時発の〔のぞみ1号〕だ。時計に目をやれば7時13分。わずか1時間13分で500系〔のぞみ〕はこんなところまで疾走してきた。つくづく新幹線の速さに驚いた。
それにしても、個室のドア、デッキとの自動ドアの音はどうしても気になってしまう。やはり静音には限界があるのだろうか。決して、嫌悪感があったりわずかな音でも気になるタイプではないが、自分のドアの開け閉めがうるさくなって周りに迷惑をかけていないか気にならないといえば嘘になる。もう少し静かなものにしてもらえれば、ありがたい。
浜松には、結局1時間近い遅れとなって7時29分に到着した。
〔富士〕から富士山を眺む
浜松からも通勤快速の静岡行(2926M)に続行するように進んでいくが、その通勤快速が島田まで各駅に停車するため、寝台“特急”らしからぬ速さに抑えられていた。浜松から雪雲が晴れていき、静岡の手前ではそれまでの雪模様が嘘のように、晴れ渡った。
静岡の発車は8時30分と、ちょうど1時間の遅れとなった。個室の窓は「山側」(東京に向かって左側)なので、富士山がよく見えるポジションとなる。清水を過ぎたころから富士山がよく見えるようになった。「雲ひとつない」快晴ではないが、澄み切った冬晴れに浮かび上がる富士山は、これは筆舌に尽くしがたいほどの絶景である。
人家に阻まれながらも、鉄橋を渡るたびに、裾野まで富士山を「堪能」できる。しばらくは車窓に富士山を頂きながら進んでいく。
富士山に気をとられていたが、静岡からは頭を抑えるような先行列車がなくなり、スピードも上がってきた。
ロビーカーからはどんな富士山が眺められるのだろうか。5号車のロビーカーに向かった。途中の7号車と6号車の乗客は2割〜3割だろうか。半数弱の下段寝台が埋まっている程度だ。いくら残してほしいといえども、この現状をみれば、統廃合はやむを得ないことなのだろうか。
さて、ロビーカーのドアを開け、足を踏み入れた。誰もいない。ホテルのロビーそのままにソファが並んでいるが、もちろん誰も座っていない。せっかくのロビーカーも残念だ。せめて、テレビモニターでも置いてプロモーションビデオを流したり、朝刊が置いてあったりすれば、気軽に来られるのだろうが、飲み物の自動販売機がある程度である。寝台特急〔北斗星2号〕乗車時(“上々”な旅II)のロビーの賑わいとは対照的だった。それでも、ソファに腰をかけ、富士山を眺めてみた。これもまた絶景である。誰もいない分、ロビーカーからの富士山の眺めを「独り占め」できるのはなんとも皮肉なことでもあるが……
しばらくソファに腰をかけ、煙草をくゆらせた。東京寄りからは奥にあたるカウンターでは、ワゴンの車内販売が車内巡回を終えて整理作業を進めていたようだ。特段、気にも留めず、外を眺めていた。この時間の使い方が「贅沢」なのだろうとつくづく実感した。
余談だが、このロビーカーには、カード式の緑色公衆電話が設置されている。このロビーカーが登場した頃は、携帯電話は会社の社長か、“事情”がある人が持つ程度で、外出先での連絡ツールは公衆電話が当たり前の時代で、移動中の列車から電話をかけられるだけで、画期的だった。既に新幹線では列車電話が導入されていたが、在来線の登場は国鉄の分割・民営化前後で、その名残といえばそうである。けれども、爆発的な携帯電話の普及で、緑色の公衆電話は装飾品化してしまった。大分から利用はあったのだろうか。
〔富士〕、富士に停車
さて、煙草をくゆらせて8号車の個室に戻ることにした。6号車と7号車は貫通扉がついた車輌で、編成の車端になることができる車輌でもある。車端部分にはテールマークが付いているが、〔富士〕のテールマークを間近でみることができる。ホーム上からでは小さいと感じるテールマークも、間近でみると案外大きい。
個室に戻る頃、「まもなく、富士に停車します」と車内放送が流れた。寝台特急〔富士〕が「富士」駅に停車する。それに車窓には富士山。「一富士二鷹三茄子」は、初夢に縁起がよいとされているが、「三富士」となると、とてつもなく縁起がいいのだろうか(笑)
ここで、寝台特急〔富士〕と富士市の歴史を紐解いてみたい。
まずは寝台特急〔富士〕から。〔富士〕の名が鉄道に登場したのは、1929年(昭和4年)9月。1912年(明治45年)から運転を開始した特急列車に名称を付けることになり、公募の結果、東京−下関間の1レ・2レに命名され、同時に命名された〔櫻〕とともに、列車愛称の最古参となった(初代)。しかし、1942年(昭和17年)には関門トンネルの開通で東京−長崎間に延長されるものの、戦時色が濃くなった1943年(昭和18年)には急行に格下げ、さらに1944年(昭和19年)には決戦非常措置により廃止を余儀なくされた。戦後、鉄路に〔富士〕が戻るのは、終戦から16年たった1963年(昭和36年)まで待たねばならなかった。この時(2代目)は、東京−宇野間、東京−神戸間の特急として登場し、151系電車(こだま型電車)で運転された。
そして、東海道新幹線が開業した1964年(昭和39年)10月1日のダイヤ改正で、東京−熊本・大分間で運転されていた寝台特急〔みずほ〕の東京−大分間を分離・独立させる形で、3代目となる現在の寝台特急〔富士〕が運転を開始。1965年(昭和40年)から1980年(昭和55年)までは東京−西鹿児島間(日豊本線経由)の日本最長特急列車のタイトルホルダーでもあった(東京−西鹿児島間は24時間55分〜25時間)。1980年には東京−宮崎間に短縮され、1990年(平成2年)には1駅、南宮崎まで延長されるが、1997年(平成9年)には大分までに短縮され、現在に至っている。2005年(平成17年)3月には東京−門司間で寝台特急〔はやぶさ〕と併結運転となり、日豊本線区間以外で単独列車としての〔富士〕はこの2月限りとなってしまった。
一方の富士市は、平安時代から紙業で栄えた工業都市。67社78工場もの製紙工場を抱え、トイレットペーパーの生産量は日本一だそうだ。現在の富士市は、明治期、富士郡吉原町を中心とした14町村だったが、1929年(昭和4年)に富士郡富士町が誕生し、戦後、1948年(昭和23年)には吉原町が吉原市として市制施行、その6年後には富士町が周辺の村と合併し、富士市として市制を施行。1966年(昭和41年)11月に吉原市と富士市が鷹岡町とともに合併し、新しい富士市となった。現在では人口24万人になり、駅前にも製紙工場があり、モクモクと白煙を上げていた。富士市の他にも、富士宮市、富士川町もあり、山梨県側には富士吉田市に富士河口湖町と、富士山にちなむ名前の自治体は多く、それだけ富士山の裾野は広い。
閑話休題。富士山も車窓の真横から徐々に後退し始めた(本当は、こちらが動いているのだが)。一時、遅れを取り戻したかのような走りも、再び先行する普通列車に阻まれて、沼津には1時間2分遅れとなり、丹那トンネルを抜けるとJR東日本管内となる熱海に到着する。
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