トップplus+上々≠ネ旅III 2005土佐電気鉄道
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2005年 夢四国(コーストラリア)一周+ブルートレイン “上々”な旅

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 土佐電鉄のデンテツターミナルビル内に停車していた土佐電鉄のバス。昭和50年代に製造された古めかしそうなバスだ。
 高知に来たら「桂浜」に行っておきたい。
 桂浜には、有名な坂本龍馬像がそびえ立つ。
 桂浜から凪いだ太平洋を眺める。あの水平線の先には何があるのだろうか。
 桂浜は遊泳禁止。
 桂浜のお土産店は、残念ながら閑古鳥が鳴いている状態。
 桂浜と高知市内を結ぶ路線バスは高知県交通が運行している。発車時刻間近になってしまい、後部から急いで撮影。
 路線バスでは通りづらい狭隘な道を進む区間もある。
 高知市内で活躍する土佐電鉄の路面電車。
 高知市内の名所・はりまや橋。
 はりまや交叉点では、路面電車が十字に交叉していく。
 伊野線・朝倉行の路面電車。
 桟橋通りに面した土佐電鉄の本社と車庫。「土佐電氣鉄道株式會社」の旧字体が土電の伝統を感じさせる。いずれも敷地外から撮影。
 高知駅前電停。この背後はもうJR高知駅。

月の名所「桂浜」で明治維新に思いを馳せる

 土佐藩24万石の城下町として栄え、四国の南玄関でもある高知市。さて、きょうは桂浜やはりまや橋を散策し、さらに高知市街地を東西南北に結んでいる土佐電鉄の路面電車を堪能し、土讃線、予土線、予讃線、つまり四国の西側をおよそ半周する形で、愛媛・松山市に入る。

 まずは、桂浜に向かうため、高知駅近くのホテルをチェックアウトし、高知駅前のコインロッカーにキャリーバックを預けた。やはり、市内散策・観光は身軽にしてから行動したい。高知駅前の路面電車に乗り込み、はりまや橋に向かう。ホテルの方の話では、はりまや橋からは桂浜行のバスに乗ることができると聞いていたし、はりまや橋に土佐電鉄のターミナルビルがあるからそこから動きが取れるだろうと考えたからだった。

 はりまや橋電停に到着し、デンテツターミナルビルを目指す。窓口で問い合わせたところ、このデンテツターミナルビルではなく、南はりまや橋バス停から桂浜行のバスは出ているという。桟橋通りに面した南はりまやバス停で待っていると、程なくして桂浜行のバスがやってきた。このバスは、高知県交通が運行している。

 出発前に桂浜行のバスについて、インターネットで検索してみても、バスの情報が見つからなかった。高知県交通も公式サイトを公開しておらず、高知駅前やはりまや橋からのバス時刻が全くわからないのは、個人観光客には不便に感じてしまう。団体観光客が減少し、個人観光客が増えていくだろうと考えられている今後を考えれば、桂浜という魅力的な観光地をアクセス情報の不備で埋没させてはもったいない。

 高知県交通の桂浜行のバスは、桟橋通りから浦戸湾沿いの道路に進んでいく。「横浜・瀬戸」というバス停を通ったり、集落のような狭隘な道路を進んでいくと、「桂浜」の案内看板を目にすることができる。はりまや橋からおよそ30分で桂浜に到着した。ちなみに、バスの運賃は560円。

 桂浜には、この寒い時期にもかかわらず、想像していたよりも多い観光客が散策していた。最初に坂本龍馬上を拝みたく、松林の丘に立つ坂本龍馬像に向かった。坂本龍馬の銅像は、太平洋の大海原を見つめていた。

 坂本龍馬は、1835年(天保6年)に土佐・高知城下に生まれた。1861年(文久元年)に武市瑞山らの土佐勤王党結成に参画するが、翌年には脱藩。九州などを放浪した後、江戸に出て千葉重太郎と勝海舟の門に入り、神戸海軍操練所の設立に尽力した。1865年(慶応3年)には、土佐脱藩の仲間と共に長崎でのちの海援隊となる組織を立ち上げ、物産・武器の貿易を行った。勝海舟の働きかけで土佐藩主・山内容堂から脱藩の罪を許された。1866年(慶応2年)には、犬猿の仲だった薩摩と長州の間を取り持ち、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばせた。1867年(慶応3年)、土佐藩との関係を修復して、正式に海援隊を創設した。後藤象二郎とともに船中八策を策定し、土佐藩主・山内容堂を説いて土佐藩の進言による大政奉還を実現させた。明治維新を見ることなく、京都の旅寓・近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺され33歳の短い命を絶たれた。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』でも有名である。

 太平洋の大海原を見つめている坂本竜馬は、現代日本をどう考えているだろうか。

 桂浜の砂浜に降り立ってみた。弓なりに広がった砂浜と太平洋と青空のコントラストが美しく映えている。ここで、太平洋を眺めていると、自然と安らぎ、様々な思いが馳せてくる。坂本龍馬や土佐の志士たちは、何を想ったのだろうか。この限りなく水平線が続く太平洋をみていると、自分まで激動の江戸幕末から明治維新の志士になったつもりになりそうだから、不思議だ。

 しばらく桂浜を散策していると、「遊泳禁止」の看板が目に入った。夏に来れば、ついつい泳ぎたくなりそうだが、ここではそうもいかないらしい。

 高知市街方面へのバスの発車が間近に迫り、バスターミナルの方へ向かった。途中には桂浜への観光客を見込んだおみやげ屋が多く並んでいたが、どこも閑古鳥が鳴いている状態のようで、「バブルが弾けた観光地」のようで、なんとかがんばっていただきたい。

土電の路線電車を楽しむ

>>> 土佐電鉄道 www.tosaden.co.jp/

 桂浜から高知市街へ向かうバスは、桂浜へ乗ってきたバスがそのまま折り返す便だった。

 桂浜行と同じように、狭隘な道を進み、桟橋通五丁目バス停で降りた。ここからはわずかな距離ではあるが、土佐電鉄の路面電車に乗り換えて、はりまや橋に向かうことにした。

 土佐電鉄は、25.3kmの路線を持つ路面電車を運行する会社で、「土電とでん」として親しまれている。土電の特徴は、積極的に外国の路面電車を導入している点だ。ドイツ・シュツットガルト、ノルウェー・オスロ、オーストリア・グラーツ、ポルトガルの路面電車が東洋の地で活躍している。これをヨーロッパの人々はどう感じるだろうか。

 残念ながら、これらの外国電車に乗ることはできなかったが、イギリス製のポルトガル電車910号とは乗車中にすれ違うことができた。

 高知駅前電停−桟橋通五丁目電停間の桟橋線は10時〜16時の運賃が100円と、ワンコイン電車になっている(伊野線、ごめん線の均一区間では180円)。これはクルマ社会からの脱却を目指したモーダルシフト策の一環と考えられるが、土電の積極的な経営姿勢にはエールを送りたい。しかし、実際に乗車してみると、桟橋通五丁目−はりまや橋間では乗客の姿は多くはなかったのが残念でならない。けれども、6分間隔のダイヤ構成や自動車の交通量を考えれば、奮闘していると評価できるだろう。

三大がっかり名所?「はりまや橋」

 桟橋通五丁目から乗り込み、岸壁通電停、桟橋通四丁目電停、桟橋通三丁目電停と道路信号に従いながら、土電の路面電車をガタゴトと進んでいく。はりまや橋電停で電車から降りた。このはりまや橋電停を中心としたはりまや交叉点では、桟橋線と伊野線・ごめん線が十字で交叉する。このような路面電車同士が十字でクロスするのは、今や日本ではここだけだとのことだ。それぞれの信号が変わり、電車がクロスレールを踏んでいくたびに、ガタゴトガタゴトと音が響く。ちなみに、デンテツターミナルビルは、西武百貨店が「高知西武」として営業していたが、2002年(平成14年)12月に閉店したそうである。残念ながら、どこの都市でも抱える中心商業地の空洞化をここでも見せつけられた。残念ながら、高知西武の跡地はそのままになっている。

 さて、はりまや橋はというと、はりまや交叉点の北側、ビルの谷間に隠れるようにあった。路面電車に乗っていると、はりまや橋はあっという間に過ぎてしまいそうだ。朱色の欄干で目立っているが、他の色だったら、見落としていたかもしれない。1959年(昭和34年)にペギー葉山さんが歌って大ヒットした『南国土佐を後にして』と同名の映画で、はりまや橋は有名になったそうだ。実はこの『南国土佐を後にして』は、原曲が中国に出征した兵士たちが歌っていた『南国節』が原曲なのだという。戦争の辛苦をもう一度振り返らねばならないのだろう。

 ビルの谷間に隠れるようにあるはりまや橋は、札幌の時計台と並んで「がっかり名所」のひとつだという。橋といっても皇居の二重橋や岩国の錦帯橋、瀬戸大橋や大鳴門橋のような荘厳だったり、現代建築の美を期待してくると、確かにがっかりするだろう。けれども、逆にがっかり名所としてアピールしてもいいくらいで、名所として人々に知られない数多の観光地よりはいいと思うのだが……。それでも、現在は江戸時代の架橋当時を復元した橋になっていて、「がっかり名所」は半ば返上してもいいのかもしれない。ちなみに、はりまや橋は、江戸時代藩に高知城の堀で隔てられていた豪商「播磨屋はりまや」と富商「柩屋ひつや」がお互いの往来のために架けた私橋で、いつの頃からか「はりまや橋」と呼ばれるようになったそうだ。残念ながら、柩屋の名は橋に残らなかったようだ。さらに言えば、「よさこい節」の起源はここ、はりまや橋にあるそうだ。

 しばらく、はりまや橋で周囲を眺めていた。確か、桟橋通五丁目電停から路面電車に乗った時、土電の車庫のような建物が目に入った。もう一度、確かめる意味を含め、はりまや橋電停から桟橋線の電車に乗り、岸壁通電停で降りて、土電の車庫に向かった。

土電の将来に期待

 桟橋通りに面した場所に土佐電鉄の本社は車庫が併設されていて、多くの路面電車が休んでいた。敷地内にはいることはできないが、歩道から眺めている限りは、日曜日のそれも日中で、工場などもお休みのようで閑散としている。

 土電の銘板は「土佐電氣鉄道株式會社」と、旧字体が土電の伝統を感じさせる。土電は1904年(明治37年)に創業した日本で現存する最古の軌道線(路面電車)を運営する民鉄でもある。四国は、都市間輸送の交通網整備では後手後手に回っていた感が否めないが、都市内の交通機関は逆に、全国的に早くから発達していた。

 土電でも超低床電車(LRV:Lightライト Railレール Vehicleビークル)「ハートラム」(100形連接電車)が導入されているが、訪れた当日(1月30日)は、はりまや交叉点の工事のため、運休していた。せっかくの期待していた「ハートラム」も運休では致し方ない。「ハートラム」は、路面電車復権の切り札と期待されて2002年(平成14年)4月に運行を開始した。ハートラムは、製造費がおよそ1億9,000万円と従来車輌よりも30〜50%も高いそうだ。そのため、土佐電鉄のような中小民鉄では導入する資金面の調達が難しく、政府、高知県、高知市などが導入に際して、1億7,000万円(政府:6,333万円、高知県・高知市など:各3,166万円)も補助している。しかし、今後「ハートラム」を導入するには、土佐電鉄が1億3,000万円を用意しなければならないそうで、事実上、ハートラムの第2編成の導入はないと考えられ、せっかくの最新技術を導入した超低床電車が増備できないのはもったいない話でもある。

 地球温暖化対策・二酸化炭素(CO2)の排出削減が喫緊の課題となっている今、路面電車復権が待ち遠しく、また求められている。フリークエンシーを確保しつつも、運行コストを下げ、路面電車を継続させるのは並大抵の経営努力ではできない。やはり、行政の力よりも「市民の力」が必要なのかもしれない。路面電車は、ただ単なる交通機関ではなく、街の「文化財(シンボル)」でもある。桟橋通五丁目から桂浜方面まで、桟橋線を延伸してもいいくらいである。

 さて、土佐電鉄の本社・工場を眺め、そのまま桟橋通りを高知駅方向に歩いていった。自由民権記念館を横目に、桟橋通四丁目電停から再度、路面電車に乗った。運賃が100円だと気軽に乗りやすい。

高知駅目前まで乗り入れた土電

 高知駅前までの道のりで、何度か路面電車の警笛を聞いた。どうも、交叉点で右折したい自動車が軌道内に停車したままだから鳴らしているようだ。やはり、右折車は路面電車にとって邪魔のようだ。逆に、車の運転手にとっても後ろからの路面電車のファーンと警笛を鳴らされたらびっくりするだろう。なんとか、路面電車とマイカー・自動車との共存共栄はできないのだろうか。右折レーンと信号機の運用改良でなんとかできるだろうと思うのだが……。

 路面電車の高知駅前電停は、駅前ロータリーを突っ切り、JR高知駅の玄関前まで乗り入れる。2001年(平成13年)4月までは、文字通り「駅前」電停だったらしいが、ロータリーを突っ切るように改良され、JRとの接続が1分以内に短縮された。全国の路面電車で、JRの駅とこれほど接近した電停はないという。せっかくなら、JR高知駅側を思い切って改良して、JRのホーム上に路面電車を乗り入れて「高知駅内」電停でもつくってもらえると、またこれはこれで新しい路面電車策と思うのだが、雨にも濡れずにJR線に乗り換えられるだけでも駅前乗り入れは十分に評価できるだろう。土電には、これからも奮闘してもらいたいと盛大なエールを送りたい。

 高知駅ビル内のデパートにあるレストランで休息、これからの予定を考えるのと、昼食を取った。

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