| JôJô Tour 2005 |
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| この空間は、新幹線を通すために確保されているもの。今ではここに新幹線が通るのはもう幻なのかもしれない…… |
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| 天候にも恵まれ、美しい吊り橋の全貌を眺めることができた。 |
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| 観潮船で渦潮を海上から眺めた。渦潮ができては消え、できては消える。 |
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| 盲腸線が続々と廃止されていった中、鳴門線は廃止や三セク化されなかった。鳴門駅の風格をみれば、廃止する理由は見つからない。 |
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| 車止めの先に「淡路新幹線・淡路鳴門海峡線」がつながっていたのかもしれない。 |
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| 国鉄時代に製造されたキハ47型気動車2輌がアイドリングしながら発車時刻を待つ。 |
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| 鉄道は信号現示が「生命線」。赤信号が変わらない限り、進むことはできない。 |
| 749D (鳴門発徳島行) |
| 0.0 |
鳴 門 |
15:31発 |
| 1.3 |
撫 養 |
15:34発 |
| 2.8 |
金比羅前 |
15:37発 |
| 3.6 |
教会前 |
15:39発 |
| 5.5 |
立 道 |
15:43発 |
| 7.2 |
阿波大谷 |
15:46発 |
| 8.5 |
池 谷 |
15:49着 |
| 15:56発 |
| 11.2 |
勝 瑞 |
16:01発 |
| 12.5 |
吉 成 |
16:11発 |
| 17.4 |
佐 古 |
16:20発 |
| 18.8 |
徳 島 |
16:23着 |


幻の「淡路新幹線・淡路鳴門海峡線」
徳島での所用を終え、「上々≠ネ旅III」は、1月29日(土)、徳島県・鳴門海峡から再開した。
鳴門海峡といえば、渦潮と大鳴門橋が代名詞になっている。まずは、大鳴門橋の「徳島県立渦の道」に出かけた。
ここで簡単に大鳴門橋の歴史を紐解いてみよう。
1976年(昭和51年)7月に月に着工したが、着工前の計画では本四連絡3ルート(神戸・鳴門ルート、児島・坂出ルート、尾道・今治ルート)のひとつだったが、石油ショックによる総需要抑制策により、ひとまず四国と淡路島を結ぶ「地域開発橋」として着工された。つまり、「四国に3本もの橋が必要なのか」という世論が、徳島と本州を橋でつなぐ夢を阻んだ形となった(1977年には本四連絡3ルートで当面早期完成を図る区間を児島・坂出ルートと閣議了承)。それでも、1985年(昭和60年)6月8日に開通式を迎えた。これで、四国と淡路島が大きな吊り橋で結ばれた。そして、1998年(平成10年)4月に明石海峡大橋が開通したことで、大鳴門橋を含めた神戸淡路鳴門自動車道が全通し、念願だった神戸と徳島が2つの橋で結ばれた。
>>>徳島新聞社「特集・架橋新時代秒読み」 www.topics.or.jp/Tokushu/zentsu/
大鳴門橋は、全長1,629mで、主塔の高さは144m。実は、瀬戸大橋と同様に、道路と鉄道が併用できる構造となっている。つまり、現在の道路橋の下部分には、新幹線規格の列車が通れるようになっている。しかし、明石海峡大橋が道路単独橋であるため、大鳴門橋に鉄道が開通しても、淡路島で止まってしまい、本州側まで明石海峡大橋を経て延びることはできない。
この「渦の道」は、その鉄道橋部分の空間を活用してつくられた回廊で、およそ400m歩いていったところには展望室もある。回廊と展望室の床の一部には特殊強化ガラスの窓が埋め込まれ、眼下に鳴門海峡の潮流が一望にできる。しかし、高所恐怖症の人たちには、単なる「地獄の窓」に違いない。けれども、それを避け、視線を遠く淡路島や紀伊水道の景色を見ていれば、なんとか展望室までたどり着ける。
潮の流れが日本一速い鳴門海峡の潮流は、肉眼でもはっきりとわかる。天候にも恵まれ、淡路島も一望にできた。回廊部分は鉄道橋空間が残されていて、いつでも、鉄道を通すことができる。いつでもとはいえ、それなりの工事と資金が必要であるが、現場を見れば、すぐにでも通せそうなイメージを受ける。
それにしても、やはり大鳴門橋の大きさには驚かされた。遠くで吊り橋の全貌を眺めるのもいいが、近くで、鉄骨のひとつひとつのパーツの大きさや、その鉄骨が無機的に組み立てられた造形美を堪能するのもいい。
鳴門海峡の渦潮を間近で見るため、「観潮船」が営業している。観潮船は、客室が海中に潜り、海中の渦潮の様子をみられる船まである。その中の1艘の席を予約した。出航までには座席はいっぱいで、正直この1月末の観光シーズンではない季節に、どこからこれだけの人が集まったのだろうかと思いたくなるほどである。
予約した便は、ちょうど14時50分の干潮時の直前の便で、大潮のため、干潮時刻の前後1時間に渦潮が見られるという。客室まるごと、海中にもぐり込むが、スクリューの渦なのか、渦潮の渦なのかよくわからないまま、客室は元の位置に浮上してしまった。その後は、甲板に出て、しおかぜを受けながら、甲板上から間近に渦潮を眺めた。やや肌寒いが、肌に受ける風が心地よい。
観潮船から降りて、大塚製薬によって建てられた大塚国際美術館を見学し、徳島へ戻るため、鳴門駅に向かった。
15時10分過ぎに鳴門駅に着いたが、次の徳島行きの列車は、およそ20分後の15時31分発だった。この鳴門線は、JR四国で唯一となった盲腸線である。もともと盲腸線が少なかったが、小松島線が廃止、中村線が土佐くろしお鉄道に三セク化され、鳴門線は廃止も三セクに移管されることもなく、JR四国が鉄道事業を続けている。やはり、その背景には大鳴門橋の鉄道橋としての開通目標があったのだろうか。
何はともあれ、15時23分、折り返しとなる鳴門終着の列車が到着し、徳島行の列車として改札も始まった。
さっそく、改札で通り、構内踏切を渡って、2番線ホームに停車している徳島行に乗り込むことにした。終端の北側には車止めがポツリと置かれ、線路が途絶えていた。その方向の先には大鳴門橋があることは、いうまでもない。
2番線ホームに停車している徳島行の列車は、キハ47形気動車の2輌編成で、車体の外観こそは水色の明るい車体になっているが、国鉄時代に製造された車輌で、よくみれば、随所に国鉄の名残が色濃く残っていて、逆に新鮮に映ることもある。車内保温のため、ドアは手動で、乗り込む時にはガラガラと開けなければならない。もちろん、乗り込んだ後はドアを閉めるのがマナーといったところ。車内はポツリポツリと乗客の姿が見られる程度で、ローカル列車の姿そのままである。
15時31分、2輌編成の徳島行普通列車が鳴門駅を発った。ディーゼルが唸りを上げながら、進んでいく。鳴門線内の駅は無人駅で、乗り込む乗客もそう多くはないが、決してゼロではない。鳴門線が奮闘している姿を見た気がした。このようなローカル線では1輌でも運転できるだろうが、2輌にしているのは、やはりそれだけの乗客が見込まれているからだろう。特に、きょうは土曜日で平日であればちょうど高校生の下校時間帯となる。
15時49分、高徳線との接続駅である池谷に到着した。池谷駅はV字型したホーム配置になっていて、高徳線と鳴門線のホームは別々になっている。ここで徳島行の列車は7分停車する。この7分間の停車の間に、高徳線上りの板野行普通列車と鳴門線の鳴門行普通列車と接続、すれ違う。
吉成、佐古でも上り列車とすれ違うための停車がある。概算では合計20分程度も停車する。首都圏のすれ違いのための停車がない鉄道に乗り慣れていると、ただじっと対向列車を待つのは退屈で仕方ないのが正直なところだ。けれども、これもローカル線の旅の楽しみのひとつで、あえて「時間」を楽しみたい。
佐古では徳島線下りの穴吹行普通列車とも接続し、16時23分に徳島駅2番線ホームに到着した。鳴門から18.8kmを52分かけてのんびりと進んだ。平均速度(表定速度)はおよそ21km/hと、これではマイカー時代には時代遅れの感が否めない。やはり、大幅なスピードアップとまでは言わないまでも、ダイヤ構成を見直す必要もあるようだ。
このあとは、徳島線・土讃線を経て、一気に土佐・高知に向かうことにする。
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