トップplus+上々≠ネ旅III 2005上々≠ネ旅III 2005
〔サンライズ瀬戸〕
〔サンライズ瀬戸〕
四国上陸
高松琴平電気鉄道
金刀比羅宮
〔うずしお19号〕
鳴門線
〔剣山9号〕
〔南風21号〕
土佐電気鉄道
〔南風11号〕
予土線
〔宇和海24号〕
伊予鉄道
道後温泉
伊予鉄道
〔しおかぜ24号〕
〔ひかりレールスター375号〕
広島電鉄
〔富士〕
〔富士〕
東京
JôJô Tour 2005

2005年 夢四国(コーストラリア)一周+ブルートレイン “上々”な旅

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 冬の夜明けは遅い。まだ夜が明けきらないのに、岡山駅はもう動いていた。
 本州最後の駅、児島駅。ここで車掌もJR四国に引き継がれる。
 瀬戸大橋を渡る直前、雲の切れ間から朝日がのぞいた。「サンライズ」から日の出を眺められた。
 瀬戸大橋を渡る。未踏の地・四国はもう目の前だ。
 凪いだ瀬戸内海の水面に島々が浮かぶ。
 四国初上陸。玄関口となる最初の停車駅は坂出。
 寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は、17分遅れで終着・高松に到着した。
 岡山行の快速〔マリンライナー14号〕が静かに発車を待つ。
 寝台特急〔サンライズ瀬戸〕が遅れたため、松山からのL特急〔いしづち2号〕が先着し、回送されるのを待っていた。
 高徳線の普通列車・オレンジタウン行。オレンジタウンはJR四国が事業展開しているベッドタウンでもある。
 新幹線がない地方にとって、「新幹線」は当然のことながらとても魅力的らしい。
 県庁所在地の中心駅はほとんどが自動改札化されているが、まだまだ有人改札が健在である。
 改築された高松駅で、宇高連絡線の面影を残すのは、「連絡線うどん」ぐらいになってしまったようだ。
 高松駅は改築によってバリアフリーが進み、駅前広場からホームまでまったく段差がなくなった。
5031M 寝台特急〔サンライズ瀬戸〕
0.0 東 京 22:00発 変更
28.8 横 浜 22:24発 22:59発
104.6 熱 海 23:21発 23:51着
23:23発 23:53発
126.2 沼 津 23:40発 0:07発
146.2 富 士 23:54発 0:20発
180.2 静 岡 0:20発 0:44発
257.1 浜 松 1:11着 1:35着
1:13発 1:35発
644.3 姫 路 5:28着 5:40着
732.9 岡 山 6:27着 6:42着
6:31発 6:46発
760.7 児 島 6:53発 7:09発
783.4 坂 出 7:08着 7:26着
804.7 高 松 7:26着 7:43着

遅い冬の夜明け

 ふと、目覚めた。時計を見ると、5時20分を過ぎた頃だ。どこを走っているのだろうか……。遅れを完全に取り戻していれば、まもなく姫路に到着する。けれども、姫路到着前に車内放送はない。昨夜23時30分過ぎの「おやすみ放送」から岡山到着前の「おはよう放送」まで車内放送は休止している。

 しばらく走って、寝台特急〔サンライズ瀬戸〕〔サンライズ出雲〕は徐々にスピードを落とした。うとうとしながらも、速度を落としていくのはわかる。浜松での22分遅れを考えれば、姫路がまもなくなのだろう。

 いくつかのポイントを渡り、停車するほどの速度まで落ちていった。ホーム端の駅名標が読み取れた。「姫路」だった。寝台特急〔サンライズ瀬戸〕〔サンライズ出雲〕は、5時40分に姫路に到着した。ほとんど乗客の乗り降りもなく、程なくしてドアは閉まったようで、1分も停まらず発車した。ここまで12分の遅れに回復している。次に停車するのは岡山だ。ベッドに横になりながら流れていく空を眺めてみた。まだ夜明け前。陽が昇る気配さえない。真っ暗な空をしばらく眺めていると、ジョイント音に誘われて、再び眠りに就いた。

動き出した岡山

 30分ほど眠り、再び起きた。時刻は6時15分。まもなく岡山だろうか。姫路が12分遅れなので、もうしばらくかかるだろうか。それでも空がうっすらと白み始め、山々の稜線が浮かびはじめた。コントロールパネルのラジオを、音量を絞ってつけてみた。前に乗ったとき(“上々”な旅I)は雑音が入り込んで聞くに堪えられなかったが、今回は非常によく聞こえる。

 それから間も経たない6時20分過ぎ、「おはよう放送」が車内に流れた。岡山到着は15分ほど遅れるという。もう、山陽本線では本格的に普通列車も動いているので、遅れを取り戻すのはそう容易たやすくなくなった。

 6時30分を回った頃、再度車内放送が流れた。「まもなく、岡山に到着します。……乗り換えのご案内です。新幹線下り、〔ひかりレールスター341号〕博多行は6時51分、……なお、岡山で先頭側7輌、高松行の〔サンライズ瀬戸〕と後側7輌、出雲市行の〔サンライズ出雲〕を切り離します。そのため、この放送後に7号車と8号車の間を、切り離し準備のため、締め切らせていただきます。……」と長い放送だった。やはり乗務している車掌がJR西日本の車掌だけに、しっかりと「ひかりレールスター」と案内していた。自社の看板商品のひとつなのだから、当然といえば当然である。

 6時42分、定刻より15分遅れて、寝台特急〔サンライズ瀬戸〕〔サンライズ出雲〕は岡山駅11番線ホームに到着した。たぶん、7号車と8号車の間では切り離し作業が続いているのだろう。若干の乗り降りがあって、6時46分、単独となった寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は山陽本線から宇野線へ入っていった。

 7時を回り、BGMとして流していたNHK-FMはニュースの時間となった。こんなところでもニュースは重要である。携帯電話が普及していなかった時代を思えば、移動中の情報収集は数段以上に便利になった。7時のNHKニュースでは、昨夜、新潟県小千谷おぢや市の旅館で、屋根に積もっていた雪が大浴場の屋根に落下し、大浴場が崩壊、男性客2名が亡くなったことがトップニュースだった。昨秋の新潟県中越大震災(中越地震)との関連も取りざたされているが、亡くなった2名の方は復旧工事の関係者だという。残念でならない。合掌。

 7時08分、本州側最後の停車駅である児島に到着し、車掌がJR四国にバトンタッチされた。いよいよ、未踏の地・四国は目の前である。交替用の最小限の停車時間で、寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は児島を発った。高架橋を走る寝台特急〔サンライズ瀬戸〕の車窓からは、瀬戸内海の凪いだ水面みなもがみえ、朝焼けの空が広がっていた。日の出が遅いこの時期だからこそみられる絶景だろう。

 寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は順調に加速を続け、鷲羽山わしゅうざんを貫くトンネルに入った。これを抜けると、いよいよ瀬戸大橋である。

「瀬戸大橋」
下津井瀬戸大橋しもついせとおおはし 海上橋 1,447m
櫃石島高架橋 地上橋 1.316m
櫃石島橋ひついしじまばし 海上橋 792m
岩黒島高架橋 地上橋 92m
岩黒島橋いわくろじまばし 海上橋 792m
与島橋よしまばし 海上橋 877m
与島高架橋 地上橋 717m
北備讃瀬戸大橋きたびさんせとおおはし 海上橋 1,611m
南備讃瀬戸大橋みなみびさんせとおおはし 海上橋 1,723m

 7時11分、トンネルを抜け出し、高架橋にさしかかった。「瀬戸大橋」である。瀬戸大橋は、北から下津井瀬戸大橋、櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、北備讃瀬戸大橋、南備讃瀬戸大橋の6橋の総称で、まずは下津井瀬戸大橋を渡る。この時点で正確には岡山県と香川県の県境をまたぎ、香川県に入った。トラスが視界を遮るように続く。「ゴー」と橋を通過する独特の走行音が響く。順調に櫃石島橋、岩黒島橋を渡る。与島は瀬戸大橋が架かる島で一番大きな島で、本四備讃線の上を走る高速道路のパーキングエリアもある。車窓からも与島パーキングエリアが確認できたが、駐車している車は多くなかった。

 いよいよ、瀬戸大橋のメイン橋のひとつ、北と南の備讃瀬戸大橋に進む。両橋は長大吊り橋として有名だが、寝台特急〔サンライズ瀬戸〕からはその吊り橋の雄姿をみることはできない。ただ、トラスが続いているだけである。海水面から65mも高さがあるが、さほど高いとは感じない。

 ちなみに、この瀬戸大橋は道路橋と鉄道橋の2階建て構造だが、鉄道橋は将来、新幹線を敷設できるようになっている。在来線と複々線になるらしいが、その実現性は残念ながら限りなく低い。また、この瀬戸大橋は、1889年(明治22年)に香川県議会議員だった大久保ェ之丞おおくぼじんのじょうが架橋を提唱したのか始まりで、それからちょうど100年目となる1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が完成した。四国島民百年の念願だったに違いない。

 南備讃瀬戸大橋を渡り終えた。時計を見れば7時19分、わずか8分で本州と四国の間を渡りきった。四国本島に上陸した。宇高連絡船時代の宇野−高松間では約1時間もかかったのだから、およそ8分の1に短縮した。乗り換えも含めれば大きな時間短縮効果があった。寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は、本四備讃線と坂出、宇多津間の大デルタ線に進み、進路を左に坂出方にとった。

 7時26分、定刻であれば終点・高松に到着する時刻だが、寝台特急〔サンライズ瀬戸〕は坂出に到着した。四国初の停車駅となった坂出では、普通列車を待つ通勤客の姿がみられた。

 あとは、予讃線を高松を目指して走る。「四国」というだけで景色も違って見えるように感じてしまう。7時38分、高松到着の案内放送が流れた。6号車でも荷物を整理し降りる支度をする乗客がデッキに向かっていた。

 荷物を整理し、忘れ物がないか再度確認し、階段を降りてドアの前で到着を待つことにした。

 7時43分、最終的には定刻より17分遅れて、高松駅7番線ホームに到着した。本来であれば、6番線に到着する予定であったが、7番線に変更されたようだ。およそ20名程度の乗客が高松駅のホームに降り立ち、改札口方向に向かっていった。先を急ぐ旅ではないから、自分の足で初めて上陸した四国の地・高松駅を眺めてみよう。

 高松駅は、上野駅地平ホームのように頭端式ホームの駅で階段を経ずとも乗り換えができる、バリアフリーの駅でもある。9番線ホームの北端には「四国に新幹線の風! フリーゲージトレインの早期導入を」と書かれた看板が掲げられていた。「四国新幹線」を瀬戸大橋経由で岡山から山陽新幹線を経ることで新大阪方面へ直通運転しようというものだ。確かに、フリーゲージトレインが実用化されたとき、導入区間の最有力候補ともいえる。

 9番線ホームにはL特急〔いしづち2号〕だった8000系電車が回送されずホームで停まっていた。5番線ホームには瀬戸大橋線の快速〔マリンライナー14号〕(223系5000番台電車・5000系電車)、3番線には高徳線の普通列車・オレンジタウン行などが停まっている。列車が入線する際にホームに流れるメロディは「瀬戸の花嫁」である。瀬戸の花嫁は1972年(昭和47年)に小柳ルミ子が歌い大ヒットした曲(山上路夫作詞、平尾昌晃作曲)だ。列車が到着するたび、通勤・通学客が黙々と改札口へと向かっていく。通勤時間帯としても考えていたよりも利用者が多いことはうれしい限りだ。

 乗り換え通路には「連絡船うどん」という名のうどん屋が営業していた。宇高連絡船が廃止されて17年。改築された高松駅のホームで宇高連絡船の面影を残すものはこれぐらいしかなくなっていた。改札口を抜けると、そのままサンステーションと名づけられたコンコースである。ここから駅前広場へも段差はない。

 駅舎外へ出てみると、曇り空の高松の空が出迎えてくれた。後に着いた列車から降りてきた客が会社や学校、あるいは高松琴平電気鉄道の高松築港駅やバスターミナルへ向かうのに追い越された。

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