トップplus+上々≠ネ旅II 2004〔白鳥11号〕
〔はやて11号〕
八戸線
十和田観光電鉄
〔白鳥3号〕
青函トンネル記念館
〔白鳥11号〕
〔北斗星2号〕
JôJô Tour 2004

2004年 〔はやて〕 青函トンネル 〔北斗星〕  大宮〜青森〜函館  “上々”な旅II

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 竜飛海底駅に〔白鳥11号〕が到着する。
 北海道内初の停車駅は木古内。
 特急〔白鳥11号〕は五稜郭を過ぎ、右手に函館運転所を見ると、終点・函館。
 「♪は〜るばる来たぜ 函館へ〜」。
 特急〔白鳥11号〕から連絡する特急〔北斗19号〕。
 「北斗」「札幌」の表示に北の大地に立つ実感が湧く。
 函館駅は改築され、バリアフリーの駅となっていた。
 どことなく、円筒が連絡船を連想させる。
 函館山は霧雨に隠れていた。
 函館市内には路面電車が現役で活躍中。
 7月11日は参議院議員選挙の投開票日だった。北海道選挙区からは、刑事被告人のこの人も出馬した。結果は落選。

1011M 特急〔白鳥11号〕
0.0 竜飛海底 16:17発
55.3 木古内 16:47着
16:48発
96.5 函 館 17:31着

海底から北海道初上陸へ

 16時16分、八戸からの特急〔白鳥11号〕のヘッドライトが竜飛海底駅からでも確認できた。静かに停車すると、車内内側のドアコックでドアが開いた。3名が乗り込むと、海底駅側に滞在者がないことを確認して、ドアが閉まり、特急〔白鳥11号〕は、定刻通り16時17分、竜飛海底駅を発車した。一度は海底駅から地上に出たものの、次に地上に出るのは、北海道の大地である。

 竜飛海底から青函トンネルの最低点までは下っているのに、まったく下りを感じさせない。どちらかといえば、惰行で下っているよりも、加速を続けているようだ。それでも、レールにつなぎ目がなく、ジョイント音がないうえ、景色もトンネル壁ばかり続くので、どれほどのスピードが出ているのか、わからない。140km/h程度出ているのだろうか。スーっと、静かに走り続けている。けれども、今、この列車が津軽海峡の海底の下を走っていることは間違いないようだ。

 ただ、一歩引いて考えてみると、不安要素があった。それは、テロ対策である。前々日の大宮−八戸間の〔はやて〕には制服警察官が乗り込んできたが、特急〔白鳥11号〕には、警察官らしき姿はなかった。スペインで発生した列車爆破テロ以来、日本でも鉄道に対する対テロ警備は強化されてきた。しかし、それは新幹線中心で、在来線ではほとんど強化されていない。青函トンネルのような特殊なトンネル内で、もし爆破テロが起きてしまったらと考えると、テロ対策の強化が必要ではないだろうか。青函トンネルは旅客だけでなく、貨物でも大動脈であることに違いはないのだから。

 そんな思いは、頭の片隅に追いやり、静かにトンネル壁が続く車窓を眺めてみた。16時31分、吉岡海底駅通過。わずか15分ほどで津軽海峡を渡りきった。青函連絡船時代は4時間もかかった津軽海峡をわずか15分で渡りきるのだから、トンネルの威力は計りしれない。ずっと地上へ向け登り続けているようだが、身体では下り同様感じることはできなかった。

 16時40分。竜飛海底以来続いた蛍光灯の明かりが途切れ、パッと明るくなった。北海道である。北海道の空も梅雨雲に覆われ薄暗い。16時48分、定刻よりわずかに遅れ、木古内に到着した。車内はほとんど動きはなく、そのままわずかな停車時間で発車した。

 ここからは江差線にはいるが、いっきに特急らしからぬスピードにダウンしてしまう。青函間のスピードアップは、やはり津軽線と江差線にかかっているようだ。しかし、北海道新幹線の着工が見えはじめた今、スピードアップの工事をするのも無駄で、新幹線の開業を待つしかない。

 茂辺地で大阪行の寝台特急〔日本海4号〕と八戸行の特急〔白鳥30号〕と交換するために停車したものの、のんびりと右手に函館湾を遠く望みながら、特急〔白鳥11号〕は函館を目指した。函館湾は波も穏やかで、静かな海が広がっている。けれども、洞爺丸事故が起こった50年前の1954年(昭和29年)9月26日は、こんな穏やかな海ではなかったのだろう。

 洞爺丸事故は、1,155名の死者を出したタイタニックに次ぐ世界第二の海難災禍となった事故で、台風15号が四国から関西を経て日本海に抜け、北海道に進路を伺いながら、スピードを猛烈に上げていた。しかし、現在のような観測網はなく、洞爺丸の船長は、台風が直撃するとは思いもせず出航させた。それも目の前には凪いだ空が広がっていた。これは台風通過前でも通過後でもなく、台風の目に入っていたとわかったのは後日のことだった。18時29分に出航し、函館湾内では穏やかだった海も、防波堤外との湾外に出ようとすると海は一気にうねり、函館港に引き返すも、湾内さえも波が高く、近寄れなかった。洞爺丸は投錨したものの錨は流れ、七重浜に座礁を決めたが、座礁に失敗し、22時39分頃にSOSを発信、22時43分頃に転覆。救助されたのはわずか159名、88%もの人たちが洞爺丸と運命をともにした、海難事故は青函トンネル推進への足がかりにもなったが、その犠牲はあまりにも大きかった。のちに、台風15号は「洞爺丸台風」と呼ばれるようになった。

 特急〔白鳥11号〕の車窓からも七重浜の浜辺は確認できた。合掌。

霧雨に煙る函館

 「まもなく、函館です……」。車内放送が流れた。思わず、「♪は〜るばる来たぜ 函館へ〜」(北島三郎「函館の女」)と鼻歌交じりに言ってみたくなる。右手に函館運転所に留められた車輌群を眺めていると、いくつものポイントを渡り、17時31分、特急〔白鳥11号〕は、函館駅7番線ホームに到着した。乗客は、ホームの向かい側に停車中の特急〔北斗19号〕へ歩みを進める人と改札口へ向かう人がほぼ半数といったところだろうか。ホームの向かい側に停車している札幌行の特急〔北斗19号〕を眺めていると、本当に北海道に来たのだとつくづく実感してしまう。特急〔白鳥11号〕はそのまま車内整備の後、八戸行の特急〔白鳥42号〕になるので、停車したままだ。

 函館駅は、前年の2003年(平成15年)6月に約60年ぶりに改築され、バリアフリー対応の駅となった。青函連絡船時代の面影はみることができないが、頭端駅を活かして、改札外からホームまで一切段差がない。さらに、乗換通路とホームの間には自動ドアが設置され、冷気侵入対策も施されている。改札を出ると、頭上にはロトンダ(吹き抜け空間)が出迎えてくれる。これは駅舎を外から眺めると青函連絡船の煙突を連想させてくれる。この函館新駅舎は、JR北海道が以前から提携しているデンマーク国鉄(DSB)との共同ワークでデザインされたもので、今回はDSBの建築家の他に、デンマーク国内外で活躍する女性インテリアデザイナーをメンバーに迎えたという。「ひかり」「函館山」「21世紀」をキーワードにデザインが進められた。青函連絡船をイメージさせられたロトンダは、特に青函連絡船を強く連想させるためのものではなく、「函館らしさ」という半ば抽象的なイメージを与えるためであるという。

 玄関を抜けると、やはり霧雨に煙るように、低くどんよりとした雲が覆っていた。駅を出て右手に見えるはずの函館山も霧に覆われていて全貌を眺めることはできなかった。駅構内の観光案内所で、函館山へ登るアクセス方法を確認し、駅前バスターミナルから、函館山行のバスに乗り込んだ。

函館山へ

 函館バスが函館駅前と函館山の間に登山バスを運行していて、17時50分が夜景用運行の始発となった。バスはいたって普通の路線バスなのに、女性車掌(ガイド)まで乗っていたのには驚いた。随所で観光案内をしてくれるが、どうもバスの乗客はほとんどが中国や台湾からの観光客で、いわゆる日本人は少なかった。

 函館山の登山道で市街地の夜景が見られるスポットで、車内照明灯を消し、夜景を楽しんでもらうサービスには驚いたが、粋なサービスだった。ただ、車内はいたって普通の路線バス仕様であることを繰り返しておこう。函館駅からおよそ30分で、函館山に着いたが、頂上から市街地は霧に隠され、ほとんど夜景を楽しむことはできなかった。晴れ間を期待するのはできないので、そのままバスで函館山を下りた。帰りのバスは十字街で降り、函館駅までは路面電車に乗ってみた。十字街電停から函館駅前電停までわずかな距離であるが、市民の足である路面電車も、また函館の顔のひとつである。

 函館駅周辺で食事をし、函館の空気を感じるために、少し歩いてみた。歩いていると、あるポスターに出くわした。それは、参議院議員選挙の選挙ポスターで、北海道選挙区からは2名枠に7名が立候補していた。その7名の中に、刑事被告人の鈴木宗男氏も含まれていた。彼の選挙結果は、485,382票で4位に落選した。話題性だけでは全国区でもトップ当選だろうが、有権者の判断は厳しかったようだ。こんなポスターでも北海道にやってきた実感が湧くのは不思議でならない。

 霧雨が降ったり止んだりしながらも、徐々に肌寒く感じてきたので、函館駅に戻り、“上々”な旅第2弾のラストを飾る寝台特急〔北斗星2号〕を待つことにした。

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