トップplus+上々≠ネ旅II 2004十和田観光電鉄
〔はやて11号〕
八戸線
十和田観光電鉄
〔白鳥3号〕
青函トンネル記念館
〔白鳥11号〕
〔北斗星2号〕
JôJô Tour 2004

2004年 〔はやて〕 青函トンネル 〔北斗星〕  大宮〜青森〜函館  “上々”な旅II

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0.0 三 沢 8:51発
2.7 大 曲 8:57発
5.1 柳 沢 9:00発
6.4 七 百 9:03発
8.4 古 里 9:06発
9.9 三農高前 9:08発
10.6 高清水 9:10発
12.7 北里大学前 9:13発
13.3 工業高校前 9:15発
13.7 ひがし野団地 9:16発
14.7 十和田市 9:18着
0.0 十和田市 9:52発
1.0 ひがし野団地 9:54発
1.4 工業高校前 9:55発
2.0 北里大学前 9:56発
4.1 高清水 9:59発
4.8 三農高前 10:01発
6.3 古 里 10:04発
8.3 七 百 10:07発
9.6 柳 沢 10:09発
12.0 大 曲 10:13発
14.7 三 沢 10:18着
 十和田観光電鉄三沢駅。古めかしさが逆に新鮮に映る。
 きっと以前は多くの利用客で賑わっていたのだろう。それでもそば屋が健在なのはうれしい限りだ。
 もちろん自動券売機はあるが、あえて窓口できっぷを買いたくなる雰囲気になる。
 映画のロケ地にでもなるような、昭和40年代から時間が止まったようである。停まっている電車は、東京急行電鉄からの譲受車。
 十和田市で発車を待つ三沢行。「三沢」と掲げられた方向幕は、もう一方の車輌の反対側には「十和田市」と掲げられているので、交換する必要はない。なんとも省エネタイプというべきか……。
 十和田市駅はとうてつ駅ビル内にあって、正直なところ、想像できない豪華ぶりであったが、電車を待つ客はまばら。
 十和田市駅の出発信号機。停止の赤と進行の青の2灯式、単線ローカルではこれだけで足りる。

 7月11日、日曜日。前日は辛うじて雨が降らなかったが、しとしとと梅雨らしい雨が降り続いている。9日と10日の八戸・三沢両市内での所用を終え、三沢から帰京すればいいのだが、せっかく青森まで来たのだから、針路を逆に取り、青函トンネルを通って北海道へ渡ってみよう、と計画していた。

 三沢は米空軍三沢基地・航空自衛隊三沢基地を控え、航空防衛の最前基地でもある。東西冷戦時代は、旧ソ連の戦闘機が領空侵犯すると、ここからスクランブル発進していた基地である。人口約4万人の街に、1万人の米軍関係者が滞在している。そのため、街を歩いていても米軍関係者を見かける。

 10日、三沢市内のホテルに滞在している間に、11日午前の予定を立てた。11時24分発の〔白鳥3号〕までの時間で、十和田観光電鉄で十和田市まで1往復しようと計画した。せっかくの機会なのに、乗らない手はない。〔白鳥3号〕に間に合うためには三沢8時51分発である。これで十和田市まで往復できる。

「昭和」の香り漂う――十鉄とうてつ三沢

 橋上駅舎のJR三沢駅に隣接するように、十和田観光電鉄三沢駅がある。「電車・バスのりば」の看板下にはうどん・そばののぼりまである。外観からして「昭和」の香りが漂ってくる。早速、駅舎内に入ってみると、なんとその幟は駅舎内で営業しているそば屋のものだった。このような地方ローカル私鉄でいまだ駅構内の営業が維持できているのは、うれしい。ただ、ホテルで朝食を済ませてしまった身には、残念ながら食べる余裕はなかった。

 それにしてもこの三沢駅は、まるで「昭和」にタイムスリップしたような駅だ。確かに、このような駅にいると、「古き良き時代」と考えたくなるが、現代も決して捨てたもんじゃないと思う。だから、古き良き時代とは表現したくはないが、「昭和40年代の地方私鉄」の面影を色濃く残し、のんびりと癒されているような気がする。

 自動券売機できっぷを買い、改札が開くのを木製ベンチで待つ。しばらくすると、係員が出てきて改札を開けた。今や、JRでは姿を消した鋏がここでは健在だった。カチンカチンと鋏を動かしながら、乗客のきっぷに鋏を入れていく。

 既にホームには8時51分発の列車が発車を待っていた。2輌編成の7700系電車で東京急行電鉄からの譲渡車である。外観も東急時代そのままに残っており、東急大井町線や東急目蒲線と間違えてしまいそうだ。ただ、東急のシンボルマークは外され、十和田観光電鉄のシンボルマークが付けられている。

ワンマン電車は走る

 ただ、残念ながら乗客は「まばら」という表現よりも「ポツリポツリ」が適するほど少ない。日曜のこの時間帯からしてこれほどかと思ってしまうが、それにしても悲しくなるほど少なすぎる。8時51分、ワンマン運転の十和田市行は発車した。大曲までは、ホテルの駐車場と思われるような場所をクネクネと進み、山へ分け入っていくような感じを受ける。車内は、ワンマン運転用に路線バスで見られるような運賃箱、料金表示の電光表示器が備えられ、車内に限っては、三沢駅とは違い「平成」の時代を感じる。車内がロングシートなのは地方私鉄の「ゲタ電」ぶりを思い起こさせる。

 ワンマン運転なので、車内放送も自動で、まるでバスにでも乗っていると錯覚しそうである。七百しちひゃくでは、三沢行電車と行き違った。ここにはED30-1という電気機関車が留置されている。三沢と十和田市以外は無人駅であるため、一番前のドアしか開かない。不用意に待っていると駆け込むことになってしまいそうだが、そこは地方私鉄だけあって待ってくれるのだろう。

 古里付近から幹線道路(県道10号十和田三沢線)が併走している。そちらの交通量は明らかに多い。やはり地方私鉄の厳しい現実を突きつけられた感じがした。孤軍奮闘している十鉄に期待したい。途中駅でも乗り降りする客も多くなく、車内はジョイント音が響く程度だ。三農高前や北里大学前、工業高校前の「通学駅」に停車するが、きょうは日曜日だけあって、これらの駅でも乗り降りの客はほとんどいない。ちなみに、三農高とは三本木農業高校、工業高校とは十和田工業高校のことを指すという。

ダイエー?とうてつビル

 ひがし野団地を出ると、次は終点の十和田市である。9時18分十和田市着。他の乗客は階段を上り、連絡通路を介して駅ビルに入っていった。十和田市駅の奥側には車両基地と思われるような建物が残っていた。後にインターネットで検索してみたら、旧駅舎で車輌も留置できるようになっているらしい。この駅ビルが開業した時に、駅ビルに合わせて駅をわずかではあるが移転したようだ。その駅ビルの看板はダイエーのロゴの下に「とうてつ」と書かれている。ダイエーのフランチャイズで十和田観光電鉄自らが経営している。連絡通路の先には改札口になっており、そこは駅ビルの2階、つまりとうてつ駅ビル内である。そして、1階にはバスターミナルもある。

 ところで、9時半前だけに、とうてつ駅ビルはまだ開業前だ。9時52分発で折り返すので、それまでの時間、駅の周囲を散策しようと思ったが、雨が降り続いたので、結局辞めてしまった。けれども、さいたま市や赤羽地区で見かける路線バス国際興業バスと同様のカラーリングをしたバスを発見した。さすがにどうしてかと思いきや、十和田観光電鉄が国際興業グループだったのである。だから、十和田観光電鉄のバスが国際興業バスと同じカラーリングなのである。逆に十和田市の人たちがさいたまに来たら、十和田観光電鉄のバスが走っていると勘違いするのかもしれない。

 十和田市駅にも自動券売機があったが、新五百円玉は使えなかった。確か、この秋には新しい紙幣が発行されるから、それまで待っているのだろうか。出てきたきっぷには地紋はなく、単なる紙に印刷したきっぷだった。窓口では硬券のきっぷも販売していたので、そちらも購入したが、こちらは硬券だけあって、よりきっぷのイメージがした。窓口に掲げられた時刻表には、三沢からのJRの接続列車も併せて書かれていた。十和田観光電鉄のダイヤ改正もJRに合わせて実施されているところをみると、JRとの接続を重要視したダイヤ設定になっているようだ。

 さて、折り返しは先ほど三沢から乗ってきた列車がそのまま三沢行となる。9時52分発であるが、ポツリポツリと改札が開くのを待つ利用客がみえはじめた。改札が開き、連絡通路をわたってホームに降り、早速乗り込むと十和田市行の列車よりも乗客は多い。三沢から八戸へショッピングに出るのだろうか。また、十和田湖観光の帰り客も見受けられた。

 9時52分。7700系電車2輌編成の三沢行列車が十和田市駅を後にした。よく、車内を観察すると、つり革には東急時代の「Bunkamura」の広告がそのまま残されていた。まさか、青森県内で「Bunkamura」に出会うとは思ってもみなかった。途中駅でも乗客を拾い、10時18分、三沢着。

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