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Nipponia nippon

このページでは、トキを「朱鷺」と表記を統一しています

朱鷺よ、もう一度 佐渡の空を……

日本の朱鷺と中国の朱鷺に違いはあるのか?

 佐渡トキ保護センターによれば、日本の朱鷺と中国の朱鷺とに違いはなく、同じ種類に分類されており、日本産、中国産といって朱鷺を区別する理由は全くありません。

 私たちが増やし、保護していかなければならないのは「朱鷺」という種類の鳥であって、「日本産の朱鷺」ではなく、日本・中国共同で、朱鷺の保護に取り組んでいく必要があると考えます。

 日本国内の朱鷺の絶滅が確実になり、佐渡に暮らす最後の1羽「キン」は、静かに余生を過ごしていた。一方、朱鷺の保護と人工繁殖に努めてきた関係者たちは、中国の朱鷺の棲息保護に協力することとなった。

 1998年(平成10年)、中国から日本へ、日中友好の証として、すばらしい贈り物が届くことになった。11月26日、来日していた中国の江沢民国家主席が、皇居での天皇陛下との会見で、「日中友好の証として、朱鷺1対を日本に贈呈する」とした目録を天皇陛下に手渡した。前回までの「繁殖目的の貸与」から今回の「贈呈」になったことは、絶滅の危機にある国際保護鳥・朱鷺を日中協力により、守ろうとする中国側の強い意思がうかがえた。中国からの大きなプレゼントに佐渡、新潟県は沸き立ち、平山征夫新潟県知事は、「『新潟県の鳥』である朱鷺を絶やさないため、朱鷺の迎え入れが実現できることとなり、大変喜ばしく思っている。中国政府のご厚意に心から感謝したい」とコメントを出した。たとえ、純国産の朱鷺が絶滅に至ろうとも、国際保護鳥である朱鷺の保護には、日本、中国という「国の隔たり」はなかった。

 雄の「友友ヨウヨウ」、雌の「洋洋ヤンヤン」、2羽の中国からの朱鷺は、1999年(平成11年)1月29日、飼育されていた中国陝西省洋県の救護飼養センターから西安に移送され、日本政府代表団とともに30日に西安−上海−新潟を結ぶ中国西北航空の通称「トキライン」で新潟空港に到着した。朱鷺が1羽ずつ入った木箱を佐渡空港への臨時便に積み替えて空輸し、佐渡空港から佐渡トキ保護センターヘは車で運ばれた。佐渡トキ保護センターでは約200人の島民が朱鷺の到着を出迎えた。

国内初の人工繁殖成功

 1999年5月21日15時30分、「洋洋」から産まれた卵のうちの1つが孵化し、国内で初めて、人工繁殖による朱鷺が誕生した。この1羽は、国内で初めての人工繁殖成功したという意味あいよりも、絶滅に瀕している朱鷺が「もう一度、日本の大空をはばたく」という希望の光が見えてきたことに、佐渡トキ保護センターをはじめ、佐渡ヶ島、新潟県、ひいては日本国内が朱鷺誕生の喜びに沸いた。新潟県の地元紙である「新潟日報」は、号外を配布し、県民に朱鷺誕生を知らせた。佐渡トキ保護センターの関係者にとっては、32年間の努力がやっと報われ、感慨深いものだった。その後、このひなは「優優ユウユウ」と名づけられた。

 1999年(平成11年)の朱鷺増殖は「優優」1羽に終わってしまったが(洋洋は4個産卵したが孵化に達したのは1羽のみ)、2000年(平成12年)には、「優優」の弟、妹にあたる「新新シンシン」(雄)、「愛愛アイアイ」(雌)が誕生し、日本国内で生まれた朱鷺は3羽にまでなった。そして、10月13日に来日していた朱鎔基首相が、森義朗首相との日中首脳会談の席上で、「優優」のお嫁さんとなる「美美メイメイ」が中国から供与することを森首相に伝え、14日には「美美」が佐渡トキ保護センターに到着した。「優優」と「美美」の間に生まれた朱鷺は、中国と日本で交互に(第1子を中国、第2子は日本)育てていくことが決められた。

 2001年(平成13年)、佐渡トキ保護センターは時ならぬ「朱鷺ベビーブーム」に沸き立った。友友と洋洋のペアから6羽(8個産卵し、1個が無精卵、1羽が孵化後に死亡)、優優と美美のペアから5羽(1個が破卵、2個が生育停止、1羽が孵化後死亡)のひなが誕生し、日本にいる朱鷺は、純国産種の「キン」を含め、18羽となった(優優・美美ペアの3羽が2002年3月、中国に贈られた)。なお、1999年・2000年生まれの3羽は、環境庁が全国に朱鷺の名前を募集したが、2001年生まれの11羽は、数が多いこと、将来も朱鷺が増える可能性が高いことなどから名前の募集は行われなかったが、地元の新穂村の小学校2校の児童がそれぞれ「さくら」、「たろう」、「じろう」、「かえで」、「ひかる」、「わたる」、「つばさ」、「げんき」、「みらい」、「くう」、「にいぼ」と名づけた。

 2002年(平成14年)も「ベビーブーム」は続いた。友友と洋洋のペアから5羽(10個産卵し、3個が無精卵、2個が自然孵化に失敗)、優優と美美のペアから7羽(11個産卵し、4個が生育停止)のひなが誕生し、日本にいる朱鷺は、純国産種の「キン」を含め、25羽を数えた(優優・美美ペアの3羽が中国に贈られた)。2003年(平成15年)には、優優・美美ペアから生まれた「げんき」と友友・洋洋のペアから生まれた「新新」のペアリングも初めて行われ、友友・洋洋ペアから6羽、優優・美美ペアから7羽、新新・げんきペアから6羽(うち1羽は孵化後死亡)の計18羽のひなが誕生した。優優・美美ペアからの4羽は中国側に帰属し、ある程度成長したら中国に贈られることになっている。

 2004年(平成16年)を迎え、前年に日本最後の朱鷺「キン」の死亡という悲しいニュースを乗り越えた佐渡トキ保護センターには、39羽の朱鷺が生活していた。3月15日は、キンを偲びながらトキの野生復帰に向けた決意を新たにするため、「トキの森公園」内に記念碑が建立された。この3月15日は幼鳥のキンが保護された日だった。2003年(平成15年)末に東アジアを中心に猛威をふるった鳥インフルエンザは朱鷺の増殖計画にも少なからず影響を与えた。2003年(平成15年)10月調印の「日中共同トキ保護計画」に基づき、2004年(平成16年)春から新たに中国の朱鷺を一定期間借りて日本で人工繁殖を進めることになっていたが、鳥インフルエンザの影響で中国の鶏肉だけでなく鳥も輸入停止となっているため、朱鷺を中国から輸入できなくなった。環境省は「鳥インフルエンザが猛威を振るっているので安全を優先させる」として2004年(平成16年)の繁殖期は朱鷺の輸入を見送り、佐渡の朱鷺だけで繁殖をはかることにした。「2005年以降は計画通り日中共同で朱鷺を人工繁殖させて数を増やし、野生復帰を目指していきたい」と、環境省は考えている。

新潟県佐渡市   佐渡トキ保護センター  「朱鷺の系図」
佐渡トキ保護センター 朱鷺の系図
  • 佐渡トキ保護センター、新潟日報、テレビ新潟放送網より作成。2004年2月現在
  • [  ]は佐渡で誕生した年(丸数字はその年に産まれた卵数)、<  >は佐渡に来日した年を示す
  • 2003年生まれの朱鷺は性別が判明できていない
  • ピンク地で示すつばさ、にいぼ、優優・美美から生まれた2002年生3羽、2003年生4羽は、日中間の取り決めにより中国側に帰属
  • 来日した朱鷺3羽、佐渡で生まれた朱鷺41羽、佐渡で生まれ飼育されている朱鷺32羽(中国側に帰属する4羽を除く)
  • 2004年以降に生まれた朱鷺は、系図が複雑化するため、省略

佐渡朱鷺保護センターに生息する朱鷺:104(2007年11月19日現在)

朱鷺の保護に揺れる島―佐渡ヶ島−

佐渡に生息する朱鷺 朱鷺の相次ぐ誕生は、喜ばしいことだが、その一方で、朱鷺が棲む島、佐渡ヶ島は、朱鷺の野生復帰に揺れているのが現状である。どちらかといえば、「朱鷺との共生」という行政の掛け声だけが先行してしまい、肝心の島民の理解は追いついていないのが現実なのである。かつて日本中にいた朱鷺は20年前の全鳥捕獲後はケージの中で飼育され、島民にとってすっかり遠い存在、「かごの鳥」になってしまった。 一部には「えさを取ろうと植えたばかりの苗を踏んで田んぼを荒らした」と害鳥視したり、「年寄りだけで人手もないのに農薬を使わないなんて無理。人間と朱鷺とどっちが大事なのか」との意見も聞こえてくる。コメ中心の農業が基幹産業の佐渡ヶ島では、農家を中心に「朱鷺のために人間の生活や活動が制限されるのではないか」と抵抗感が強いことを否めない。

 新潟県は「朱鷺との共生は昔の生活に戻るのではなく、佐渡を最新の循環型社会につくり換えること。被害者意識を捨てて夢を持たないと難しい」と説明している。高齢化、観光の低迷など佐渡が抱える悩みは深刻だが、そんな中、朱鷺の野生復帰を負担と捉えず、地域活性化や付加価値を生み出す資源と受け止める発想の転換が求められている。「今の時代、ほかの人と同じものを作っても売れない」と、絶対的な知名度を誇る朱鷺の名を借りて、消費者に「朱鷺がすめる環境づくりに取り組む安全な農産物」をアピールし始めた農家もわずかだが、現れてきた。 新穂村のある農家は、不耕起栽培に取り組み、実ったコメは「トキひかり」として全国のオーナーに出荷している。「品質も収量もまずまず。トンボやバッタが増えたし、欠点の雑草対策には米ぬかやくず大豆が使える」と、さらに面積を広げる予定でいる。

 新潟県環境企画課は「朱鷺が最後までいた佐渡は、朱鷺の恩恵を受けるべき地域。朱鷺をどう島おこしに生かしていくかが大切だ。極端な話、島民がいらないと判断すれば、強制してまで佐渡で野生復帰する意味はない」と言っている。極論を言えば、「朱鷺が棲む島・佐渡ヶ島」として全国にアピールしていくか、ただ単なる「離島・佐渡ヶ島」にしておくのか。朱鷺は、私たちに答えを求めているのではないだろうか。

朱鷺のこれから ―朱鷺が教えてくれること―

 ただ、まだ、朱鷺は絶滅の危機に瀕していることには変わりはない。これからは、朱鷺をかごから放ち、野に戻すということや、日中間での増殖のあり方など大きな問題がある。朱鷺を絶滅の危機に追いやってしまったのは、私たち人間であることを忘れてはなるまい。私たち人間が「乱獲」し、数が少なくなったからといって「捕獲・保護」し、「人工繁殖」する。明治時代以降の朱鷺の歴史を振り返れば、それは自明のことだろう。朱鷺の保護・繁殖に努力された関係者のみなさんの苦労も、並大抵のことではなかったとは思われるが、人間の仕業に朱鷺は翻弄され続けてきたのではないだろか。朱鷺との共生という難しい問題を、朱鷺は無言で私たちに問い続けている……。

朱鷺関連サイトへのリンク

 このページを作成するのに、参考サイトとして活用しているサイトもあります。

朱鷺についての文献

  • 宮村堅弥[1987]、『朱鷺』、講談社学術文庫799、講談社。 【4061587994】
  • 小林照幸[2002]、『朱鷺の遺言』、中公文庫、こ36-2、中央公論新社。 【4122039924】
  • 小林照幸[1998]、『朱鷺の遺言』、中央公論新社。 【4120027805】
  • 国松俊英、鈴木まもる画[2000]、『トキよおおぞらへ 絵本のおくりもの』、金の星社。 【4323018185】
  • 国松俊英[1998]、『最後のトキニッポニア・ニッポン トキ保護にかけた人びとの記録』、金の星社。 【4323060734】
  • 国松俊英、黒川光広画[1998]、『さいごのトキ、キンちゃん』、ゆたかなこころシリーズ、童心社。 【4494087874】
  • 国松俊英[1988]、『トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち』、くもんのノンフィクション・愛のシリーズ18、くもん出版。 【4875764553】
  • 春山陽一[1999]、『トキ物語 風のように光のように』、中公文庫、は49-1、中央公論新社。 【4122035392】
  • 劉陰増、桂千恵子訳[1992]、『トキが生きていた 国際保護鳥トキ再発見の物語』、ポプラ・ノンフィクション58、ポプラ社。 【4591041085】
  • 藤原英司[1986]、『トキ物語』、日本の動物物語シリーズ、佑学社。 【4841605851】
  • 鶴見正夫[1985]、『とべさいごのトキ』、創作童話シリーズ30、佼成出版社。 【4333011787】
  • 佐藤春雄[1978]、『はばたけ朱鷺 トキ保護の記録』、研成社。 【4876390142】
  • 須田中夫[1994]、『朱鷺と人間と 保護活動40年の軌跡』、プレジデント社。 【4833490080】
  • 山階芳麿・中西悟堂[1983]、『トキ Nipponia nippon 黄昏に消えた飛翔の詩』、教育社。

(順不同。絶版になっている書物もあるかもしりませんが、朱鷺に関する代表作を)

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