トップ〔とき〕へのもおい
Message to "TOKI"

〔とき〕――。私の想い

埼玉県在住の男性(27)

 「あさひ」は非常にありきたりすぎて個性を感じない。無難と言えばそうかもしれないが、新潟らしさが全く感じられない。

埼玉県在住の男性(45)

 「とき」は憧れの電車でした。「とき」が停まる駅への交通手段がなく、仕方なく上京、帰省は「佐渡」でした。新幹線で「とき」は数回乗りましたが、新幹線の「各駅停車」で、ちょっと残念でした。やはり、新潟と東京を結ぶ最速の電車の名前は「あさひ」ではなく、「とき」でなくてはなりません。新幹線から「とき」が消えた知ったときは悲しかったですね。

神奈川県在住の男性(32)

 父の実家が新潟で何回も乗ってました。181系時代は食堂車で食事もしたこともあります。雪がひどかった昭和53年頃に乗った時は6時間もかかって上野に着いたこともありましたが、今ではいい思い出です。183系が登場した時は子供的にかっこよくて感動していましたが、181系が少なくなってきた晩年には181系の列車を選んで乗っていました(若いファンの方にはどっちもなつかしい車両でしょうね)。昭和57年の「特急とき」最後の日にはもちろん学校が終わった後、上野駅に撮影に行きました。

茨城県在住の男性(38)

 高校のとき新潟に住んでいたため、「とき」に何度か乗っています。「とき」から見える車窓で好きな個所は上越国境付近から小出・長岡にかけての区間です。また、ちょうどその頃は新幹線の建設工事が佳境に入っており、工事中の高架を毎日見ながら通学していました。

埼玉県在住の男性(39)

 ふだん帰省には車を使っていたのですが、先日久々に上越新幹線を使って、「とき」の名称がないように感じ、不審に思っていました。なんと、なくなっていたのですね。新幹線開業時になくなることを覚悟してましたが、存続したのでほっとしていたものです。ひっそりとなくなっていたとは……。それにしても、「とき」の名称がなくなるのもさびしいけれど、この委員会の署名者の数もさびしい……。

埼玉県在住の男性(39)

 私は佐渡の出身ですが、それを除いて考えても、「あさひ」より「とき」の方が地域性のある良い名称であることは、間違いないと思います。昔の特急「とき」は新潟−上野で4時間以上かかりましたでしょうか? 姉が島内の高校を卒業し、東京の会社に就職することになった時、一緒に「とき」に乗って東京まで行ったことを思い出します。あまり実家が裕福でなかったもので、少しでも安く上げようと指定券も買えず、すし詰めの自由席に立って揺られている時間がとても長く感じられました。また当時は禁煙車なぞなく、生来のどが弱い私には、またよけいに辛かった。姉の新しく住むアパートに着いてから、荷物の整理を手伝いながら「あぁ、姉はこんなに遠くの町でこれから一人で暮らしていくんだなぁ」と、しみじみ感じ入りました。「とき」と聞くと、当時のことや故郷を想い出し、なんともいえない気持ちになります。

神奈川県在住の男性(25)

 全部の「あさひ」を変えて欲しいわけじゃありません。「ひかり」の上に「のぞみ」があるように、ひとけた台の速達型「あさひ」を甦りつつある「朱鷺」に重ねた新潟発展の象徴として「とき」を新潟への新幹線の‘スター’として甦らせて欲しいと願う次第です。同様にひとけた台の「あさま」を「そよかぜ」、「やまびこ」を……うーん、にすると良いかと(スーパー○○、というのはやめて欲しい、という事)。できますれば、「たにがわ」「なすの」という凡そ新幹線には似つかわしくない「軽薄短小」な名前も再考して欲しいところですが。この投票主旨とは少しずれているかもしれませんが、日本語をもっと大事にして欲しいものです。

埼玉県在住の女性(21)

 新潟といえばトキでしょう。あさひじゃ新潟っぽくない。

埼玉県在住の男性(28)

 子供の頃、家の前を走っていた「特急」。「とき」を始め、「ひばり」「つばさ」「やまばと」「あさま」「はつかり」「やまびこ」、その名前を見て終点や始発が一発でわかりました。ヘッドマークが雪で隠れてたりすると、「ああ、もう向こうでは雪が降ってるんだ〜」と子供心ながら感動をしてました。やはり、「特急の名前=行き先、出発地のイメージ」っていうものは大事だと思いますよ。

群馬県在住の男性(34)

 私も、「あさひ」に反対する訳ではありません。むしろ新幹線の名称としては合っているかと思います。しかしながら、やはり高崎と新潟を結ぶ交通手段は現在に至ってもど〜しても「とき」・「佐渡」なのです。自分が小さい頃は、それはそれは憧れの優等列車でした。実は私の父は元国鉄の職員(電車運転士)で、普通列車はもとより、優等列車も毎日のように扱っていました。私は、父の仕事の土産ばなしに耳を傾けているのが一番の楽しみでした。時は流れ、現在高崎から東京まで新幹線通勤の毎日ですが、「あさひ」・「たにがわ」に乗るのであれば、可能ならば「あさま」を選んでしまいます。どういう訳かアナウンスに親しみを感じるのです。必ずその時に「これが”とき”、”佐渡”、”ゆけむり”、”新雪”等ならばな〜」と思ってしまう毎日です。スピード感で「あさひ」が選ばれましたが、「とき」がアンケートではダントツのNo.1だったと思います。ならば、「アンケートなどするな!!」と、怒りを感じていた時期もありました。ところが最近の新幹線の名称を見ると「あさま」、「たにがわ」、「こまち」、「なすの」等、地域意識の高い名称になっているではありませんか。であれば新潟行きの特急はやはり「とき」であり「とき」しかないとおもいます。まー実現した場合、E4系「とき」はどうかとおもいますが……。話が長くなりましたが、私もいつかこの話題について語りたいと思っていました。この場をかりてお話が出来たことをうれしくおもっています。ありがとうございました。何とかしましょう。

新潟県在住の男性(31)

 小学生時代神奈川県に住んでいて、新潟の祖母の家に遊びに来る際、ときに乗ってやって来ました。ときにに乗って新潟に行くのが楽しみで仕方なく、新潟が気に入って、その後新潟に住み着いてしまいました。当時はいわゆる鉄道マニアだったのですが、年と共に興味を失い今日にいたっていますが、特急とき、上越線に対しての思いは、おそらく一生忘れないと思います。新幹線時代になっても、清水トンネルを越えて新潟に入ってくるのは興奮します。新潟に住んでいながら、特急ときの復活は知りませんでした。残念です。また復活しないんでしょうか。今度は、カメラ持って上越線にくり出して、あの頃の思い出に浸りたいと思います。

新潟県在住の男性(20)

 新潟を走る特急といったら〔とき〕しかないと思います。なぜ〔あさひ〕を残して〔とき〕の呼称をなくしたのか疑問が残ります。実際、上越線を走っていた〔とき〕には乗ったことがないのですが、長岡駅に停車している〔とき〕の姿を見て子供のころすごく感激した気がします。管理人のおっしゃるとおり〔あさひ〕が悪いとは思いません。しかし鉄道ファンだけではなく誰の心にも焼き付いている〔とき〕の名前をもう一度見てみたいです。一日も早い〔とき〕の復活を心から願ってます。

埼玉県在住の女性(46)

 新潟市出身です。20年前に結婚しこちらに住むようになりました。主人も同じ新潟市の出身です。はじめは約4時間の特急〔とき〕の旅で帰省しました。今になれば随分長い道のりでしたが、故郷に帰りつつある……という思いをはせるには充分でした。お弁当もまた楽しみのひとつでした。新幹線に変わって、何故〔あさひ〕なのか、他にも〔あずさ〕など時刻表をみていると「あ」のつく名前ばかりで紛らわしい……。ぜひとも〔とき〕を復活させてください。新潟できれいなのは「あさひ」よりも「夕日」なんですよ(ちょっとおかしいですよね)。私と同じ考えをもっている方がいらっしゃることと思います。

新潟県在住の男性(27)

 在来線時代の特急〔とき〕は、急行〔佐渡〕とともに上越線の看板列車でした。新幹線にもその名が受け継がれたものの、長野新幹線開業時の不可抗力で消えてしまう時は寂しかったです。在来線時代、新潟駅の1番線は〔とき〕のためのホームであり、新幹線開通まであの特急〔白鳥〕さえも入れさせませんでした。〔とき〕はまさに新潟駅の「横綱」でした。

埼玉県在住の男性(45)

 予備校生として新潟から埼玉に上京して以来、ずっと特急〔とき〕と新幹線のお世話になっています。〔とき〕は在来線時代のころから親しんだ名称で、〔あさひ〕という名称は私自身はあまり好きではありません。何時の間に〔とき〕が廃止になったのかいきさつは知りませんが、〔あさひ〕という名称を残すよりは〔とき〕を残してほしかったといつも思っておりましたので、ぜひ復活させてください。

新潟県在住の男性(39)

 物心ついてから、上京する電車は特急『とき』でした。進学のため東京での新生活のスタートを切らんと、上京した電車ももちろん特急『とき』。将来への夢を巡らした4時間と15分。思えばこれが特急『とき』に乗車した最後となりました。時は流れ、現在はふるさと新潟に戻ってきましたが、新幹線の名前からも『とき』が消え、寂しさを感じておりました。新潟に暮らしていると実感するのは、夕日がきれいだということ。朝日は拝めません。朝日の見える東から来る電車なので『あさひ』と名付けられたのかも知れませんが、地元ではあまりしっくりきません。朱鷺の誕生に沸く昨今、地域色の強い、思い出深い『とき』のネーム復活ができるなら地元在住者としてうれしいことです。

埼玉県在住の男性(32)

私の母親の実家が新潟県で幼い頃、当然新幹線などというものはなく必然的に「とき」や「佐渡」を利用していました。埼玉在住ですので大宮から乗ればいいものをいやがる母親を引っ張って上野から乗ってたのを良く覚えています(笑)。181系なども走っておりよき時代でした・・・ やはり上越線には「とき」が良く似合います。

東京都在住の男性(28)

 以前は新発田に住んでいまして、たまに新潟へ行ったとき見かけた、ボンネットの緑色ヘッドマークの特急に、いつか乗りたいとずっと思っていました。いつのまにか見かけなくなり、廃止されたと聞いたときは悲しい思いをしたものです。

千葉県在住の男性(19)

 私は新潟県出身で、この春はれて千葉県内の大学に入学することが出来ました。私は新潟に在住しているときは、上越新幹線の利用も一年に1度か2度程度で列車名などは特に気にならなかったのですが、こちらで暮らしてみると何で新潟行きの新幹線が新潟とは縁のない「あさひ」なのかと本当に疑問に思いました。東京駅で「あさひ号○○号新潟行きです。」と言われても新潟に帰る気分にはなりません。そして東北、秋田、山形、長野新幹線ではもっともふさわしい列車名が付けられているにもかかわらず上越新幹線だけ地元とは関係ない列車名を付けられているというのは絶対納得いきません!何とかして上越新幹線「とき」を復活させていただきたい!!

静岡県在住の男性(17)

 伝統ある「とき」の名が消えるというのはおかしな話。勿論自分が生まれる前の話ですが。こういう動きというのはやっぱりあったんだと、このサイトを見つけて正直に思いました。

埼玉県在住の男性(44)

 181系時代に良く利用した、スキーの時期は、全区間、立ったままでよく利用した、真冬のデッキ部分は、長く乗車してると、とても冷えた。

埼玉県在住の女性(32)

 幼少の頃、「とき」に乗って祖母の家へ行ったのを思い出します。何故か「大清水トンネルに入ってる間は寝る」と決められていて、ぎゅっと目をつぶってトンネルを抜けるのを今か今かと待っていたのを鮮明に思い出します。懐かしい思い出です。祖母も今年他界し、長岡へ行くことも少なくなってしまいましたが、「とき」が復活したら乗車させて頂き、「思い出探し」したいと思います。

神奈川県在住の男性(36)

 スキーに行くために5歳位から毎年必ず乗車してました。懐かしい…

福岡県在住の男性(40)

 小学生の頃、湯沢に住んでいた私にとって夏休みに急行「佐渡」で上野へ、がとても楽しみでした。特急「とき」はある意味での憧れ(乗ってみたいという)の対象。高校生の時分には長岡に住んでおり東京の学校へ進学。特急「とき」に乗って上京、帰省が盆暮れの年中行事でした。上越新幹線開業当初だったのでしょうか?帰省で列車に乗る前には必ず漫画本や雑誌を2〜3冊買い込んで乗車し長岡到着の頃に読み終わる、そんなペースだったのに、何だか1冊読み終わるかどうかというタイミングで到着してしまい、改めて新幹線の速さを実感したような記憶があります。乗降駅が長岡だったこと、学生時分で時間的な余裕もあったこと、何となく列車名に憧れがあったこと、などから上越新幹線となっても「とき」を利用する機会の方が多かったような気がします。「とき」復活を願う一人です(個人的には中学時代を坂町で過ごしていたこともあり、米坂線経由の急行「あさひ」の名前も残っていて欲しいので、あくまでも復活希望ということで…。キャンペーン趣旨にもとる!とお叱りを受けてしまいそうですが)。

埼玉県在住の男性、31歳

 鉄道マニアではありませんが祖父母が新潟の佐渡におり、新幹線開業前はボンネット式のときに乗って新潟へ行っていました。「新潟=朱鷺」は誰でも認識しております。JRの批判はあまりしたくはないのですが新幹線の愛称と行き先がマッチしていません。老人の方などはイメージが湧かなくて困るのでは(私もです)? 秋田新幹線の「こまち」はOK! しかし、八戸新幹線の「はやて」ってどこ行きですか?(「ザブングル」みたい)

埼玉県在住の男性(14)

 私なりに「とき」に思い出があるわけじゃないんですが、やっぱり「あさひ」はどうかとと言う気持ちで署名しました。また「とき」と言う名は懐かしさが出ていいと思いました。

*このメッセージ以降は、「〔とき〕復活報道」の日(2002年7月31日)に寄せられたメッセージです*

静岡県在住の男性(31)

 僕も新潟は大好きで母が新潟出身なのでL特急ときは乗っていました。新幹線開業と共に在来特急は消え残念に思ってましたが、新幹線でときは生きかえりましたが、知らない間に、たにがわという通過点である群馬の名所が起用されたことは大変残念でした。けど今回このページを拝見し大変嬉しく思ってます。しかし、たまには在来特急も復活させてもらいたいものです。先日も私の住んでいる路線に急行伊豆が走りました。何年か前にも特急あまぎが走りました。乗れしませんでしたが、1つ残念なことは他の路線から借りてきてもいいけどその時走っていた系統で運行してほしいと思ってます。関係ないけど… 何はともあれ今回のときの復活は非常に嬉しいニュースですね。

北海道在住の男性(52)

 1962年夏、私は大阪近郊在住の小学6年生だった。友人Kから『とき』という特急名を聞いた。『時』??という感じで何のことかわからなかった。『とき』が鳥の名前だと知ったのはそれから2年後、時刻表に興味を持つようになってからであった。1966年夏上野駅でスカートの短い、鼻に赤帯の入った上越181系を初めて見て大いに興奮したものだ。しかし2002年に至るも、私は未だ『とき』への乗車経験はない。

神奈川県在住の男性、14歳

 自分の中で[一度乗ってみたい列車]は「とき」と「第一こだま」です。「とき」復活、おめでとうございます。今後乗れる機会がありましたら絶対に乗ります。

三重県在住の男性(18)

 東海道新幹線が身近にあった自分にとって緑の新幹線である東北上越新幹線は特異な散在でした。東京駅の向こうの上野まで行かないと見れないというのは当時幼稚園児だった自分には意識していても上野の所在地がわかりませんでした。東京駅に乗り入れてからの東北上越新幹線はなにか自分のなかにあった「見たくても見れないもの」という意識を奪ってしまった気がします。小3の時に東京から名古屋に帰る青い新幹線のすぐ横にとまっていた緑の新幹線は見たい希望がかなった反面、すこしがっかり感がありました。

埼玉県在住の男性(33)

 本日の読売新聞の記事で、「あさひ」から「とき」へ名称変更を知りました。委員会の活動の賜物とお察しいたします。私も2年間大宮から新幹線通勤をした経験がありますが、「あさひ」と「あさま」の区別で混乱しているひとをよく見かけました。平成9年10月の長野行新幹線開業時に、その辺を予測しなかったJR東日本の詰めの甘さだと思います。長野オリンピックをみにきた外国人が、「あさま」と「あさひ」を混同すると思わなかったのでしょうか? 「あさま」の命名は仕方ないとして、せめてその時点で「とき」に変更すべきだったと思います。昭和57年の6月および11月に東北新幹線と上越新幹線が大宮起点で開業したときの新聞記事の見出しは「朝日に向かって朱鷺なけば山彦帰って、青葉ゆらぐ」って感じだったと思います。そのときから「あさひ」には違和感がありました。私の記憶では「あさひ」は新潟発の米坂線経由山形行きの気動車急行だったように思います。さて「とき」の思い出ですが、親類が新潟にあったため、夏休みには必ず「とき」に乗りました。たまには「佐渡」や長岡行き鈍行でいったこともあります。自由席が3両しかなく、なかなか座れませんでした。新潟駅ではよく整理券の列に並びました。もっとも印象に残っているのは、祖父が危篤と連絡をうけ、最終のとき27号に乗車した日です。新潟着が23:30。連絡をうけてから、いちばん早い到着できたが、祖父の最期は看取ることができませんでした。でもその祖父は旅が好きできたが、特急というものには絶対乗らなかったようです。「鈍行のみ」です。停車駅パターンが多様で、乗るたび飽きない列車であったこと。絶対に熊谷駅には停車しなかった優等ぶり。ヘッドマークのデザインも秀逸でした。佐渡島では「朱鷺」が繁殖していますが、今回の「とき」の復活には、新潟県民ならずとも大喜びです。柔軟な対応を選択したJR東日本もよくやったと言いたいですね。

埼玉県在住の男性(48)

 「あさひ」が悪いわけではないです。でも、どうしてもいつまでも私自身には馴染めない名前でした。山形県境の朝日連峰は、はっきり言って上越新幹線沿線の新潟県民には縁の薄いものです。高校卒業後、故郷との往復に数え切れないほど乗った「とき」は、単なる絶滅寸前の鳥の名前ではなく、「ときを駆ける」というふうに、非常にスマートな列車名だという印象を持っていたし、「とき」で上京し、「とき」で帰郷することは、とても晴れがましい気持ちになるものでした。一人で故郷に思いを馳せ、あるいは友と談笑しながら、あるいは突然の不幸の知らせに涙を隠しながら上野と故郷を往復した列車は全部「とき」と「佐渡」でした。新幹線開業時、「とき」が選ばれたのはとても嬉しかったですが、速達タイプの「あさひ」と各駅停車の「とき」は是非逆にして欲しかった。その「とき」でさえも、新幹線名称から消えてしまい、私にとっては上越新幹線「あさひ」に乗ることそのものに魅力を感じなくなってしまったものでした。そして実際に「あさひ」にはあまり乗らなくなり、マイカーでの往復が増えてしまいました。それほど私自身にとって「とき」の名称は思い入れが深く、愛着があります。「とき」が復活するならば、「とき」に乗りたくて、私自身の上越新幹線の利用が増えることは間違いありません。

埼玉県在住の男性(48)

 〔とき〕の人気には、本当に嬉しいものがあります。でも、投稿者の皆さんの多くは若くて、どちらかと言うと「鉄道ファン」であり、〔とき〕の本当に華やかなりし頃をあまりご存知ない年代の方々と言っては失礼がありましょうか。老輩として、決して鉄道ファンではない私自身の昔のときの想い出を述べてみたいと思います。先ず、あの緑地にトキの絵が入ったヘッドマークは、その頃既に老朽化してしまった車体に飾るものとして私はあまり好きではなかった。それ以前の、まだぴかぴかのつやのあったボンネット付こだま型車両の先頭に、白地に〔とき〕と大きく書かれたマークの方が、遠くからでも直ぐに〔とき〕だと分かり風格があったものです。日本中に数多く特急が走っていても、二文字だけのスマートな名前の特急はそれほど無かった。東北方面の長距離特急にはグリーン車は1両だけなのに〔とき〕には2両、全車指定席、列車食堂もありました。高崎まで同じ線路を走る〔あさま〕とも風格がまるで違ったものです。若かりし頃はお金もなく、〔佐渡〕や長岡行各停しか乗れなくて、いつも〔とき〕を羨望の眼差しで見ていたものです。そんな私が思い切って初めてロマンスシートの〔とき〕に乗ったときは本当に嬉しく、晴れがましい気持ちになったものでした。そして、〔佐渡〕とは客層がまるで違うのに驚き、緊張したものです。食堂車にも行ってみたが、恰幅の良いビジネスマンで賑わう空間で、貧乏人の私は一番安いカレーライスとコーヒーしか注文する勇気がありませんでした。それでもずいぶんリッチな気分になったものです。そんな〔とき〕もいつしかL特急となり、本数が増え、自由席が設けられ食堂車は全部廃止され客層も列車の雰囲気も随分カジュアルなものになってしまったのが少し残念でもありました。新幹線開業直前は上野・新潟間の所要時間は4時間を超えていましたが、最盛期は3時間50分強でビュンビュン飛ばしていたものです。例え上りの〔とき〕が遅れても、高崎駅では定刻に到着している〔あさま〕を待たせて、〔とき〕は通過して先に行ったのも快感でした。当時の私は池袋から銀座に通っていました。地下鉄の方がずっと速いのに、私は上野に発着する〔とき〕を見たくて、毎朝毎晩山手線で通いました。〔とき〕の発着する時間帯はもうすっかり憶えていました。真冬に、真っ白な雪を載せて到着する〔とき〕を見ると故郷恋しさに目頭が熱くなったものです。〔とき〕の復活は心底嬉しい。でも、20年間親しんだ〔あさひ〕が完全に消えてしまうのも少し寂しい。将来酒田まで庄内新幹線が実現するのならば、その時こそ酒田行には〔いなほ〕ではなく、山形県の名山である〔あさひ〕を堂々と復活させてはいかがでしょうか。

*このメッセージ以降は、「〔とき〕復活」(2002年12月1日)以降に寄せられたメッセージです*

埼玉県在住の男性(46)

 ついに12月1日を迎えましたね。指折り待っていたこの日。今日は〔とき〕を始発から見ようと出かけてきました。場所は埼玉県内でおそらく唯一、新幹線をまたぐ跨線橋があり、車は通らず人通りも少ないので新幹線車両を上からじっくり眺められる所です(この場所はマニアにとっては有名な所らしく、何人か下見に来たそうですが、今日はそんな感じの人は誰も来ませんでした。彼等はイーストアイなどが目的の様です)。時刻表のコピーとにらめっこしながら、待つこと20分ほど。東京発最初の〔とき301号〕が通過していきました。そのあと新潟始発の最初の〔Maxとき300号〕が続きました。いつもとそして他の〔あさま〕や〔たにがわ〕と変わらない車両なのに、〔とき〕と名前が付いているだけでわくわくします。その後2時間ほど粘り、数本の〔とき〕を写真におさめてきましたが、今日はあいにくの小雨模様。シャッタースピードが上がらずじまい。おそらくほとんど流れる線になってるでしょう。う〜ん、青空の下で走ってもらいたかった。この雨はもしかして引退させられた〔あさひ〕の涙雨? 「今度また天気のいい日に〔とき〕を見に来よう」と思いながら跨線橋を後にしました。

(2002/12/01)

新潟県在住の男性(38)

 すでに「とき」の愛称が復活して1年半。181系の頃から「とき」が大好きでした。時代は183系、そして新幹線へ。しかし、時代は変わっても、やはり私にとっては心躍らせて乗り込んだ列車は〔とき〕でした。先日、4年振りに上越新幹線に乗る機会が訪れました。ホームに上がり、入線してくるその車体の方向幕には、誇らしげに〔とき〕と……。不思議と目頭が熱くなりました。幼い頃から現在に至るまで、〔とき〕からはたくさんの想い出をもらっていた気がしています。車内放送、ホームでのアナウンス。〔とき〕の名前が告げられるたび、あぁ、戻ってきたんだね。実際に乗って実感したしだいです。 たくさんの人達の想いを乗せて、これからも〔とき〕には走り続けて欲しいと願っています。

(2004/08/01)

アメリカ合衆国在住の男性(48)

 現在アメリカ在住。新潟の地震の事が気がかりでインターネットを見ていたところサイト発見。昔々、車の免許を取る前、年に何回も新潟・東京を往復しました。特に鉄道が好きだったので、181系のときの写真集も買ったことがありました。長岡で途中下車し友達と会ったり、湯沢にスキーに行ったり。新潟駅で写真を撮りまくった事もありましたっけ。ときは私の青春時代そのものでした。

(2004/10/28)

東京都在住の男性(38)

 私にとって「とき」といえば、181系ボンネット車の上越特急でした。初めて乗車したのが特急〔とき〕だったからということもありますが、当時の子供心にもクリーム色に赤のライン、というスマートな車体には憧れたものです。〔とき〕に限らず「特急」そのものに乗車したのは、数えるほどしかありませんが。〔とき〕が健在だったころの「特急」ってまさに特別な存在でしたし、急行があってこその特急、という感じでした。
 上越新幹線開業により、いよいよ〔とき〕が廃止間近になったとき(昭和57年11月7日)、半日ほど長岡駅に出向いて撮影したことが思い出されます。その日は183系は何本も発着していましたが、181系のボンネット車は1本しか見ることができませんでした。
 これまで、〔とき〕は2回ほどリバイバル運転されていますが、もし3回目があるとするならば、金沢支社から国鉄色489系ボンネット車を借り入れて運転してほしいなぁ、と思います。ヒゲの形は違うものの、往年の姿を彷彿とさせるには充分すぎると思いますが……。489系が走り続けているうちにぜひ……。

(2005/06/04)

千葉県在住の男性(44)

 今から26年前、高校を卒業し東京の予備校に来ました。朝、六日町停車の〔とき〕に乗り、カーブを曲がるたびに、まだ雪の残る、田畑が下になっていくのを覚えています。学生の時は、お金もなく、帰省の時は急行〔佐渡〕か、上野発長岡行きの各駅停車でした。東京に戻る時は祖母がお金を出してくれて、特急〔とき〕に乗り帰ってきていました。私にとって、特急〔とき〕に乗ることは、ふるさとに帰ると同じ意味を持っていました。

(2005/09/12)

埼玉県在住の男性(19)

 新潟市の出身であるため、上越新幹線には何度も東京へ出かける際に利用していました。 自分はまだ若く、〔とき〕の名にそこまで思い入れがあるわけではないのですが、やはり「とき」のという名前でよかったのではないかと思っています。
 「あさま」と間違えやすい、さらに「新潟らしい」ということで、〔とき〕の名前が戻ってきた。 自分は〔あさひ〕に親しんできた世代であるため、この名前がなくなってしまうのもどこか寂しい気がしました。
 でも、昔から使われてきた名前があるならそちらを優先するべきと思います。 実際に朱鷺は新潟を象徴するものであるわけですから、それを使わないわけにはいかないと思います。
 帰省の際には安いという理由でムーンライトえちごばかり使っていましたが、今度の帰省の時にはぜひ〔とき〕で帰ろうと思います。

(2006/02/15)

東京都在住の男性(36)

 今日はじめてこのサイトを拝見させていただきました。ときにこれだけの力を注ぐ方がいらっしゃった事にびっくりしました。そして、今、懐かしく切ないです。
 今年67歳になる父親は、新潟、柏崎出身。少し規模がある米農家の末子として生まれ、高校を卒業し、上京。高卒ながら東京の一等地で華やかなデパートマンとして日々充実した日々をすごしていたようです。同僚の母と結婚し、大宮に小さな家を構え、31のときに私が生まれました。物心つかぬ頃から、私は父の帰省に連れられていました。まだ父は30代、今の私の年齢くらいでしょうか。記憶があるのは、毎年夏の暑い日、大宮駅からときに乗っていたこと。
 父親の帰省が唯一の家族旅行。そして、私には長い夏休み。ほんとに楽しみでした。柏崎のきれいな海。田舎の前にはずっと先まで広がる田園。そして、緑の稲のにおい。庭の木々にうるさいせみの泣き声、そのずっと先には信越線が走り、小さく踏み切りの音がすると、何十分かおきに、いろんな特急や電車が走り抜けていく。まだ視力が良かったから、網戸の部屋からでも何が通ったかよく見えた。居間にぺらっと一枚貼ってある時刻表で、何が通過したか確認したり。関東では見られない雷鳥や北越、しらさぎ……。
 父は、海に行っても、浜茶屋で寝てばかりで子供の頃は不満だった。しかし、夜は大きな畳の部屋で、父の兄弟達が集まり、酒とタバコの煙で真っ白になる中での大宴会のかたわらにいるのがとても楽しかった。あんなに楽しそうに話す父はめったになかった。いとこ達と私はそんな中、庭で花火をし。南風で部屋の中を通過していく花火の煙。また、踏み切りの音がする。昼とは違い、特急が室内灯を点し、走り抜けていった。そのうち父も、おじ達も酔って寝てしまう。緑の蚊帳のなか、酔った父の隣で寝るのがまた楽しかった。
 ……長く思い出になってしまったのですが、もう、父も引退し帰省もしません。ときもなくなってしまいました。一度、新幹線開業後に上越新幹線で帰省しました。食堂車もなく、揺れもなく、あっという間に長岡に着きました。少し寂しかったことを思い出します。
 私は家を出て、一人暮らしをし、そして結婚し、実家にもあまり寄り付きませんが、どうしても、「とき」を見ると、父親を思い出してしまいます。ときの全盛期は、父親の全盛期だったような気がします。たまに会えば老いていく姿。いつかは同じく消えていきます。
 今年も夏が終わります。ときをネットで検索してしまうのは、自分の楽しかった時代を探したいのか? そうでなければ、父親を探してるのかわかりません……。でも、趣味や楽しみなどない自分にとって、なぜか唯一気分が落ち着くのが「とき」の記事です。18歳で新潟から一人上京し、東京で生き抜いた父を、そして、自分の汚くなかった無垢な気持ちを、これからも「とき」を見かけるたびに思い出せると思います。

(2007/08/31)

東京都在住の男性(44)

 母の生家が新潟県で小中学生の頃、毎年の夏休みと冬休みに遊びに行くのが楽しみでした。
 東京で生まれ育った私にとって新潟の自然は素晴らしく、東京では実感できないものがあり、夏休みの宿題や冬場はスキーを満喫しました。
 最初は生家の最寄り駅に「とき」は停車しなく「佐渡」で行ってたのですが、「とき」の運転本数が13〜14往復運転をしていた終焉の頃には、一日3〜4本は停車をしましたので、「とき」に乗車して行くことが楽しみを倍増させました。
 上野駅を出発して徐々に山や緑が増え、綺麗な上越国境に差し掛かり、清水トンネルを抜ける頃はワクワクしながら車窓を眺めたものでした。
 今では仕事も忙しく、生家に行くのは叔父の法事ぐらいになってしまい、車で行く機会が多く、たまに新幹線を利用すると「あの頃あんなに時間がかかっていたのに……こんなにも早く着いてしまうのかぁ」と実感させられます。
 でも「とき」の名が新幹線に受け継がれたことは大変嬉しいことですね。

(2007/09/06)

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