| History of Jôetsu Shinkansen |
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'06豪雪に克つ挑み
新潟大停電
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2005年(平成17年)12月22日午前8時10分頃に発生した大停電事故によって、新潟県内の在来線もほぼ全線で運転を見合わせた。
信越本線の長岡─新潟間の定期券利用者などに対して、辛うじて運行を続けていた上越新幹線への振替輸送が実施された。
しかし、12時00分頃から新潟大停電の影響から越後湯沢─新潟間で運転を見合わせた。上越新幹線は16時30分頃に運転を再開できたものの、上下24本が運休し、約1万5,000人が影響を受けた。新潟県内の在来線は、新潟駅を発着する列車を中心にマヒ状態が続き、電気が消え暖もとれない新潟駅の待合室は大勢の利用客であふれ、電気が通ずる上越新幹線の車輌を開放した。
'06豪雪
2005年(平成17年)12月から非常に強い寒気団が日本列島まで南下し、特に12月下旬は記録的な低温が続き、日本海側の山間部では3〜4mを超す豪雪に見舞われた。
新潟県内の在来線は、飯山線や只見線などはまったく運転できず、信越線・上越線もダイヤがあってないような状態にまで麻痺した。また、山形県内の羽越線で特急〔いなほ14号〕が突風(ダウンバースト・竜巻ともいわれる)にあおられ脱線転覆し、乗客5名が死亡する痛ましい事故も発生した(事故現場付近では翌年1月18日まで不通)。
厳冬に見舞われたまま迎えた2006年(平成18年)。記録的な豪雪に、「雪では止まらない」上越新幹線でも、トラブルに見舞われた。
新年早々の元日、14時19分頃に越後湯沢─新潟間で停電が発生した。新潟大停電から10日ほどしか経っておらず、「またか」と思わせるような出来事だった。〔とき323号〕(東京発新潟行)が魚沼市内の線路上でそのまま停車し、乗客約550名が暖房の止まった車内に閉じこめられた。JR東日本は、給電状態が不安定な中、長岡駅で止まっていた〔とき328号〕(新潟発東京行)を〔とき323号〕の停車現場に向かわせ横付けし、渡り板を渡して16時頃までに〔とき323号〕の乗客を移し、越後湯沢駅まで送り、〔とき323号〕の乗客は上越線などで長岡に向かった。
越後湯沢駅では、年末年始をスキー場で過ごした運転再開を待つ家族連れやカップルなどでごった返した。また、新潟市から実家のある湯沢町に向かっていた会社員(48)は「10日前にあった新潟大停電でやり残した仕事を31日に片付けたばかり。停電にたたられているよう」と予定より2時間半遅れで越後湯沢駅に着いた。新潟駅でも家族の帰省を待つ人たちで待合室は溢れんばかりとなった。東京から帰省する娘を迎えに来ていた会社員(60)は「いったい何時になるのかわからない。せっかくの元日なのに」とうんざりとした表情をみせた。
停電が発生した原因は、浦佐駅構内にある架線の通電状態をチェックする保護線が断線し切断を検知した変電所が自動的に送電を止めたためで、上越新幹線は17時35分に運転を再開したが、ダイヤの乱れは、長野新幹線だけでなく、東北・山形・秋田新幹線にも及んだ。
さらに、成人の日を含む三連休の初日となった1月7日の5時頃、越後湯沢─ガーラ湯沢間で除雪作業車のアームが収納できなくなり、送電ができなくなった。送電できない状態はそのまま続き、初発から越後湯沢─ガーラ湯沢間を含む上越新幹線全線で運転を見合わせた。8時39分には本線部分は運転を再開できたものの、越後湯沢─ガーラ湯沢間は終日運転を見合わせた。渋滞知らずでスノーリゾートを楽しめることが宣伝文句のガーラ湯沢スキー場で連休を楽しもうとした多くの人たちが越後湯沢駅からの代行バスに乗り換えざるを得ず、さすがに「二度あることは三度ある」を地でいく上越新幹線のトラブルに利用者からは、「年末から予定を立てていた。午前中には着いてたっぷり滑るつもりだったのに」(千葉県市川市からの27歳の男性会社員)と自然の力の大きさと人間の無力さを愚痴ってしまう声が、疲れた表情から聞こえた。
およそ半月の間に3回も“雪に強い”上越新幹線が雪で運転を見合わせる事態が発生し、サンパチ豪雪以来43年ぶりに「平成18年豪雪」と命名された豪雪がどれほどの大雪をもたらしたかがうかがえるだろう。
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