| History of Jôetsu Shinkansen |
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第二の全線「開通」
| 6時以前と0時以降に運行された上越新幹線 |
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| 通常、新幹線は、新幹線鉄道騒音に係る環境基準(1975年環境省告示46号)により、6時〜24時の間しか営業列車は運行されていない。しかし、上越新幹線全線復旧時の速度規制が強かった暫定ダイヤ(第1次)では、新潟5:48発、新潟0:05着という列車が運転された。これは、東京側のスジをいじる(ダイヤを変更する)と、上越以外の東北・山形・秋田・長野の各新幹線のダイヤに大きな影響を及ぼし、全面ダイヤ修正が必要となるため、新潟側でダイヤを調整するほか早期に全線復旧する術はなかったからと考えられる。 |

2004年(平成16年)12月28日。新潟中越大震災(新潟県中越地震)から66日ぶりに、上越新幹線が全線で運転を再開した。
5時48分、全線復旧後初となる上り〔Maxとき300号〕が新潟駅を発った。6時以前に発車する新幹線は、異例中の異例で、それだけ新潟中越大震災の被害が甚大だったか、うかがえるだろう。全線復旧後も越後湯沢─燕三条間では最高110km/hの速度規制が敷かれ、東京─新潟間では最大15分程度所要時間が延びた。
28日当日、新潟駅からの全線運転再開一番列車となる〔Maxとき300号〕には、JR東日本の大塚陸毅社長が東京駅まで乗り込んだ。
上越新幹線の各駅では「おもてなし」イベントを開催、新潟駅では月岡、岩室、瀬波温泉、佐渡など各地の観光関係者らが横断幕を掲げて出迎え、まるで1982年(昭和57年)11月15日の「上越新幹線開業」を彷彿させる賑わいをみせた。
しかし、18時30分頃、魚沼市で震度5弱を観測する中越地震の余震と見られる地震が発生、上越新幹線は即時運転を見合わせ、20時27分に運転を再開、全線復旧の「お祝い」ムードにも水を差し、自然の辛辣さに人々は耐えるしかなかった。
E1系電車「Max」には、「がんばってます!!にいがた」の特製ステッカーが2005年(平成17年)3月31日まで貼られた。また、年末年始の多客期が終わった2005年(平成17年)1月15日から3月27日までの土曜・日曜に東京都区内や大宮などからおとな1人1万5,000円〜6,000円(普通車)で往復でき、さらにフリーエリアに乗り放題の「にいがた応援フリーきっぷ」、さらに新潟県内各地から東京エリアへの「がんばってます新潟・東京フリーきっぷ」がそれぞれ発売された。
地震による風評被害に苦しんだ新潟の観光地は、上越新幹線の全線復旧をチャンスにキャンペーンを展開、「がんばっている新潟」を首都圏を中心とした全国にアピールした。
2004年(平成16年)の大晦日、三条・南蒲原大水害(平成16年7月新潟・福島豪雨)、新潟中越大震災(新潟県中越地震)と天災に見舞われた新潟県。そんな2004年のトリを飾るNHK紅白歌合戦では、初出場の平原綾香が新潟中越大震災の被災者でもヒットした「Jupiter」を熱唱し、新潟県出身の歌手、小林幸子が「紅白」恒例の豪華な衣装(セット)を封印し「雪椿」を大トリで熱唱した。
2005年(平成17年)1月22日、速度規制区間を浦佐─燕三条間に短縮し、速度規制も最高160km/hに短縮した第2次となる復旧暫定ダイヤを実施。これにより、大震災前の平常ダイヤとの差は東京─新潟間で約5分に短縮した。
3月1日は、JRグループの全国ダイヤ改正に合わせ、大震災前のダイヤに戻すダイヤ改正を実施。長岡─浦佐間の一部で速度制限を続けるため、東京─新潟間をノンストップで運転する〔とき1号〕〔とき2号〕などでは2分程度の遅れが残った。
新潟中越大震災から1年を迎える2005年(平成17年)9月1日〜11月30日、新潟県観光協会が中心となって、大震災支援に対する「ありがとう」の気持ちをこめた「がんばってます!!にいがた『ありがとう』キャンペーン」が展開され、JR東日本でもキャンペーンをサポートするため、「にいがた『ありがとう』フリーきっぷ」(きっぷ内容は「にいがた応援フリーきっぷ」と同じ)を発売した(10月1日〜11月27日の土曜・日曜が有効)。
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