| History of Jôetsu Shinkansen |
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復旧までの長い道のり(2)
| (下の画像3点はいずれもDAMASA氏提供) |
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| 10月30日には〔とき〕が燕三条−新潟間で運転を再開し、11月4日は長岡まで運転再開区間は延びた。「高崎・東京方面」と書かれているのに長岡までしか行かない〔とき〕を見れば、どれほどの事態が発生したかがわかる。このような事態での〔とき〕燕三条行、〔とき〕長岡行は、決して見たいものではない。行先を示す「方向幕」には「とき 長岡」はなく、「臨時」を掲示していた。いずれも新潟駅で撮影(12月2日撮影)。 |
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| 長岡駅の新幹線乗換口の模様。上りの新潟方面には〔とき109号〕、〔とき203号〕が案内されているが、高崎・東京方面は、10月23日から一度も案内が表示されていない。下りホーム(12番線)へのエスカレーターには仮設柵が設置されている(12月2日撮影)。 |
脱線した〔とき325号〕以外の駅間に緊急停車した〔とき〕〔Maxとき〕は、それぞれ最寄りの駅に収容された。浦佐─長岡間で脱線した〔とき325号〕についても、脱線車輌の撤去・移設作業が進められることになった。
〔とき325号〕(200系電車10輌編成)の撤去・移設作業計画では、当初、脱線した車体の下にジャッキをもぐり込ませ、車体をジャッキアップし復線させ、回送させる計画だったが、度々発生する余震で脱線した車体にもぐり込むのは危険と判断し、14m下の高架橋下に運び込まれたクレーン車で車体を吊り上げ、上り線に置いた台車上に移し、新潟市内の新潟車両センターに運ばれる計画に変更された。10月26日には余震の回数も40回を割り、27日から車輌の撤去・移設作業を進める手はずだった。しかし、その作業は最大震度6弱を観測した余震によって阻まれることになった。
10月27日10時40分頃に発生したマグニチュード6.1の地震は、広神村、守門村、入広瀬村で震度6弱、長岡市、小千谷市、栃尾市で震度5強を観測した。東三条以南の信越本線・上越線、越後線の一部区間もこの地震によって運転を見合わせた。
震度5強を観測した長岡市内の中心地にある長岡駅では、この地震で「駅舎崩落」のおそれがあるとして、新潟県警が乗客、駅社員、駅ビル関係者全員の駅舎外への避難を指示した。約1,000名が駅前のバスターミナルなどに退避した。その後の点検で崩落の危険は回避されたとして、避難指示は16時前に解除された。「駅舎崩落のおそれ」と当初は報道で伝えられたが、実際には2階部分の壁が剥離する危険性から、駅舎の一部が損壊する危険性があり、駅舎外への退避・避難が指示されたという。
東京や上野、大宮などの上越新幹線各駅のホームでは、「上越新幹線は、新潟中越地震により、越後湯沢から先で運転を見合わせています。また、越後湯沢まで新幹線で行かれても、越後湯沢からの在来線は、北陸方面へを含め、動いておりません。ご注意ください」というアナウンスが繰り返し流れた。
上越新幹線でも、10月30日には燕三条─新潟間で、臨時ダイヤによる〔とき〕の運転が再開された。これで、本来の姿ではなかったが、〔とき〕が鉄路上に7日ぶりに戻ってきた。臨時ダイヤに基づき1日18往復が通常の最高240km/hから160km/hに最高速度を抑えた。同時に、一般車輌の通行止が続く関越道を、高速バスとともに特例として新幹線の代行バスも走行が許され、越後湯沢─長岡・燕三条間に代行バスが走り始めた。しかし、東京─新潟間の所要時間は、関越自動車道の徐行区間などから4時間〜5時間かかり、ビジネスユースの利用客は臨時の航空便から戻ることは皆無に等しかった。
11月4日には上越新幹線・新潟側の運転再開区間が長岡まで延長された(燕三条─新潟間と同様に最高160km/hの臨時ダイヤ)が、長岡までの再開当日8時57分頃に三島町などで震度5強を観測する大きな余震が発生し、〔とき201号〕(長岡発新潟行)が緊急停車、30分後に燕三条駅まで徐行で運転を再開し、11時23分まで約2時間半も運転を中止した。運転再開区間が長岡まで延長されたことで、新幹線の代行バスも越後湯沢─長岡間に短縮、増便された。
上越新幹線の不通は新たな問題点を突きつけた。問題点とは、不通・分断によって、東京側で運用できる車輌が限られてしまい、東京側の運行本数が平常の6割しか確保できず、朝の通勤時間帯を中心に満席状態が続いた。通常、上越新幹線は23編成の車輌で運用されているが、大震災発生によって、東京側14編成、新潟側9編成が残り、新潟側の9編成は事実上足止めされた格好となった。東京側では東北新幹線の車輌を融通することはできるが、秋の観光シーズンで東北新幹線側も車輌に余裕はない。山形・秋田両新幹線の400系電車・E3系電車は、原則として上越新幹線では運用していない。JR東日本は「検査日程を工夫して車両をやり繰りするしかない」と、車輌やり繰りの日々が続いた。
11月19日からは、東京−越後湯沢間で〔とき〕〔Maxとき〕の代替として運転されていた列車を含め、それまで全車自由席(グリーン席券は車内で販売)で運転していた〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕で、指定席の設定が復活した。それと同時に、JR東日本は上越新幹線の運転再開見込みを「12月28日」とプレスリリースで公表した。頻発する余震から復旧作業が捗らず、全線復旧は年明けとまで一部ではささやかれていた。それでも年末年始の繁忙輸送から年内全線復旧を目標にした。
11月19日にプレスリリースされた上越新幹線の全線運転再開見込みが、12月7日のプレスリリースによって「12月28日」が“ほぼ”確定し、全線運転再開後の暫定ダイヤも公表された。暫定ダイヤは〔とき〕〔Maxとき〕〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕の全定期列車の運転が確保され、されに年末年始の臨時列車の運転も確保された。12月10日からは全線運転再開後の指定席も発売が開始された。
JR東日本が2005年(平成17年)4月28日に公表した2005年3月期(第18期)の決算によれば、新潟中越大震災による損益影響額は総額602億円にのぼった。
| 減収 140億円 |
支出 462億円 |
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- 営業費用:56億円
- 特別損失:405億円
- 災害損失:119億円
- 鉄道施設の復旧費用:101億円
- 信濃川発電所の復旧費用:17億円
- 災害損失引当金:286億円
- 鉄道施設の復旧費用:59億円
- 信濃川発電所の復旧費用:174億円
- 2005年度の動力費増:52億円
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