| History of Jôetsu Shinkansen |
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復旧までの長い道のり(1)
大動脈の輸送力確保に総動員
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| 上越新幹線・越後湯沢─新潟間や在来線各線の不通は長期間にわたって続いた。赤い区間が地震によって不通が続いた区間で、赤色数字は運転再開日。 |
「10月23日17時56分」以降、〔とき〕は上越新幹線を走れなかった。
越後湯沢─長岡間では、〔とき325号〕が脱線しただけでなく、高架橋やトンネル壁面にも大きな損傷が見られた。本震の震源に近い魚沼トンネルでは路盤全体が歪んでしまった。トンネルは地震に強い構造(地震動と同期して揺れ動くため)と言われてきたが、それも激しい揺れでは何の気休めにもならなかった。今回の地震ではさらに追い打ちをかけたのは、余震だった。高架橋やトンネルの損傷を点検、確認しようにも度重なる余震で二次災害の発生さえも危惧されたからだ。
東京─新潟間の大動脈の輸送を確保しようと、上越新幹線の代替となる交通機関が大きな活躍を果たした。上越新幹線によって廃止に追い込まれた羽田─新潟間の航空便も日本航空(JAL)・全日本空輸(ANA)が臨時運航し、高速バスは、新潟交通が新潟─郡山間に臨時便を増発し、東北新幹線経由の足を確保した。さらに、JR東日本も長野新幹線経由で長野─新潟間に越後線回りの臨時快速を運転するなど、陸と空から現有設備により、より安全なルートを確保し、輸送力確保に総動員態勢となった。
復旧までの長い道のり(1)
| (下の画像4点はいずれも10月30日撮影) |
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| 10月30日には〔とき〕が燕三条─新潟間で運転を再開した。わずか1駅間ではあるが、〔とき〕が再び復活した。上越新幹線で「燕三条」行は、開業以来22年で初めて。それもわずか5日間だけで、11月4日には長岡まで延びた。 |
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| 普段は使われない燕三条駅の下り用13番線ホームで発車を待つ上り〔とき〕(新潟行)。燕三条─新潟間の折返し運転時、燕三条駅では、本来の上り11番線ホームは閉鎖されたままで、下りの12番線・13番線ホームから上り〔とき〕が発車していった。 |
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| 越後線を経由して、長野─新潟間を結んだ「臨時快速」。 |
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| 普段は115系電車がメインである越後線吉田駅に停車する「臨時快速」。どうして車掌が2名乗務で、それも上下で安全確認しているのか、知る由もない。 |

新潟中越大震災は、震度7の本震もさることながら、強い余震が頻発したのも特徴のひとつだった。余震は23日だけでも160回を超え、24日も150回も超した。単純に平均すれば約10分に1回有感地震があったのだから、その余震への恐怖は、想像に難しくない、いや想像を絶するものだっただろう。
だから、度重なる余震は、鉄道網の復旧作業を捗らせなかった。
在来線は、10月26日に越後線・柏崎─吉田間が復旧して、全線で運転を再開し、東京方面から長野新幹線・長野経由で新潟県内に入れるようになった。これにより、信越本線の不通により運休していた特急〔北越〕の車輌(485系電車)などを用いて、長野─新潟間に越後線回りの臨時快速列車の運行(4往復)を開始した。また、信越本線・長岡─東三条間も復旧し、被災地域内まで鉄道で移動できるようになった。
しかし、それ以外の線区では復旧作業が進められたものの、それ以上に地震による損傷が激しく、一部区間では運転復旧のメドさえたたなかった。レールは波打ち、架線柱は傾き、ホームには大きな段差が出ていた。そのうえ、避難活動を優先されるため、レール上に土砂を盛り、緊急の避難道路としたところもあった。
それでも、脱線した〔とき325号〕以外の駅間に緊急停車した〔とき〕〔Maxとき〕は、それぞれ最寄りの駅に収容された。浦佐─長岡間で脱線した〔とき325号〕についても、脱線車輌の撤去・移設作業が進められることになった。
〔とき325号〕(200系電車10輌編成)の撤去・移設作業計画では、当初、脱線した車体の下にジャッキをもぐり込ませ、車体をジャッキアップし復線させ、回送させる計画だったが、度々発生する余震で脱線した車体にもぐり込むのは危険と判断し、14m下の高架橋下に運び込まれたクレーン車で車体を吊り上げ、上り線に置いた台車上に移し、新潟市内の新潟車両センターに運ばれる計画に変更された。10月26日には余震の回数も40回を割り、27日から車輌の撤去・移設作業を進める手はずだった。しかし、その作業は最大震度6弱を観測した余震によって阻まれることになった。
| 〔とき325号〕の復線作業中に震度6弱の余震に見舞われた |
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| (NHK総合テレビ「ニュースハイライト」2004年12月30日放送より引用) |
10月27日10時40分頃に発生したマグニチュード6.1の地震は、広神村、守門村、入広瀬村で震度6弱、長岡市、小千谷市、栃尾市で震度5強を観測した。東三条以南の信越本線・上越線、越後線の一部区間もこの地震によって運転を見合わせた。
震度5強を観測した長岡市内の中心地にある長岡駅では、この地震で「駅舎崩落」のおそれがあるとして、新潟県警が乗客、駅社員、駅ビル関係者全員の駅舎外への避難を指示した。約1,000名が駅前のバスターミナルなどに退避した。その後の点検で崩落の危険は回避されたとして、避難指示は16時前に解除された。「駅舎崩落のおそれ」と当初は報道で伝えられたが、実際には2階部分の壁が剥離する危険性から、駅舎の一部が損壊する危険性があり、駅舎外への退避・避難が指示されたという。
東京や上野、大宮などの上越新幹線各駅のホームでは、「上越新幹線は、新潟中越地震により、越後湯沢から先で運転を見合わせています。また、越後湯沢まで新幹線で行かれても、越後湯沢からの在来線は、北陸方面へを含め、動いておりません。ご注意ください」というアナウンスが繰り返し流れた。
11月に入り、1日には飯山線が十日町以西で復旧し、2日には上越線が水上─六日町間、ほくほく線が六日町─まつだい間で運転を再開した。これで、特急〔はくたか〕も運転を再開し、郡山経由、長野経由に次ぐ第3の迂回ルートが確保された。この区間以外の不通区間では、JRバス関東やJRバス東北、地元バス事業者などの応援を得て、代行バスが運行され、再開された高校に通う高校生などの足が確保されたが、渋滞や鉄道よりも時間がかかることで、不自由な通勤・通学となった。
11月29日に信越本線・柏崎─長岡間が運転を再開したが、最高速度が45km/hに制限されたため、所定より30〜40分程度所要時間がかかった。越後線経由で運転されていた長野─新潟間の臨時快速は運転を終了した。
上越新幹線の全線運転再開に先立つ12月27日、最後まで不通となっていた上越線の小出─宮内間、飯山線の十日町─越後川口間も運転が再開され、新潟県内の在来線は、大震災発生から65日で復旧した。しかし、上越線では単線で運転が再開され、各線区で速度制限がかかり、大震災からの完全復旧にはまだ時間を要した。
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