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History of Jôetsu Shinkansen
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〔とき〕復活

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 2002年(平成14年)12月1日、上越新幹線に〔とき〕が戻ってきた。

 〔とき〕の名が鉄路から消えて、5年2ヶ月、日数にして1,886日ぶりに、〔とき〕は、上越新幹線に不死鳥の如く戻ってきた。

 東京駅では、東北新幹線八戸行の一番列車〔はやて1号〕の出発を祝う記念式が、鉄道史上稀な列車最後部で挙行された。しかし、〔とき〕に関しては大きな出発式もなかった。鉄道ファンの注目も一部を除けば、〔はやて〕一点に集まったといわざるを得なかった。ただし、新潟駅などでは新生〔とき〕のデビューを祝う出発式が挙行された。新潟駅では、〔とき2号〕の出発に合わせて出発式が開かれ、JR東日本新潟支社の青木邦雄支社長が「人間と自然の共生のシンボルである朱鷺を、列車名に使えるのは大きな喜び。大勢のお客さまに〔とき〕で新潟へ来ていただきたい」と挨拶し、恒例となったテープカットとくす玉を割って、新生〔とき〕のデビューを祝った。

上越新幹線停電アクシデントに遭遇

 新幹線のアクシデントには、そう簡単に遭遇できるものではない。上越新幹線であれば、雪によるトラブルは皆無だし、架線トラブルや車両トラブルもそう簡単に発生するものでもない。逆に何らかのトラブルが発生して、新幹線が遅れてしまえば、ニュースになるくらい、影響が大きく、「新幹線の定時運転は当たり前」が日本人の潜在意識にあるようだ。

 だから、新幹線のアクシデントに遭遇すると、記憶に残るものになるのではないだろううか……。

 年末年始の帰省ラッシュの真っ只中、2002年(平成14年)12月28日、上野発新潟行の臨時列車〔Maxとき393号〕に乗った。4日前に、「えきねっと」で検索した結果、指定席が空いているのはこの列車だけ(上野発の臨時列車のためか)で、さすがに東京発の〔とき〕は指定席がほぼ満席の状況だった。12月から始まったJR東日本のオンライン予約システム「えきねっと」の割引で、特急料金が300円引かれるのは、ちょっとした嬉しいニュースだった。

 大きな荷物を抱え、〔はやて〕や〔こまち〕、〔やまびこ〕で東北方面へ帰省する人や、スキーやスノボを抱えて〔とき〕や〔あさま〕に乗り込む行楽客で、5つの新幹線が集結する大宮駅の新幹線ホームは活況にあふれていた。

 16時38分、E4系電車「Max」の〔Maxとき393号〕は、大宮を発った。上野始発の臨時列車でも、指定席はほぼ満席の状態で、「空席あり」の情報が嘘のようだった。冬の早い夕暮れが迫り、車窓は関東平野のイルミネーションが広がっていった。〔Maxとき393号〕は高崎で後発の〔とき325号〕に追い抜かれ、越後湯沢では北陸方面への特急〔はくたか〕や湯沢のスキー場への行楽客が大勢降りてしまい、車内もだいぶ空席が目立つようになった。18時04分に長岡を発った〔Maxとき393号〕は、冬景色となった越後平野の闇を衝くごとく、突然の停電事故に見舞われようとはこれっぽっちも思いもせず、静かに高架橋を走り続けていた。

 次は、燕三条。実家に一番近い駅で、上越新幹線を利用するときは、いつも使っている駅でもある。

 「まもなく、燕三条です。弥彦線はお乗換えです。燕三条を出ますと、終点、新潟です。……」。いつものアナウンスが流れ、ATCの自動ブレーキがかかり、ほんの少し重心が前に傾くのを感じながら、荷物を整え、階段を下り、デッキで到着を待っていた。

 「そんなに雪が積もっていないな……」。天気予報の大雪情報に反する位の雪の少なさに拍子抜けを感じつつ、ドアの窓越しに近づいてくる北陸自動車道を眺めながら、燕側のネオンを眺めていた。〔Maxとき393号〕は静かに速度を落とし、燕三条駅が近づいてきた。

 燕三条駅のポイントを左に入り、まもなく、ホームが近づいたとき、突然、ドアの窓越しに頭上で青白い閃光が光ったのを確認した。「こんな速度でスパークするのかな。スパークにしては光りすぎたよな…」と思っていた矢先、今度はオレンジ色に近い光がピカッと光り、〔Maxとき393号〕が急に速度を落とし、緊急停車。車内の灯が落ち、非常灯の明かりのみになってしまった。燕三条駅の所定の停車位置よりも約600m程、長岡寄りの位置でのアクシデント発生だった。

 確かに、当時、新潟県の中越地方には雷注意報が出され、雷雲がかかっていたのかもしれない。しかし、雷鳴が聞こえたわけでもなく、突然のスパーク、そして停電事故だった。送電網に落雷したのだろうか。オレンジがかった閃光も初めて見た。

 非常灯のみの明かりとなった〔Maxとき393号〕は、静寂に包まれた。車内放送も空調も電力がこなければ機能しない。外を眺めれば、燕三条駅のホームの灯りは煌々と点いていた。目測だが、もう6号車〜8号車はホームの端に差しかかっていた。「停電か……。どれくらい止まるんだろう?」と思っていた。乗客である以上は、何もできないし、パニックが起きているわけでもない。静かに送電が再開されるのを待つしかなかった。間違っても、非常ドアコックを開けて、線路に下りることは絶対にできない。

 停電、緊急停車から1分、2分と時間は経った。先頭の方から車掌さんがやってきて「停電です。しばらくお待ちください」と言い去っていった。一時的な停電であれば、そろそろ動いてもいいはずだが、まだ動く気配もない。過去のニュースが脳裏に甦ってくる。「新幹線、停電で○時間車内に缶ヅメ」――。果たして、いつになったら送電が再開できるのか、放送による説明もなかった(停電だから、放送できるわけがないが)。

 燕三条到着予定よりも10分程度経った18時23分頃、モーターが回転しはじめる音が聞こえたのと同時に、車内の電灯が再び点いた。とりあえず、送電が再開されたようだ。けれども、送電が再開されても、落雷の過電流などでモーターに異常があれば、〔Maxとき393号〕は動けず、何らかの救援を待たねばならない。果たして、〔Maxとき393号〕は再び動くことができるのだろうか。

 車内の電灯が点って1分ほど経ち、〔Maxとき393号〕は静かに動き始めた。速度は20km/h程度。新幹線とは思えないようなゆっくりとした速度で、〔Maxとき393号〕が燕三条駅に完全に進入していき、所定の位置に停車した。

 18時26分頃、所定よりも12分ほど遅れて、燕三条駅11番線ホームに〔Maxとき393号〕が到着した。ドアが正常に開き、50人程度の乗客が大きな荷物を抱えて降りた。ホームの場内放送は「突然の事故のため、停電いたしました」と、原因は判らずじまいのままだった。

 〔Maxとき393号〕の後を追ってくる〔とき327号〕も何らかの影響があったのだろう。〔Maxとき393号〕は、燕三条駅でしばらく停車した。その間、駅係員らが連絡に奔走していた。10分程度の遅れでは、特急料金の払い戻しもなく、自動改札機にきっぷが吸い込まれ、2002年(平成14年)最後の旅も終わりを告げた。

〔Maxとき〕専用車輌の登場

 E1系電車「Max」は、東北新幹線へのE2系電車・E4系電車「Max」の投入などにより、1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正以降、上越新幹線専用での運用となった。E4系電車「Max」が8輌編成で小回りが効く点、長野新幹線軽井沢まで乗り入れられる点などから増備が続き、E1系電車「Max」は1995年(平成7年)までに6編成製造された時点で、増備は打ち切られた。

 一方で、1994年(平成6年)に登場して以降、E2系電車・E4系電車「Max」やリニューアルされた200系電車に比べると、編成の陳腐化が目立ち、座席の取り替えを中心としたリニューアル工事が施された。

 2003年(平成15年)11月28日に、内装・外装ともリニューアルされたE1系「Max」の第1編成が登場した。登場した新しいE1系電車「Max」は、座席などはE4系電車「Max」に準じた座面・背面ともリクライニングする新しいタイプに取り替えられ、外装が一新された。車体上部は、雪国・新潟を象徴するかのような白色、車体下部は200系電車と同系色の青色、そして、アクセントのように朱鷺色のラインが入った。そして、何より「Max」のロゴも新しくなり、朱鷺が描かれたものになった。特急〔とき〕のヘッドマークにも描かれていたので、21年ぶりに〔とき〕に朱鷺が戻ってきたともいえるでしょう。

 E1系電車「Max」は、上越新幹線のみで〔Maxとき〕、〔Maxたにがわ〕として運転されているので、新幹線では珍しい「新潟色」とでもいえるローカル色の強い配色のリニューアル車両といえる。まさに、東京と新潟を結ぶ新幹線にふさわしいでしょう。E1系電車「Max」は、2003年(平成15年)度から3年かけて全6編成が順次、この新しいものにリニューアルされていった。

本庄早稲田駅開業

 2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正では、九州新幹線〔つばめ〕の開業が話題となったが、上越新幹線では、ガーラ湯沢駅を除く本線上で初めての「新設駅」が開業した。長く「新本庄」という仮称だったが、開業前に「本庄早稲田」と正式駅名が決まり、初めて大学名が新幹線の駅名に採り入れられた。各駅停車を基本とする〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕も一部列車が通過するなど、開業によるダイヤ改正を最小限にとどめたためと考えられる停車本数となった。本庄早稲田駅前には無料駐車場が整備され、本庄市内だけでなく、関越自動車道・本庄児玉I.C.と至近距離にあることから、群馬県内からも「マイカー+新幹線」という“パーク&ライド”が展開されている。

〔Maxとき〕〔Maxたにがわ〕併結運転

 E4系電車「Max」は8輌編成を基本とし、それを連結した16輌編成でも運転でき、輸送量に合わせて8輌でも16輌でも運転できる。また、〔Maxやまびこ〕は、山形新幹線〔つばさ〕と連結したり、東京─仙台間では16輌編成で運転し、仙台で切り離し仙台−盛岡間では8輌編成で運転させている。

 上越新幹線でも8輌編成、16輌編成で運転できるよう、高崎駅に分割・併結装置が設置され、2004年(平成16年)3月13日の本庄早稲田駅開業時から、高崎以南で16輌編成、高崎以北で8輌編成で運転できるようになった。上越新幹線は全線16輌編成で運転できるようになっている(ホームの長さ)が、開業当初から12輌編成が最長で、ホームも両端4輌分が柵で区切られている。越後湯沢以南では16輌編成でも運転できるよう、柵を撤去している。

 この高崎駅の設備を活用し、通常は高崎駅で切り離し運転が終了するE4系電車「Max」を〔Maxとき〕として新潟まで延長運転することになった。2004年(平成16年)3月13日と20日に運転された〔Maxたにがわ・Maxとき433号〕(東京発ガーラ湯沢行・新潟行)は、通常〔Maxたにがわ433号〕として運転され、高崎から前部8輌のみが越後湯沢(ガーラ湯沢)まで運転され、後部8輌は運転終了となるのが、後部8輌を〔Maxとき433号〕として新潟まで延長運転した。つまり、東京─高崎間は〔Maxたにがわ433号〕ガーラ湯沢行きと〔Maxとき433号〕新潟行きが併結して運転された。このような併結運転は、上越新幹線としては初めてで、お盆や年末年始の多客期に運転されている。

臨時〔Maxたにがわ〕、越後湯沢以北でも走る

 〔Maxたにがわ〕は、東京─高崎・越後湯沢間を走っている。スノーリゾートシーズンでもガーラ湯沢まで延長されるのが、新潟まで延長されることはない。基本は、東京─新潟間が〔とき〕〔Maxとき〕、東京─越後湯沢間が〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕である。

 上記のように、〔Maxとき〕〔Maxたにがわ〕が併結運転されるようになったが、それも東京─越後湯沢間のみ運転される〔Maxたにがわ〕、東京─新潟間で運転される〔Maxとき〕が基本となっている。

 しかし、その基本が崩れ、新潟始発の臨時〔Maxたにがわ〕が2004年(平成16年)夏のお盆多客期に初めて運転された。

 それは、8月16日に運転された〔Maxたにがわ412号〕〔Maxとき412号〕と、8月17日・18日に運転された〔Maxたにがわ416号〕〔Maxとき416号〕ののべ3本で、双方ともいずれも臨時列車だった。

 この例外的な運行となった理由を考えていくと、たとえ列車番号が別々に設定されていても、運行区間から〔Maxとき〕とすると、例えば〔Maxとき412号〕が2本運転されることとなり、利用者、特に指定席を予約した利用者にとっては混乱を招いてしまう。また、例えば〔Maxとき412号〕と〔Maxとき414号〕と別々にすることもできるが、そうすると現場が混乱することも容易に推測できる。結局、例外的に〔Maxたにがわ〕を新潟から延長運転させるのが一番の得策と判断されたのだろう。

 もう一点「高崎で併結しないで別々の列車として東京まで運行されれば問題はないのでは?」という疑問もあるが、それは東北新幹線と線路を共用する東京─大宮間の線路容量がお盆の多客期で飽和状態に近づき、1本でも多くの列車を運行させるため、高崎で併結して1本の列車の最大輸送力(16輌編成)で東京に乗り入れさせるのが得策と判断されたからといえる。

 このような運行形態は、年末年始の多客期でもみられ、お盆と合わせて定常化しつつあるが、下り列車ではみられず、上り列車のみの「例外」となっている。

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