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History of Jôetsu Shinkansen
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広がる新幹線網の陰で

>>>[ときの歴史]

 1997年(平成9年)はJR東日本の新幹線ネットワークが大きく塗り替えられた年だった。

 7月には、長野新幹線開業時のダイヤ概要がJR東日本から発表された。長野新幹線については速達(ひかり)タイプ、各駅停車(こだま)タイプの区別をなくし、全列車の列車愛称名称を〔あさま〕とした。これは、山形・秋田新幹線の〔つばさ〕〔こまち〕と同様だった。そのうえ、上越・東北新幹線の列車愛称名称も、東海道・山陽新幹線の停車駅タイプ(最速達・速達・各駅停車)から列車愛称名称を区別するしくみから、運転される区間によって区別されるシステムに移行されることとなった。

東海道・山陽 上越・東北・山形・秋田・長野
改正前 改正後
最速達 のぞみ 上越 速達 あさひ
Maxあさひ
上越 東京─新潟間、
越後湯沢─新潟間
あさひ
Maxあさひ
各停 とき
Maxとき
東京─高崎・越後湯沢間 たにがわ
Maxたにがわ
速達 ひかり 東北 速達 やまびこ
Maxやまびこ
東北 東京─仙台・盛岡間、
仙台─盛岡間
やまびこ
Maxやまびこ
各停 あおば
Maxあおば
ひかり
レール
スター
近距離 なすの
Maxなすの
東京─那須塩原・郡山間 なすの
Maxなすの
山形 つばさ 山形 東京─山形間 つばさ
各停 こだま 秋田 こまち 秋田 東京・仙台─秋田間 こまち
長野 東京─軽井沢・長野間 あさま

 「新幹線」とひと括りにはできるものの、東海道・山陽新幹線のように、東京・名古屋・京都・大阪・岡山・広島・博多と大都市を結んでいれば、最速達・速達・各駅停車と分けることが有意義になるが、上越・東北・山形・秋田・長野新幹線では、各県庁所在都市でも100万人以上の人口を抱えるのは仙台のみで、対東京の需要が増えていく「東京志向」が強く、東海道・山陽新幹線と上越・東北・山形・秋田・長野新幹線では、輸送体系が異なることが列車愛称名称にも反映されることとなった。

 在来線特急時代から35年間、「上越」の代名詞でもあった〔とき〕は、長野新幹線の開業ととも姿を消すこととなった。

〔あさひ〕・〔たにがわ〕時代

 1997年(平成9年)10月1日、「整備新幹線」で初めてとなる北陸新幹線・高崎─長野間が長野新幹線として開業した。

 上越国境の谷川岳から命名された〔たにがわ〕は、新しい上越新幹線の顔となった。

 東京─高崎間で長野新幹線と共用する上越新幹線は、〔とき〕の廃止と引き換えに〔たにがわ〕を迎え、越後湯沢より先の浦佐、長岡、燕三条、新潟の各駅では、上越新幹線の列車愛称名称は〔あさひ〕〔Maxあさひ〕に統一された。

 上野─水上間(高崎線・上越線)で運転されていたL特急〔新特急谷川〕は、上越新幹線〔たにがわ〕の登場により〔新特急水上〕に改称された。

 このダイヤ改正で上越新幹線は、速達列車が増発された。従来は、東京─越後湯沢間がノンストップで運転され、特急〔はくたか〕に接続する「スーパーあさひ」しかなかったが、この他に途中大宮のみに停車するタイプも登場し、「スーパーあさひ」タイプの〔あさひ〕は合計4往復となった。1988年(昭和63年)3月のダイヤ改正からほくほく線開業・特急〔はくたか〕の登場まで、対北陸連絡の拠点となり、全列車が停車した長岡を通過する列車が設定され、「スーパーあさひ」タイプの最速達列車も4往復設定され、さらに、各駅停車は〔あさひ400号〕のように400番台の列車番号が〔とき〕から継承され、各駅停車の〔あさひ〕(400番台)、速達の〔あさひ〕(300番台)と、ダイヤ構成は多様そのものとなった。

 また、東京駅の上越・東北新幹線ホームが2面4線に増えたため、定期列車全てが東京発着となった。

デフレ時代に挑んだ〔あさひ〕

 バブル経済の崩壊から日本経済はいっこうに回復できず、1997年(平成9年)には北海道拓殖銀行、山一證券が経営破綻し、日本経済はデフレスパイラル(景気後退の悪循環)に陥った。こうした時代背景に、1998年(平成10年)11月からJR東日本は、航空業界の早割制度に似た割引きっぷ「あさひ朝トクきっぷ」を発売した。これは、下りの初発〔あさひ301号〕とその次発〔あさひ303号〕に乗車することを条件に通常の指定席往復料金(運賃込み)のほぼ半額に割り引いたきっぷで、大好評を博した。ちょっとした早起きで東京─新潟間が半額なのだから当然の結果ともいえ、〔あさひ301号〕〔あさひ303号〕は、「スーパーあさひ」などよりも混み合う隠れた混雑列車となった。

 「あさひ朝トクきっぷ」は2000年(平成12年)9月で発売が終了されたが、7日前まで発売するという条件が付加された「あさひたび割7セブンきっぷ」に衣替えし、発売期間制限が加えられたものの、こちらも好評を博した。残念ながら、2002年(平成14年)11月30日で発売を終了した。

E2系電車の乗り入れと200系電車リニューアル

 1998年(平成10年)12月8日のダイヤ改正で、上越新幹線に新型車輌「E2系電車」が登場した。前年の長野新幹線開業によって本格的に登場したE2系電車(8輌編成)が上越新幹線にも本格的に運用され始めた。これによって、開業以来の200系電車、全車両2階建てのE1系電車「Max」、さらにJR東日本の新標準新幹線車輌に位置付けられるE2系電車が上越新幹線に走るようになった。E2系電車は、200系電車よりも加速性能が向上し、停車回数が多い列車の所要時間が短縮された。

 さらに、1999年(平成11年)には、開業以来上越・東北新幹線で活躍し続けている200系電車がリニューアルされた。内装も新型車輌に準じて新しくなり、外観は、なによりの特徴だったグリーンラインが消え、E2系電車に準じたツートンカラーに細いグリーンラインとなった。このリニューアル編成は、廃車予定にない200系電車10輌編成の12編成に施された。

 リニューアルされなかった200系電車は、順次廃車されていった。在来線の車輌に比べ早期に廃車を迎えてしまうが、在来線より高速運転・長距離運転の新幹線車輌は、平均20年で廃車となるらしい。ただ、200系電車のリニューアル工事のように延命保全工事が施されると、もうしばらく運行できることになる。しかし、200系電車もいずれ上越・東北新幹線上から引退する時期は決して遠くない。

 これに先んじた1997年(平成9年)10月16日から、上越・東北新幹線の改札口は全て自動改札化された。この自動改札機は、乗車券と新幹線特急券の2枚を同時に投入しても処理でき、自由席では、自動券売機できっぷを購入し、自動改札機を通り入場、乗車、降車、自動改札機を通り出場すれば、全く駅員に会うことがなくなった。新幹線は、自動化の波が押し寄せていた。

 コンピュータが誤作動するという「2000年問題」が騒がれた1999年(平成11年)末は、普段の年の瀬と違うどことなくピリピリ感が漂った。大晦日恒例の首都圏における在来線の終夜運転は、不測の事態の備え、午前0時直前に各駅に電車を止め、コンピュータの誤作動がないことを確認し、0時過ぎに運転を再開させる対応ぶりだった。一方で、新しい千年紀ミレニアムと騒がれた。確かに、2000年で新しい世紀、千年紀なのか、2001年で新しい世紀なのか騒がれたのもこのころだった。2000年(平成12年)1月1日の上越新幹線は、大きな混乱もなかった。21世紀を迎える2000年(平成12年)12月31日の上り最終〔あさひ〕は、特別に〔ミレナリオMaxあさひ336号〕と列車名が変更され、新しい世紀到来に花を添えた。

E4系電車「Max」の登場

 2001年(平成13年)5月には、朝の通勤時間帯の着席サービスを目的に、1997年(平成9年)12月に既に東北新幹線に導入された「新型Max」のE4系電車が、上越新幹線にも導入された。これは、全車2階建て8輌編成を基本に「8輌+8輌」の16輌編成でも運転でき、16輌編成時の定員は1,634人で高速車両としては世界最大の定員数を誇る。E1系電車「Max」と同様に普通車自由席として使われている1〜3、9〜11号車の2階の座席は、3列+3列の座席配置となった。E4系電車では、各車両にワゴン昇降機が設けられ、E1系電車ではできなかった充実したワゴン車内販売が行えるようになった。

2002 FIFA World Cup Korea/JapanTM

>>>[アーカイブス]-[とき関連時刻表]

 2002年(平成14年)6月15日・16日は、上越新幹線の歴史に1ページを刻む日となった。それは、上越新幹線開業以来20年にして初めて深夜時間帯に運転された。

 新幹線は、環境庁が1975年(昭和50年)に定めた「新幹線鉄道騒音に係る環境基準」に基づく沿線騒音対策や保線作業のため、午前0時から6時までの間は営業列車を運転しないことが慣例化されている(ただし、自然災害などで遅延が発生した場合には除く)。

 日本と韓国で共催となった「2002 FIFA World Cup Korea/JapanTM」の決勝トーナメント:Round of 16第1回戦「デンマーク:Denmark―イングランド:England戦」が新潟スタジアム・ビッグスワンで開かれた。その観客輸送には、上越新幹線があたった。この試合は20時30分開始と国内で開催される通常のマッチよりも1時間以上も遅く、試合終了は早くても22時30分前後と予測された。さらに、同点の場合は、前後半15分ずつのゴールデンゴール(Vゴール)方式による延長、さらにPK戦と、決勝トーナメントは必ず勝敗を決するため、PK戦になってしまった場合は、試合が23時30分前後に終わるかもしれなかった。また、新潟駅と新潟スタジアム・ビッグスワンの間のシャトル輸送、徒歩移動を考慮しても、通常運転時間帯(新潟発東京行の最終新幹線は〔Maxあさひ338号〕の21時28分発)に間に合うはずがなかった。さすがに在来線だけで輸送力をカバーするにも限界があり、そこで、国土交通省と新潟県、JR東日本が協議して、6月15日の深夜に上越新幹線(上り列車のみ)を運転することにした。

東海道新幹線でも深夜特別運転

 「2002 FIFA World Cup korea/JapanTM」では、静岡スタジアム・エコパで行われた1次リーグ:Stage 1・グループE「カメルーン:Cameroon―ドイツ:Germany戦」の際に、東海道新幹線でも深夜運転が実施された。

 掛川発東京行の〔特別号〕6本、掛川発名古屋行の〔特別号〕が2本運転され、7,400名が利用(最高乗車率は140%)した。また、東京、名古屋などの到着駅では、不慣れな外国人サポーターも多いことから、自動改札機を停止し駅員による「昔ながらの集札」があったという。

 東海道新幹線の深夜運転は、1970年(昭和45年)の大阪万博の時(ひかり328号、新大阪21時10分発・東京0時20分着)以来32年ぶり。

 試合は、イングランドが3-0でデンマークを下し、前後半90分で終わった。サポーター同士のトラブルを防ぐため、新潟駅では改札規制を実施して、ホーム上でもパーテーション(可動壁)で仕切られ、号車ごとにサポーターを分離した。観客が新潟駅に予定よりも早く着き始めたため、0時00分発の臨時初発を23時00分発に繰り上げ、23時台に3本を特発させ、0時00分発から2時00分発まで10分間隔で13本の合計16本が運転された。この16本に1万1,900名が乗車し、最高乗車率は132%を記録した。

 深夜時間帯だけあって、騒音抑制から最高速度は新潟─大宮間を160km/h、大宮─東京間を70km/hに抑えられたため、長岡、越後湯沢、大宮、上野に停車し所要時間2時間58分と、通常の新幹線に比べで2倍近い時間がかかった。首都圏でも、上越新幹線の到着に合わせて初電の運転時刻が繰り上げられた。

 また、在来線でも、信越本線、白新線・羽越本線、越後線で普通列車が多数運転された他に、急行〔ビッグスワン新宿〕〔ビッグスワン上野〕が485系電車で運転され、特急〔ウイングエクスプレス1号〕が新潟から大宮まで延長運転(通常は大宮−成田空港間)され、183系電車が深夜の上越線を走った。

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