| History of Jôetsu Shinkansen |
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グリーンライン開業
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1982年(昭和57年)11月15日、月曜日。「日本海へグリーンライン」のキャッチフレーズの下、東北新幹線に遅れること約5ヶ月弱にして、上越新幹線・大宮─新潟間(269.6km)が開業した。
東海道、山陽、東北に次ぐ4番目の新幹線が、初めて日本海側の都市に到達した。「新全国総合開発計画」から13年、着工から11年。オイルショック、スタグフレーションを経て、建設費は当初見込まれていた額の3倍以上、1兆7,000億円にまで膨れ上がっていた。
上越新幹線の列車名愛称は、速達のひかりタイプには、新潟・山形県境にそびえる朝日連峰と、朝日に輝くような列車になってほしいから〔あさひ〕と、各駅停車のこだまタイプには、佐渡ヶ島に生息する国際保護鳥「朱鷺」、1962年(昭和37年)から上越線のエースとして活躍してきた特急から〔とき〕と命名された。
上越新幹線開業時の運転本数構成
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大 宮 |
熊 谷 |
高 崎 |
上毛高原 |
越後湯沢 |
浦 佐 |
長 岡 |
燕三条 |
新 潟 |
上り |
下り |
合計 |
| あさひ(速達) |
● |
― |
● |
― |
― |
― |
● |
― |
● |
4本 |
4本 |
8本 |
| あさひ |
● |
― |
● |
― |
● |
― |
● |
● |
● |
5本 |
5本 |
10本 |
| あさひ |
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― |
● |
● |
― |
― |
● |
● |
● |
2本 |
2本 |
4本 |
| とき |
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● |
● |
● |
● |
● |
● |
● |
10本 |
10本 |
20本 |
上越新幹線の開業によって、上野─大宮間の専用列車〔新幹線リレー号〕に乗り換えが必要だったが、上野─新潟間は、開業前の4時間11分から2時間33分に98分も短縮された。大宮─新潟間には、200系電車12輌編成の〔あさひ〕が11往復、〔とき〕が10往復の合計21往復が設定された。東海道新幹線の開業時には、〔ひかり〕が名古屋・京都に停車駅を限定したのに対し、〔あさひ〕は停車駅にバリエーションがあり、細かな需要にも応えられるようになった。これには、安全運行を支えるさまざまなコンピュータシステムの発達が陰にあった。
〔あさひ〕、〔とき〕だけでなく、東北新幹線の〔やまびこ〕、〔あおば〕専用に運行された200系電車(12輌編成)は、外観こそ東海道・山陽新幹線0系電車と似ており、東海道新幹線開業以来18年間の技術進歩がないのでは、と海外から疑問視された。しかし、200系電車は雪害対策が十分に施され、モーターや床下の機器に雪が入って凍らないように、雪切り室の設置や床下機器をすっぽり覆うボディマウント構造を採り入れ、全体の重量増加をアルミ合金車体にすることで軽量化にも成功している。
新幹線初めての冬
開業前に幾度となく、長岡─新潟間などで雪上走行試験を繰り返したことが功を奏し、開業初年の1982年(昭和57年)/1983年(昭和58年)シーズンは、消雪スプリンクラーが活躍し、新幹線にとって初めての“冬”は、まさに「雪に強い新幹線」の本領を発揮した。「雪で真っ白になった平野で、高架の上だけ雪がなくなっている。スプリンクラーが回って雪を消している姿を見ると、新潟県民は涙が出ますよ」という声が新潟市内でも聞こえた。当時は、主要な道路にしか消雪パイプは敷設されておらず、高架橋の上だけ雪がないのは、新潟県民に新鮮で強烈な印象を与えた。
新幹線は雪では止まらないというのは容易いことだが、その陰には、国鉄技術者や関係者の弛まぬ努力があったからこそであり、1回でも雪で新幹線が止まってしまえば、先人達の努力が水泡に帰してしまう。その一念だけで雪害研究を続け、対策を講じてきたという。
「雪で止まるようでは値打ちはない。恥さらしにだけはしない」。その信念にも似た誓いが、新幹線の定時運行を支えている。
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