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| びゅうプラザなどで発券されたクーポン券を提示しないと車内に入ることはできなかった。 |
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全てのドアが開放されず、2号車と10号車のドア1ヶ所ずつが開放され、赤絨毯が目印となっていた。 |
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| デッキには給水器が設置されているが、衛生管理上からか、全ての給水器が使用停止となっていた。もっとも、晩年はペットボトルの普及で、給水器で水を飲もうとすることすらなくなってしまっていた。 |
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1号車のデッキからは運転室をのぞき込むことができた。 |
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| 停車しているにも関わらず、給電を受けているからか、運転室には乗務員が乗り込んでいた。 |
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11号車のグリーン車のドアだけは、木目調のパネルが貼られ、重厚感を醸し出していた。幼心にこの車輌だけは異なるという意識があったことが思い出された。 |
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| 車輌開放は当然グリーン車も同様で、追加料金なしで、グリーン車の感覚を味わうことができた。52席しかないグリーン席は一番人気の車輌となった。 |
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| 通常運行している列車では、間違いなく撮影しなかったであろう「トイレ」。こんな企画だからこそ、撮影できた。使用可能状態だった。 |
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| 行先を表示する(方向幕を操作する)操作卓は、車掌室に設置されていて、表示させたい番号の数字を設定し、起動ボタンを押すと、全車輌の方向幕が回転するようになっている。方向幕は、上越・東北新幹線と共通になっているが、この方向幕の〔とき〕は速達仕様(白地に赤文字)となっていて、さらに〔あおば〕がなかった。詳しくはこちらへ。 |
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車内開放中、雰囲気を醸し出そうと、旧式の到着前放送時に流れたふるさとチャイム≠ェ流されていた。実際は、CD『東北・上越新幹線開業15周年記念「懐かしの東北・上越新幹線チャイム」(26駅アナウンス付)』から編集されたものが9号車の車掌室のマイク(受話器型)から流されていた。まさか、ラジカセで流されているとは…… |
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| 特急列車にさえも公衆電話がなく、携帯電話がなかった時代。列車公衆電話は重宝された。たしかに、かえるコールを何度もした覚えが残っている。今や、携帯電話に取って代わられた。ただし、高崎─長岡間はほとんどがトンネルで携帯電話の通話も通信もできないが、公衆電話は通話ができた。 |
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デッキと客室のドア上に設置されていた号車案内板。表示板が少しズレているのがおわかりいただけると思うが、裏面には「自由席」が表示されるようになっていて、1枚で自由席車と指定席車が切り替えられるようになっていた。背面には揺れてもがたつかないようにスポンジが張られていた。 |
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| 237形電車のビュフェ部分。当然ながら営業していない。当初は、記念グッズの販売拠点となる予定だったが、能登半島地震の影響からビュフェでの販売は中止された。 |
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| デッキに掲示されていた「車内案内」。右上にはオリジナル編成の200系電車の写真も入っていた。 |
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びゅうプラザで販売されたクーポン券には、ビュフェで販売されていたカレーライスのクーポンも付き、燕三条駅1階の自由コンコースで頒布されたカレーライスを車内に持ち込んで食べる参加者が多かった。 |
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| 普通車客室内の座席は開業当初のものではなく、リニューアルされたものだったが、現在、200系電車(リニューアル編成)などで使用されている座席ではなく、前代の座席がそのままになっていた。 |
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グリーン車の人気とは裏腹に、普通車の人気はそれほどでもなく、ほとんど「貸切」状態でのびのびとできた。営業運転中の新幹線ではできないことだろう。 |
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| 開業当初の座席は、3人がけ座席は車輌中央から車端に向かってそれぞれ固定されていて、向きを変えることはできなかった。3人がけ座席の不回転はあまりにも不人気だったらしく、のちに3人がけ座席も回転できるようになった。これは、3人がけの両端の肘かけを回転させないことで、回転半径を小さくし、背面も直立に近い角度にして、回転が可能となった。 |
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| 通路側の座席下のペダルを踏んで、背面を押すと簡単に座席を回転できた。東京駅や新潟駅などでは折り返しの整備作業で、手早く次々に回転されていく作業員の姿が思い出される。 |
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| 2人がけ座席は開業当初から回転させることができた。こちらは3人がけ座席とは異なり、肘かけも一緒に回転する。 |
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| 普通車に限らず、グリーン車を含め全座席のポケットには、トランヴェールとトレインショップの冊子がはさみこまれていた。 |