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| この日は、能登半島地震が発生し、上越新幹線は越後湯沢─新潟間は12時25分頃まで運転を見合わせた。この写真は10時28分に撮影したもの。 |
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2階の改札内コンコースには「ありがとう最後の新幹線『200系F19編成』」の横断幕が掲示されていた。最後の新幹線≠ニは少し語弊があるが、「200系電車=新幹線」だったわけである。 |
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| 広告板の空きスペースを活用して、別ヴァージョンの横断幕も掲示されていた。 |
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新潟県内のびゅうプラザやインターネットで販売されたイベント券には記念品が付いており、クーポンを提示すると受け取ることができた。 |
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| 能登半島地震の発生により燕三条駅の手前で緊急停車した〔とき318号〕は、10時20分頃に燕三条駅12番線ホームに入線し、そのまま運転の続行が抑止された。燕三条駅には2時間あまりも、200系電車のオリジナル編成とリニューアル編成が並んだまま停車した。 |
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| 営業中の本線とつながった線路上に停車しているためか、両方の先頭車は赤い尾灯をつけたまま展示されていた。 |
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能登半島地震により運転が抑止された〔とき318号〕。こちらは、リニューアルされた10輌編成の200系電車。〔とき318号〕は運転再開の12時25分まで、このホームに停まったままだった。 |
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| この編成を最後に幕式の「方向幕」はJR東日本から全廃された。この日は、内部照明がついていないものの、定期的に順次回転し様々な行先が表示された。1982年(昭和57年)11月15日の上り一番列車だった、懐かしい〔あさひ〕大宮行もこの日限り復活した。 |
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| 下りの本線上に停車したE1系電車「Max」。この列車は、〔Maxとき309号〕として運転されていたものの、能登半島地震の影響で、燕三条駅よりも手前の駅で運転を打ち切ったため、新潟に回送された。11番線ホームに遅れていた〔Maxとき311号〕(E4系電車)が停車し、〔Maxとき311号〕を先行させるためか、珍しく下りの本線上で停車した。 |
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小さな子どもと一緒に記念撮影できるように、パネルも用意されていた。 |
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| グリーン車に乗るには当然グリーン券が必要で、上越新幹線の開業当初は、グリーン料金に通行税(税率:10%)が含まれ、当時の物価水準からも高価なものだった。今では、グリーン料金は値下げされ、やや敷居が低くなった。 |
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9号車の237形電車(普通座席車・ビュフェ合造車)は、この編成にしか現存しない。この編成が廃車されると同時に、窓配置が特徴的な237形電車も全廃される。 |
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| 「方向幕」は東北新幹線と共用されているため、上越新幹線では絶対に見ることができない「やまびこ 八戸」なども表示された。 |
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200系電車が東北新幹線の盛岡─八戸間には営業運転で乗り入れることはなかったが、方向幕では「やまびこ 八戸」が用意されていた。方向幕の詳しくはこちら。 |
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| 燕三条駅1階の自由コンコースでは、車輌展示会にあわせて、イベントも開かれた。「三條慕情」がヒットしている三条市のニシカワバンドの演奏と、よさこいソーランの演舞が披露された。 |
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能登半島地震の影響で、消雪スプリンクラーが破損していないか点検するためか、消雪スプリンクラーが線路上に雪がないにも関わらず、水を噴射した。2006年〜2007年シーズンは大暖冬だったため、消雪スプリンクラーが噴射しているのは貴重なショットとなった。 |
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| 〔Maxとき322号〕が約1時間30分遅れで、燕三条駅に入線してくる。このE1系電車「Max」は、上越新幹線専業の運用となり、とき色のラインをまとうようになって久しい。 |
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| 能登半島地震の影響で遅れていた上越新幹線は、昼過ぎに入ると、燕三条駅に入る上り列車はほぼ平常運転となった。〔Maxとき326号〕が定刻通りに燕三条駅に入線しようとしている。それでも〔Maxとき326号〕は、この日に限りグリーン席以外は全席自由席となり、停車駅も各駅停車に変更された(通常は、上毛高原、本庄早稲田、熊谷を通過)。 |
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リニューアルされた200系電車は、オリジナル編成が引退した後も、継続して運転される。列車は〔とき366号〕。 |
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| 15時に車内開放が終了し、いよいよ新潟へ回送される。 |
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新潟への回送の準備を進める200系電車の12号車は、前灯が点灯したためか、鉄道ファンなどギャラリーが発車を待っていた。 |
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| 15時49分。およそ6時間の展示時間を終え、新潟に回送される200系電車。短くタイフォンを鳴らし、13番線ホームを離れていった200系電車は一度上り線を逆行し、渡り線をまたいで下り線へと進んでいった。 |