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History of "TOKI"
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新生〔とき〕誕生

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新生〔とき〕誕生

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 2002年(平成14年)12月1日(日曜日)、〔とき〕の名が鉄路から消えて、5年2ヶ月、日数にして1,886日ぶりに、〔とき〕は、上越新幹線に不死鳥の如く戻ってきた。

史上初?列車最後部の記念式典

 東京駅で挙行された〔はやて1号〕の開業記念出発式は、異例の列車最後部1号車(23番線ホーム)で行われた。

 そこで開催された理由はただひとつ。先頭部の〔こまち1号〕と連結して運転するため、先頭部で〔はやて〕の記念式典をやっても、隣にみえるのは〔はやて〕ではなく〔こまち〕になってしまうからだった。

 通常、開業を祝う式典には白いヘッドライトを輝かせた先頭車とテープカットにくす玉が恒例となっているが、〔はやて1号〕ばかりは赤いテールライトを輝かせて、式典参列者の背に向かって、東京駅を離れていった。

 東京駅では、東北新幹線八戸行の一番列車〔はやて1号〕の出発を祝う記念式が、鉄道史上稀な列車最後部で挙行された。

 しかし、〔とき〕に関しては、大きな出発式もなかった。鉄道ファンの注目も一部を除けば、〔はやて〕一点に集まったといわざるを得なかった。

 ただし、新潟駅などでは新生〔とき〕のデビューを祝う出発式が挙行された。新潟駅では、〔とき2号〕の出発に合わせて出発式が開かれ、JR東日本新潟支社の青木邦雄支社長が「人間と自然の共生のシンボルである朱鷺を、列車名に使えるのは大きな喜び。大勢のお客さまに〔とき〕で新潟へ来ていただきたい」と挨拶し、恒例となったテープカットとくす玉を割って、新生〔とき〕のデビューを祝った。

ここに〔とき〕あり

 列車を示す方向幕や案内表示だけでなく、駅構内の案内放送、堺正幸フジテレビアナウンサーによる車内の案内放送も全て〔とき〕に変わり、さらに「〔とき〕、ここにあり」を印象づけるものだった。

〔とき〕復活に想う

 〔とき〕の復活は、伝統ある鉄道界の「名跡みょうせき」の復活ととらえることができよう。ここでの「名跡」とは、史的な古跡ではなく、歌舞伎界や落語界のような代々受け継がれていく名のことである。確かに、鉄道界と文化である歌舞伎界や落語界を同一視するのには問題がないわけではない。今日の鉄道は「儲かってナンボ」の世界であることは変わりはない。しかし、これほど鉄道が人々の生活に根づき、なかば「文化」の一端を担っていることには変わりはないのである。そうでなければ、ある路線の廃止などの問題が出た時に、存続の議論に多くの時間が割かれ、もし廃止となれば廃止当日に別れを惜しむ人など集まるはずがない。やはり、広く根づいた「鉄道の文化」もあったうえで、利潤追求の鉄道事業は成り立っているのである(確かに、多くの中小鉄道事業者が赤字を抱えたままであることは事実であるが)。

 そう考えれば、〔とき〕の復活は、単なる新幹線列車の列車名愛称の変更ではなく、「名跡」の復活ととらえることができよう。

 日本の新幹線は、8路線2,176km(山形・秋田新幹線を含む)に達し、列車名愛称は、最も新しいながら伝統ある〔つばめ〕も加わり、16種となった。新幹線の代名詞〔ひかり〕や東海道・山陽新幹線の顔となった〔のぞみ〕、東北新幹線の〔はやて〕とともに、〔とき〕も日本を代表する列車のひとつに数えられるようになったといっても過言ではあるまい。

上越 とき Maxとき
たにがわ Maxたにがわ
東北 はやて
やまびこ Maxやまびこ
なすの Maxなすの
長野 あさま
山形 つばさ
秋田 こまち
東海道
山陽
のぞみ
ひかり
ひかりレールスター
こだま
九州 つばめ
〈2004年(平成16年)3月13日〜の新幹線ネットワーク〉

多くの人に支えられ、愛されて

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 上越新幹線に不死鳥フェニックスの如く舞い戻ってきた〔とき〕。

 これからも、〔とき〕は、さまざまな出会いを、惜別の別れを、「あの人に逢いたい」とはやる気持ちを、そして、大きな大きな楽しい想い出を乗せ、多くの人に支えられ、愛されて、東京と新潟の間の「時」を結び、駆けてぬけていってくれるだろう。

これ以降の〔とき〕の歴史は、[上越新幹線]

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