| History of "TOKI" |
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世紀を超えて〔とき〕復活
>>>[とき復活] >>>[上越新幹線]
突然の報道
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| 〔あさひ〕が〔とき〕に変更されるニュースを伝える「asahi.com」=朝日新聞社=(上)と「TeNY NEWS」=テレビ新潟放送網=(下)のスクリーンショット。 |
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2002年(平成14年)7月31日、報道機関の公式サイトに「上越新幹線「あさひ」を「とき」に」とタイトルされた記事が配信された。
通例であれば、同時にJR東日本の公式サイトにもニュースリリースが掲載されるはずなのだが、この時のニュースだけは掲載されなかった。
既に、12月に予定されていた東北新幹線・八戸開業による東京─八戸間の列車名愛称は、公募により〔はやて〕と決定したことで、この八戸開業時のダイヤ改正での〔とき〕復活は絶望的なものでもあった。新幹線駅のホームには「東北・上越新幹線開業20周年、山形新幹線開業10周年、秋田・長野新幹線開業5周年」の垂れ幕が掲げられ、「12月1日 東北新幹線八戸開業 『はやて』デビュー」をアピールするポスターが張られ始めていた時に流れたニュースだった。
報道を振り返れば、〔とき〕への名称変更の最大の理由は、「上越新幹線〔あさひ〕は、長野新幹線〔あさま〕と1文字違いで、誤乗が後を絶たないから」だった。また、なにより〔とき〕への変更をバックアップしたのが新潟県民だった。新潟県鉄道整備促進協議会(会長は平山征夫新潟県知事=当時=)が、「上越新幹線利用促進検討部会」を設置して、JR東日本へ〔とき〕への変更を要望し、新潟県が2001年(平成13年)末に行った県民アンケートによれば、回答者である新潟県民の64.6%が「〔とき〕へ変更したほうがよい」と回答していた。
上越新幹線から〔とき〕が姿を消して約1年半後の1999年(平成11年)5月21日に生まれた朱鷺「優優」を皮切りに、佐渡トキ保護センターで朱鷺が相次いで誕生したことがよい影響を与えたようだ。
つまり、上越新幹線〔とき〕の復活も、新潟県民が待ち望んでいたといっても過言ではない。
なお、JR東日本から正式に〔とき〕の復活がニュースリリースとして発表されたのは、この報道から1ヶ月半経った9月20日だった。
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この日、7月31日はYahoo!トピックスからの直接リンクが張られるなど、当サイトへのアクセスが殺到した。アクセス殺到でアクセスカウンターがカウント不能に陥るほどだった。なかには、「おめでとう」メールをお寄せいただいたり、「こんな活動をまだ知らなかった」と署名に加わっていただいたり、うれしい反応ばかりだった。しかしながら、なかば脅迫にも近い抗議のメールが届いたのも事実だった。当サイトにおける署名活動は21時30分をもってその役目を終えた。
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20周年を祝う
>>>[上越新幹線]-[新幹線20年]
〔とき〕復活報道の熱りがようやく冷めた2002年(平成14年)11月15日、上越新幹線は20周年の記念すべき節目を迎えた。人間でいえば一人前の「成人」になった。
新潟県やJR東日本新潟支社、新幹線駅が所在する市町、関係団体で設立された「上越新幹線開業20周年記念事業実行委員会」が中心となって記念事業が展開された。
- 開業記念冊子「未来に向け羽ばたく とき トキ 朱鷺」の配布
- 上越新幹線・新潟県のあゆみパネル展
- 新潟、燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢の各駅で展示(2002年10月1日〜2003年1月15日)
- 上越新幹線開業20周年記念クイズ
- 新潟、燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢の各駅で開催(2002年10月1日〜2003年1月15日)
- 越後湯沢駅イベント
- 歌手・美川憲一さんを一日駅長に迎え(2002年10月5日)
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- はばたきの「とき」展
- 東京駅丸の内南口で開催、新潟県観光インフォメーションブースも(2002年10月7日〜11日)
- 「鉄道の日」記念イベント
- 新潟駅万代口・南口・東側自由通路で開催(2002年10月14日)
- 新幹線ご利用感謝祭
- 新潟新幹線第一運転所を一般公開(2002年11月16日)
- 新幹線〔復活とき号〕運転
- 200系電車を用いて大宮─新潟間を1往復運転。上野─大宮間では〔ときリレー号〕も運転(2002年11月16日・17日)
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ありがとう、〔あさひ〕
>>>[とき復活]
2002年(平成14年)11月30日、上越新幹線開業から20年、7,320日。東京駅や大宮駅は、翌日に控えた東北新幹線・八戸開業〔はやて〕デビューの祝賀ムードに飾られ、「さよなら〔あさひ〕」の惜別ムードは、残念ながら微塵も感じられなかった。新潟県内の各駅でも同様で、どちらかといえば新生〔とき〕のデビューを待つムードが強かった。
米坂線の急行から召し上げられ、20年間もの間、ただひたすら東京と新潟を結び続けてきた〔あさひ〕は、見送る鉄道ファンの姿も、さよなら出発式もなく、この日限りでその任を終えた。
2002年(平成14年)11月30日23時40分、上り〔Maxあさひ338号〕が東京駅に、続いて23時52分に下り〔あさひ339号〕が新潟駅にそれぞれ到着し、約20年間にわたる上越新幹線〔あさひ〕の歴史にピリオドが打たれた。
静かに〔とき〕を待つ
>>>[とき復活]
全ての新幹線の運行が終わり日付が替わってまもない2002年(平成14年)12月1日、既に、時刻表などもダイヤ改正前に書き換えられ、以前のような深夜作業は見られなかった。200系電車など車輌側の準備もダイヤ改正前から順に施されており、大きな移行作業もなかった。ただ、静かに夜が白むのを待つばかりだった。
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1999年から旧称「上越新幹線〔あさひ〕を〔とき〕にしよう委員会」を立ち上げ、「ときキャンペーン」と銘打って、インターネット上で〔とき〕への名称変更を訴え、署名活動をしてきた。2002年の東北新幹線八戸開業の時に名称変更のチャンスと思っていたが、如何せん署名数は目標の2,000名を大きく下回る60名台。JR東日本、鉄道界にインパクトをもって訴える数ではなかった。
八戸開業のチャンスを諦め、次のチャンスは15年後と言われる「長野新幹線の延伸開業」の時か、と思っていた矢先の出来事だった。2002年4月から新潟県を中心に〔とき〕への名称変更をJR東日本に要望していたのも事実で、少し行政力≠フ大きさに負けてしまったかなと思ってしまうが、結果として、宿願であった〔とき〕が復活することが、そのモヤモヤとする思いも脳裏の彼方へと追いやってくれた。
2002年12月1日、上越新幹線のどこかの駅で、静かにこう声をかけてやりたいと思う、「〔とき〕よ、よくぞ戻ってきてくれた・・・・・・ありがとう」と。
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