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History of "TOKI"
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さらば、〔とき〕

>>>[上越新幹線]

衝撃の発表

 1997年(平成9年)7月、JR東日本は、北陸新幹線・高崎─長野間開業に伴う10月1日のダイヤ改正の概要を報道発表した。「整備新幹線」としては初めて開業する北陸新幹線は、長野冬季オリンピック開催にあわせて高崎─長野間が開業するもので、JR東日本の新幹線ネットワークとしては、3月22日の秋田新幹線開業に続く大規模なダイヤ改正となる。

長野行$V幹線

 一般的に「新幹線」の名称に行≠ヘ付かない。しかし、北陸新幹線・高崎─長野間の開業時だけは別だった。

 北陸新幹線はあくまでも「部分開業」であり、本来は富山、金沢、福井を経て、大阪までが計画ルートで、「長野新幹線」とすると、長野までしか新幹線は延びず、永久に新幹線はこないのではないかという危惧が、北陸3県を中心にあった。そのため、無用な摩擦を避けたいとJR東日本が考えたのか定かではないが、「長野新幹線」と呼称されることになった。

 山形新幹線、秋田新幹線が行≠付さなかったのに、長野新幹線は付されたのには、こんな特別な背景があった。やはり、「新幹線」はJRの考えよりも、政治レベルの問題であることがこんなところからも伺える。

 「長野新幹線」は、行≠小さく表記していたが、長野以遠が着工されると、北陸側の危惧は薄れたのか、山形・秋田新幹線と統一するように、「長野新幹線」と呼称されるようになった。しかし、呼称変更は大々的に発表されるでもなく、“いつの間にか”変更されていた。

 北陸新幹線・高崎─長野間は、正式には「北陸新幹線」であるが開業区間が長野までであり、東京から北陸方面へは、上越新幹線・越後湯沢接続がメインルートであることから、混乱を避ける意味からも「長野新幹線」と営業上は呼称されることなった。長野新幹線の列車愛称名称は、在来線特急から継承するかたちで〔あさま〕とされた。

 一方、上越・東北新幹線でも大きな改正点が挙げられる。何より大きいのは、列車愛称名称の整理・変更である。東海道・山陽新幹線に倣い、速達タイプと各駅停車タイプに分けていたものを、行先別に列車愛称名称を付すこととなった。これにより、上越新幹線の〔とき〕と東北新幹線の〔あおば〕は廃止されることが発表された。

 1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業以来、新幹線の列車愛称名称が廃止されるのはこれが初めてであり、JR東日本は、このダイヤ改正で新幹線ネットワークに大改編を断行したともいえ、新聞でも長野新幹線開業関連のニュースとともに取り上げられた。

改正前 改正後
上越 速達 あさひ 上越 東京─新潟間、越後湯沢─新潟間 あさひ
各停 とき 東京─高崎・越後湯沢間 たにがわ
東北 速達 やまびこ 東北 東京─仙台・盛岡間、仙台─盛岡間 やまびこ
各停 あおば
近距離 なすの 東京─那須塩原・郡山間 なすの
 それぞれ「Max」で運転される列車は、〔Max〕が冠される。

 JR東日本がこのような列車愛称名称の整理・変更に踏み込んだ理由を探ってみると、東海道・山陽新幹線とは異なる上越・東北新幹線特有の事情が考えられる。それは、大都市間の輸送を担い、速達性を重視する東海道・山陽新幹線と違い、上越・東北新幹線はいわゆる「東京志向」が強く、新幹線の速さ(停車駅・通過駅の数)で、列車愛称名称を区別する意味合いが薄れていることが挙げられる。さらに、東京─大宮間では5新幹線15列車愛称名称が集結し、多様というより「複雑」な列車愛称名称を整理し、列車愛称名称で行先をイメージしやすくし、〔なすの〕・〔たにがわ〕の近距離新幹線≠明確にアピールする必要もあることが挙げられる。

 在来線特急時代から35年間、「上越」の代名詞でもあった〔とき〕は、長野新幹線の開業ととも姿を消すこととなった。

静かに翼を休めるとき

 1962年(昭和37年)6月10日から35年間、東京と新潟を結び、新潟県民にとって東京への出張・行楽に利用し、上京した新潟県人にとっては、「上京列車」でもあり、ふるさとへの「帰省列車」でもあった〔とき〕。〔とき〕の車内は“新潟弁”が似合っていた。そんな〔とき〕も廃止のときを迎えた。

 1997年(平成9年)9月30日――。〔とき〕は本当に最期の日を迎えた。翌10月1日に長野新幹線(北陸新幹線)の開業を控え、碓氷峠をはさむ信越本線・横川─軽井沢間(JR線で最も急な勾配区間)の廃止が注目を浴び、上越新幹線〔とき〕は、在来線特急〔とき〕の廃止の時のような“さよなら出発式”もなく、ひっそりと廃止されていった。在来線特急時代から数えて35年、1万2,896日。この日を以って、〔とき〕は静かに終焉の時を迎え、その翼を休めた……。

長野新幹線開業

 長野新幹線用に開発されたE2系電車(N編成)。

 1997年(平成9年)10月1日6時2分。長野新幹線上りの一番列車〔あさま500号〕が長野駅を発った。最速列車は東京−長野間をノンストップ、79分で結んだ。

 東京─高崎間で長野新幹線と共用する上越新幹線は、〔とき〕の廃止と引き換えに〔たにがわ〕を迎え、越後湯沢より先の浦佐、長岡、燕三条、新潟の各駅では、上越新幹線の列車愛称名称は〔あさひ〕〔Maxあさひ〕に統一された。

 上野─水上間(高崎線・上越線)で運転されていたL特急〔新特急谷川〕は、上越新幹線〔たにがわ〕の登場により〔新特急水上〕に改称された。

 このダイヤ改正で上越新幹線は、速達列車が増発された。従来は、東京─越後湯沢間がノンストップで運転され、特急〔はくたか〕に接続する「スーパーあさひ」しかなかったが、この他に途中大宮のみに停車するタイプも登場し、「スーパーあさひ」タイプの〔あさひ〕は合計4往復となった。1988年(昭和63年)3月のダイヤ改正からほくほく線開業・特急〔はくたか〕の登場まで、対北陸連絡の拠点となり、全列車が停車した長岡を通過する列車が設定され、さらに、各駅停車は〔あさひ400号〕のように400番台の列車番号が〔とき〕から継承され、各駅停車の〔あさひ〕(400番台)、速達の〔あさひ〕(300番台)と、ダイヤ構成は多様そのものとなった。

 また、東京駅の上越・東北新幹線ホームが2面4線に増えたため、定期列車全てが東京発着となった。

在来線特急〔とき〕1日だけの復活

>>>[とき復刻]

 「とき」の名が、鉄路から、時刻表から姿を消して1ヵ月半――。1日だけ「とき」が復活した。

 それは、JR東日本新潟支社が上越新幹線の開業15周年とJR東日本設立10周年を記念した臨時特急〔懐かしのとき号〕だった。上越新幹線開業日の11月15日に運転され、新潟発上野行の上りのみが運転された。グリーン車1両を含む9両編成の全車指定席の指定席券は発売日当日に全て売り切れたと伝えられた。在来線時代の末期に運転された電車の183系1000番台電車を千葉から借り受け、当時のヘッドマークも復活した。先頭車の先端にあったJNRマークは復活されなかったものの、車両側面のJRマークと「とき」のヘッドマークは史上初の競演で、ドア脇の行先表示は「特急 懐かしのとき号 上野」と細部にまで凝ったものだった。さらに車掌さんたちも国鉄時代の制服姿だった。

 15年ぶりに晩秋の上越路を駆け抜けた〔懐かしのとき号〕の「雄姿」に、小さいころに乗った思い出や上越線沿線での撮影など、みんな懐かしさで心がいっぱいの様子だった。私自身も幸運にもこの列車に乗ることができたが、上越新幹線では味わえない沿線の車窓、決してよいとは言えないちょっと固めの座席、何もかもが逆に新鮮に感じた。在来線時代の最速よりも遅い5時間半近くの旅は、“速さ・快適さ”ばかりを求めつづけてきた私たちに何かを投げかけてくれた気がした……。

 さらに、この年の12月には、165系電車を使った急行〔懐かしの佐渡号〕も運転された。これらの臨時列車は、後の「リバイバルブーム」の先駆けとなる列車と位置付けられよう。 

リバイバルブーム

>>>[とき復刻]

 昭和∞20世紀≠ヨの回帰願望か、殺伐とした現代からの逃避か、「高度経済成長期〜昭和60年代」が流行った。鉄道でもリバイバルブームが起った。ちょうど国鉄後期に活躍した車輌が廃車時期を迎えたことも重なっていた。特に、新幹線開業によって在来線から姿を消した「国鉄特急」には大きな注目が集まった。

 2001年(平成13年)10月13日と14日、上越線の全通70周年を記念した〔とき号〕が運転された。前回1997年(平成9年)は「懐かしの」が冠名が付されたが、今回のリバイバル運転では、冠名はなく純粋な〔とき号〕が復活した。13日に運転された「特急〔とき号〕 新潟行」は、前回が新潟発上野行のみの運転だったため、実に19年ぶりとなった。特筆すべきなのは、わざわざ先頭車輌に貼付されていたJRマークを外し、運転台下にJNRマークを復活させ、方向幕も当時のものを複製復活するほどの意気込みで、より「国鉄時代の特急〔とき〕」を忠実に再現された列車となった。多くの鉄道ファンや沿線住民が特急〔とき〕の雄姿を、カメラに収めていた。

 2002年(平成14年)11月16日・17日には、上越新幹線開業20周年を記念し、上越新幹線で初めてのリバイバル列車となる〔復活とき号〕が、開業当初の始発駅である大宮と新潟の間で運転された。これも、淘汰が進むとともに、リニューアルされていく200系電車で、国鉄時代のままの車輌を使用して運転され、既に営業が廃止されていたビュフェも特別に営業が復活した。さらに、約1ヶ月後の12月14日・15日には、上越線に再び特急〔懐かしのとき号〕が運転された。ただ、このリバイバル運転は、前回2001年(平成13年)時とは異なり、JRマークが貼付されたままの車輌で、前年のような忠実な復活を望んでいた鉄道ファンの間では、一部落胆の声も聞かれたのも事実だった。

 しかし、日本の鉄路から〔とき〕が姿を消して、4回(うち1回は上越新幹線)もリバイバル運転された列車は、この〔とき〕以外にないだろう。それだけ現役当時からの人気をなにより示す証拠ともいえる。

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