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History of "TOKI"
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〔あさひ〕の陰で……

>>>[上越新幹線]

国鉄115年の歴史に幕

 国鉄が唯一「編集」した時刻表(1987年4月号)。金色のJRロゴがどこか誇らしげにみえる。

 日本国有鉄道(国鉄)の累積赤字は、まさに雪だるま式に膨らみ続けた。長期債務(借金)は28兆円をのぼり、国鉄の再建が求められた。1980年代に入り、公共企業体(公社)としての国鉄の民営化が国鉄再建議論の中心となった。1985年(昭和60年)4月に日本電信電話公社(電電公社)、日本専売公社がそれぞれ民営化され、国鉄は1987年(昭和62年)4月に地域分割のうえ、民営化されることとなった。

 1987年(昭和62年)3月31日。国鉄最後の日となったこの日は、謝恩フリーきっぷ(おとな6,000円で全国の新幹線・特急・急行列車の自由席に1日乗車できる)で最後の「国鉄の旅」を楽しもうと、新幹線・特急は、時ならぬ大混雑を呈した。上越新幹線でも自由席の乗車率が200%を超す列車が続出した。4月1日午前0時。公共企業体「日本国有鉄道」は、JRグループに分割・民営化され、1872年の鉄道開業以来の「国有鉄道」は115年の歴史に幕を閉じた。上越新幹線は、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)がその事業を承継した。

 国鉄の分割・民営化により発足したJR7社は、純粋な民間企業ではなく、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律によって設立された「特殊会社」で、株式を国鉄清算事業団が保有していた。また、上越新幹線は、正確には新幹線鉄道保有機構法に基づき、新幹線鉄道保有機構から新幹線の施設を有償で借り受けて事業を営業していた。なお、JR東日本の株式を売却・上場するため、1991年(平成3年)10月にJR東日本に有償譲渡された。

 上越新幹線の〔とき〕には、〔あさひ〕とともに200系電車のグリーンラインに「JR」ロゴが一斉に取り付けられた。また、1日には上越・東北新幹線の始発駅である上野駅の新幹線ホームでJR東日本の発足を記念する出発式も行われた。

〔とき〕減車へ

 東北新幹線用の200系1000番台電車。上越新幹線に運転されることは多くなかった。

 上越・東北新幹線が上野開業した頃から、東北新幹線〔やまびこ〕の混雑が目立ちはじめ、さらに、上越新幹線でも利用客の〔あさひ〕嗜好傾向が現れてきていた。JR東日本にとって発足当初の車輌増備は避けたく、そこで白羽の矢が立ったのが〔とき〕だった。〔とき〕は〔あさひ〕と共通に200系電車12輌編成で運転されていたが、1987年(昭和62年)4月、〔とき〕に10輌編成に減車された編成が用いられた。

 さらに、10輌編成に減車された〔とき〕は、秋には8輌編成に減車された。ただし、朝夕の混雑する時間帯に運転される〔とき〕は、〔あさひ〕と同様に12輌編成で運転される列車もあった。この編成減車によって生じた余剰車輌は16輌編成の〔やまびこ〕に拠出され、東海道・山陽新幹線の100系電車に似たロングノーズの200系1000番台電車を組み込んだ編成が登場した。

 1982年(昭和57年)の開業以来、〔あさひ〕の名脇役≠ノ徹していた〔とき〕は、メインステージから下ろされたかの如く短くなった8輌編成で、日々上越路を駆け抜けていった。

レールで結ぶ一本列島

花火見物の駅間停車

 8月2日・3日に新潟県長岡市で開催される長岡まつりの花火大会は三尺玉が打ち上げられることで有名である。そこで、新幹線の車窓から三尺玉の花火を楽しんでもらおうと、1987年(昭和62年)から下りの臨時列車を長岡駅の手前(東京寄り)約2kmの地点に10分間臨時停車させた。しかし、三尺玉の大きな花火を“目”では堪能できても、200系電車をはじめ新幹線車輌は窓が全く開かず、せっかく迫力の三尺玉の爆音が“耳”では満喫できなかった。事故などの非常時以外では初めての駅間停車によるサービスだったが、1989年(平成元年)を以ってこのサービスは取り止めになった。

 1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネル・津軽海峡線開業、青函連絡船廃止に伴うダイヤ改正が実施された。このダイヤ改正は、4月に控えた瀬戸大橋の開通・瀬戸大橋線の開業とあわせて「レールで結ぶ一本列島」ダイヤ改正となった。全国的には、津軽海峡線の開業で上野─札幌間に豪華寝台特急〔北斗星〕の登場や旅情たっぷりだった青函連絡船の廃止に注目が集まった。

 上越新幹線では、上野開業時に開始した東北新幹線に続き、最高240km/h運転が開始された。なにより今回のダイヤ改正の目玉は、長岡のみに停車する「スーパーあさひ」、〔あさひ1号〕〜〔あさひ4号〕の運転開始だった。この改正で新設された特急〔かがやき〕とタッグを組んで、JR東海の東海道新幹線の米原回りに対抗する、新たな東京─北陸間の鉄道ルートを開拓した。一方の〔とき〕は上野─越後湯沢間などの区間運転列車が増発され、47本に運転本数は増えた。とくに、〔とき481号〕は新潟県内のみに運転される列車だった。すなわち、平日早朝に越後湯沢発新潟行の「新幹線通勤」用の列車で、この頃から東京だけでなく、新潟にも「新幹線通勤」が普及していたことをうかがわせる。

 1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、“激動の昭和”が終わりを告げた。皇太子明仁親王が直ちに皇位を継承、天皇に即位し「平成」が始まった。

国内最速275km/h運転へ

高速運転の実験線=H

 上越新幹線はその線形から高速運転の実験線のように使われた。つまり、大清水トンネルからの下り坂を一気に駆け下って何キロ出せたかが、高速運転の試験の成果でもあった。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけて、山形新幹線用の400系電車、952形・953形試作電車「STAR 21」を使って高速運転の試験を実施し、最終的には「STAR 21」が1993年(平成5年)12月21日に、燕三条─新潟間で425km/hを記録した。

 〔とき〕には直接関係なかったが、1990年(平成2年)3月10日のダイヤ改正から、「スーパーあさひ」の下り〔あさひ1号〕・〔あさひ3号〕が上毛高原─浦佐間に限って最高275km/h運転を開始した。これは、トンネル区間が多く、騒音問題が生じにくいため、大清水トンネルからの下り坂を一気に駆け下ることで実現した「上越新幹線ならでは」のことだった。しかし、専用の新型車輌を導入したわけでもなく(200系電車の専用編成を使用した)、地味な「国内最速」のタイトルホルダーで、のちにJR西日本の500系電車〔のぞみ〕が300km/h運転を開始し、「国内最速」のタイトルを明け渡している。

「新幹線直結」GALAガーラ湯沢スキー場オープン

 1990年(平成2年)12月20日、JR東日本が開発した「GALA湯沢スキー場」のオープンと同時に、上越新幹線の支線として越後湯沢─ガーラ湯沢間が開業した。

 この区間は正確には上越新幹線の支線ではなく「上越線」であり、本格的な「ミニ新幹線」である山形新幹線よりも早く、「新在直通特急」がわずか1.6kmだが開業したのだった。この区間のみに乗車する場合は特定の特急料金(100円)が適用された。このガーラ湯沢駅は、12月から5月のゴールデンウィーク前後までのみの営業で、GALA湯沢スキー場のスキーセンター「カワバンカ」に併設された。上野−ガーラ湯沢間には、上野─越後湯沢間の〔とき〕が延長運転されたほか、途中大宮にのみ停車する臨時の〔あさひ〕、各駅停車の〔とき〕がそれぞれ運転され、越後湯沢−ガーラ湯沢間には〔シャトル・ガーラ〕が運転された。〔シャトル・ガーラ〕については後に〔あさひ〕・〔とき〕・〔たにがわ〕に統合される形で廃止された。

JR東日本初の大型リゾートプロジェクト「GALA湯沢スキー場」
 上越新幹線は、豪雪に備えるべく、越後湯沢に大規模な保線基地があった。ここで働く保線区職員が「GALA湯沢スキー場」を生み出した。1986年(昭和61年)度の国鉄新潟鉄道管理局(当時)の職員提案制度で、この保線基地を利用したスキーリゾートプランが発表された。国鉄が分割・民営化され、鉄道事業以外にも経営進出を狙うJR東日本にとって最初の大型リゾートプロジェクトに選ばれた。これによって誕生したのが「GALA湯沢スキー場」。駅とスキーセンター「カワバンガ」を併設させ、「新幹線を降りたら、そこはスキー場」を実現させ、「新幹線直結」で予想以上の人気を博した。JR東日本も1991年(平成3年)からZOO、globeなど人気アーティストの楽曲とタイアップした「JR Ski Ski」、「JR*snow」キャンペーンを展開している。GALA湯沢スキー場はシーズンによっては、ゴールデンウィークまでスノーリゾートを楽しむことができる。
シーズン コピー・CM CM
1991/92年 雪男 雪女 ZOO/ZOO「Chu Chu Train」
1992/93年 僕たちはさむくない ZOO/ZOO「YA-YA-YA」
1993/94年 冬眠しない動物たちへ ZOO/ZOO「Ding Dong Express」
1994/95年 いい冬にしよう ZOO/ZOO「Angelic Dream」
1995/96年 ラクに行こう 江角マキコ、竹野内豊/globe「DEPARTURES」
1996/97年 ラクに行こう 青山恭子、田辺誠二/globe「Can't stop fallin' in love」
1997/98年 じぶんの雪を見つけよう 浜田雅功/浜田雅功「春はまだか」
1998/99年 愛に雪、恋を白。 吉川ひなの/GLAY「Winter, again」
1999/00年 やっぱ新幹線でしょ! SNOW TRAiNG  オリジナル曲
2000/01年 やっぱ新幹線でしょ! SNOW TRAiNG (CMなし)
2001/02年 やっぱ新幹線でしょ! JR SNOW
2002/03年 やっぱ新幹線でしょ! JR SNOW
2003/04年 WE WANT SNOW! JR-SKI (ダチョウ)/オリジナル曲
2004/05年 WE WANT SNOW! (ダチョウ)/オリジナル曲 *JAL・ANAとの共同プロジェクトCM
2005/06年 WE WANT SNOW! (CMなし)
2006/07年 なんでもありでsnow♥ 木村カエラ、スノーウィー
 国鉄時代の「いい日旅立ち」などのキャンペーンCMからの伝統からか、JR各社のCMは秀逸で話題性に富んでいる。JR東日本だけではなく、JR東海の「シンデレラエクスプレス」や「京都」キャンペーンやJR西日本の「いい日旅立ち・西へ」、「三都物語」なども、そうである。
 バブル経済期のリゾートブームで、越後湯沢周辺はリゾートマンションが林立し、「東京都湯沢町」とまで言われるようになった。一時期のスノーリゾート熱は冷めましたが、まだまだ新幹線で首都圏から1時間前後の「スノーリゾート・越後湯沢」は人気がある。

 1991年(平成3年)3月16日に全国規模のJRグループダイヤ改正が実施されたが、3ヶ月後に東京乗り入れを控えている上越新幹線では大きな動きは見られなかったものの、東京乗り入れに対応したダイヤ修正が実施された。

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