| History of "TOKI" |
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さようなら、特急〔とき〕
最後の力走
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| 津久田─岩本間の第三利根川橋を渡るL特急〔とき〕(1981年1月)。 |
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| 谷川連峰をバックに上州路を駆けるL特急〔とき〕。 |
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| 上越新幹線開業まで2ヶ月となった1982年(昭和57年)9月、新潟駅で発車を待つL特急〔とき14号〕。写真のクハ181-109は1969年(昭和44年)に製造された車輌で、181系電車では最も後期に製造された車輌。 |
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| 1982年(昭和57年)10月のL特急〔とき〕。最後尾車輌はクハ181-45で、経年による痛みが随所にみられた。このクハ181-45が動態保存されている。>>>[クハ181-45] |
| (上5点の画像提供:高柳功氏) |
上越新幹線の建設工事は、東北新幹線に比べ、中山トンネルの大出水事故などで遅れることが明確となった。国鉄はお盆を中心とした夏期繁忙期の輸送力を確保するため、東北新幹線を先行して開業させることとした。その一方で、上越・東北新幹線の開業時期にメドがたったため、上越・東北新幹線の列車愛称名称が一般公募された。上越新幹線には約56,000の応募があり、1位は「とき」、2位「雪国」、3位「いなづま」、4位「こしじ」、5位「えちご」であった。>>>[アーカイヴズ]-[列車愛称公募の結果] 1981年(昭和56年)10月29日、上越・東北新幹線の列車名選考委員会で上越新幹線の「ひかり:速達」タイプには「あさひ」、「こだま:各駅停車」タイプには「とき」と決定された。ちなみに、「あさひ」は公募で18位(652通)だった。これにより、〔とき〕は在来線特急から新幹線の愛称へと生まれ変わることが決まった。
ラストラン 特急〔とき〕
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1982年(昭和57年)11月14日――。
総工費1兆6,860億円を注ぎ込んだ上越新幹線の開業を翌日に控えたこの日、在来線L特急〔とき〕は最後の日を迎えた。1962年(昭和37年)6月10日の特急〔とき〕デビューから7,462日。サンパチ豪雪、新潟地震、雪害車輌故障を乗り越え、それでも新潟の雪と闘い続けてきた在来線L特急〔とき〕は、その翼を上越新幹線に託すことになった。
上野16時49分発のL特急〔とき23号〕が181系電車の最終列車となった。先代の161系電車から数えれば20年、「上越特急」の先輩格・181系電車は、L特急〔とき〕の最終列車を待たず、新潟駅に21時に到着し、その幕を閉じた。
一方、上り下りの最終列車は、上野19時19分発のL特急〔とき27号〕、新潟18時48分発のL特急〔とき28号〕がそれぞれの任を担った(1982年7月23日〜11月14日のL特急〔とき〕時刻表=PDFファイル=)。L特急〔とき27号〕には「さようなら 57.11.14」、L特急〔とき28号〕には「ごくろうさまでした。特急とき号さようなら」と、惜別と感謝のメッセージが飾りとともに前面に施され、お別れ出発式が挙行された。なお、下り最終のL特急〔とき27号〕は清水トンネルの架線故障で45分の遅れで運転され、新潟に到着したのは上越新幹線開業当日の11月15日午前0時15分だった。これを以って、特急〔とき〕20年の歴史に幕が下ろされた。この間、約7,000万人の利用客を輸送し、のべ約3,900万km、地球と月の間を51往復、地球を約990周した。
L特急〔とき27号〕が到着した頃には、既に新潟駅の上越新幹線14番線ホームには、明日の栄えある一番列車となる200系電車が、車内の電灯を消しパンタグラフを下ろし、一番列車〔あさひ190号〕に備えていた。
L特急〔とき〕が全廃されて一週間……。11月21日、181系電車による特別列車〔さよならとき号〕が上野─新潟間で運転された。本当のラストランに181系電車はどこか寂しげにもみえた。
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