トップアーカイヴズ〔とき〕年表
Chronology of "TOKI"
1883(明16)/ 7/28 日本初の私設鉄道となる日本鐵道(高崎線)の上野─熊谷間(61.2km)が開業、上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷の6駅が開設。この時点では仮開業扱い。上野─熊谷間は1日2往復運転され、所要2時間24分
1883(明16)/10/21 熊谷─本庄間(日本鐵道)が開業
1883(明16)/12/27 本庄─新町間(日本鐵道)が開業
1884(明17)/ 6/ 1 新町─高崎間(日本鐵道)が開業。これにより、高崎線の前身となる上野─高崎間が全通。上野─高崎間は所要4時間
1884(明17)/ 6/25 明治天皇臨席の下、日本鐵道の開業式を挙行し、上野─高崎間で御召列車(天皇専用の特別列車)が運転される
1884(明17)/ 8/20 高崎─前橋(旧駅)間が開業
1885(明18)/ 3/16 東北線との分岐点(大宮分岐と熊谷分岐の2案が対立し大宮案が採用された)となる大宮駅が開設
1885(明18)/ 7/16 日本鐵道の大宮─栗橋間、中田(仮)─宇都宮間が開業。中田(仮)駅は利根川河畔にあり、利根川の橋梁が完成するまで連絡船で結んだ
1885(明18)/10/15 高崎─横川間(官設)が開業
1886(明19)/ 6/17 日本鐵道の栗橋─中田(仮)間が開業
1886(明19)/ 8/15 新潟県内初の鉄道となる(官設)直江津線(信越線)の直江津─関山間が開業。国防上の理由から中山道なかせんどうに鉄道幹線を建設する計画から、この路線は直江津からの資材運搬線という性格が濃かった(のちに東海道幹線に計画変更される)
1886(明19)/10/ 1 日本鐵道の宇都宮─那須(西那須野)間が開業
1886(明19)/12/ 1 日本鐵道の那須─黒磯間が開業
1887(明20)/ 7/16 日本鐵道の黒磯─郡山間が開業
1888(明21)/ 5/ 1 直江津線の関山─長野間が開業。直江津─長野間は所要3時間30分
1888(明21)/ 8/15 直江津線の長野─上田間が開業
1888(明21)/12/ 1 直江津線・上田─輕井澤間が開業
1893(明26)/ 4/ 1 碓氷うすい線の輕井澤─横川間がアプト式鉄道(機関車の歯車と第三のレールであるラックレールを噛ませて峠を上り下りする方式)で開業し、高崎─直江津間が全通
1895(明28)/12/30 直江津線(高崎─直江津間)を「信越線」と改称
1897(明30)/ 5/13 新潟県内初の私設鉄道である北越鐵道が春日新田(廃駅)─鉢崎(米山)間を開業
1897(明30)/ 8/ 1 鉢崎─柏崎間(北越鐵道)が開業
1897(明30)/11/20 北越鉄道の一ノ木戸(東三条)─沼埀(廃駅)間、柏崎─北條間がそれぞれ開業
1898(明31)/ 6/16 北越鉄道・長岡─一ノ木戸間(北越鐵道)が延伸開業
1898(明31)/ 7/26 岩越がんえつ鐵道(磐越西線)の郡山─中山宿(仮)間が開業
1898(明31)/12/27 北條─長岡間(北越鐵道)が開業し、春日新田─沼埀間が全通
1899(明32)/ 3/10 岩越鐵道・中山宿(仮)─山潟(上戸)間が開業
1899(明32)/ 5/20 北越鐵道が春日新田と信越線直江津の間に仮線を設け、貨物の直通輸送を開始
1899(明32)/ 7/15 岩越鐵道・山潟─若松(会津若松)間が開業
1899(明32)/ 9/ 5 北越鉄道が信越線直江津まで開業
1904(明37)/ 1/20 岩越鐵道の若松─喜多方間が延伸開業
1904(明37)/ 5/ 3 北越鐵道の沼埀─新潟間が開業し、旧新潟市域まで鉄道が開業した。新潟駅は現在の駅位置とは異なる
1905(明38)/ 8/ 1 北越鐵道、官設鉄道、日本鐵道の三者が、上野─高崎─直江津─新潟間に直通列車の運転を開始。この時の所要時間は約16時間
1906(明39)/11/ 1 日本鐵道の上野─前橋間、上野─青森間、岩越鐵道(郡山─喜多方間)がそれぞれ国有化される
1907(明40)/ 8/ 1 北越鐵道が国有化される。直江津─新潟間も「信越線」と呼称
1909(明42)/10/12 日本鐵道の上野─青森間を「東北線」、大宮─高崎間を「高崎線」、郡山─喜多方間を「岩越線」と呼称
1909(明42)/10/12 上野─田端間が電化
1910(明43)/10/25 信越線の支線として新津─馬下間が開業
1910(明43)/12/15 岩越線・喜多方─山都間が延伸開業
1913(大 2)/ 8/ 1 岩越線・山都─野澤間が開業
1914(大 3)/ 6/ 1 岩越線・馬下─津川間が延伸開業
1914(大 3)/11/ 1 岩越線が野澤─津川間の開業により、全線開通。上野─新潟間に郡山を経由する直通列車運転開始。この列車の所要時間は約12時間30分で、直江津経由よりも短縮
1917(大 6)/10/10 岩越線を磐越西線に改称
1918(大 7)/12/― 上越北線を宮内から着工
1919(大 8)/11/― 上越南線を高崎から着工
1920(大 9)/11/ 1 上越北線の宮内─東小千谷(小千谷)間が開通
1921(大10)/ 7/ 1 上越南線の新前橋─渋川間が開業
1921(大10)/ 8/ 5 上越北線の東小千谷─越後川口間が開通
1922(大11)/ 8/ 1 上越北線の越後川口─越後堀之内間が開通
1922(大11)/ 8/18 谷川岳を貫く清水トンネル(9,702m)の掘削を開始。山ハネや大湧水に工事を阻まれ、1929年(昭和4年)12月に貫通
1923(大12)/ 9/ 1 上越北線の越後堀之内─浦佐間が開通(関東大震災が発生したが予定通りに開業)
1923(大12)/11/18 上越北線の浦佐─塩沢間が開通
1924(大13)/ 3/31 上越南線の渋川─沼田間が開業
1925(大14)/11/ 1 上越北線の塩沢─越後湯沢間が開通
1926(大15)/11/20 上越南線の沼田─後閑間が開業
1928(昭 3)/ 2/ 1 田端─赤羽間が電化
1928(昭 3)/10/30 上越南線の後閑─水上間が開業し、残す区間は清水トンネルの区間を含む水上─越後湯沢間となる
1930(昭 5)/ 9/20 愛知電氣鐵道(名古屋鉄道)の神宮前─豐橋間に〔あさひ〕の愛称がついた“超特急”が運転を開始
1931(昭 6)/ 9/ 1 水上─越後湯沢間が開業し、上越北・南線を「上越線」と呼称し、上越線が全線開業。水上─石打間は開業と同時に電化(同区間はED16型電気機関車が牽引)され、上野─新潟・秋田間に急行列車701レ・702レが運転を開始。この急行列車は上野─新潟間を7時間30分で結ぶ。従来の郡山経由の直通よりも約5時間の短縮となった
1932(昭 7)/ 9/ 1 赤羽─大宮間が電化
1936(昭11)/ 9/ 1 鐵道省が新潟鉄道局を開設
1938(昭13)/ 7/― 愛知電氣鐵道の〔あさひ〕が運転を終了する
1942(昭17)/ 4/ 1 信越本線の貨物線である沼埀─新潟港間(1.4km)が開業し、日本と滿州の連絡のため、上野発新潟行(上越線経由)の急行列車のうち、客車の一部を新潟港まで乗り入れを開始
1942(昭17) このころ、大陸への連絡輸送として、上越線の重要度が増し、兵員や物資の輸送に当たる
1944(昭19)/10/ 1 戦時決戦体制ダイヤに入り、北海道の石炭を陸送するのに、羽越本線・信越本線・上越線を経由した運炭貨物列車が運転される
1945(昭20) 大東亜戦争(太平洋戦争:第二次世界大戦)の末期にさしかかり、急行列車などの優等列車はほとんど運転されず、戦時総動員体制の貨物輸送が展開される。また、米軍による空襲で車輌・駅舎・設備を焼かれ、鉄道員が殉職した。終戦となった8月15日も鉄路はズタズタながらも辛うじて運転を続けていた
1945(昭20)/ 9/ 1 主要駅に駐留軍鉄道輸送事務所(Railway Transportation Office:R.T.O.)が設置される
1946(昭21)/ 2/25 上野─新潟間に急行列車709レ・710レが設定される(上野─新潟間を約7時間50分)も、終戦後の石炭不足などで運休状態が続き、11月10日には廃止された
1947(昭22)/ 4/ 1 高崎操車場─高崎─水上間が電化
1947(昭22)/ 9/15 関東地方に大きな被害を及ぼしたカスリーン台風の影響で、上越線・岩本─津久田間が約3ヶ月間不通となり、徒歩で連絡
1947(昭22)/10/ 1 上越線の石打─長岡間で電化が完成し、上越線全線で電化が完成。同時に全国的に急行列車など優等列車の運転が復活し、上野─新潟・金沢間に急行列車605レ・606レが復活
1949(昭24)/ 6/ 1 公共企業体「日本国有鉄道」(JNR)が発足、初代総裁に下山定則
1949(昭24)/ 9/15 ダイヤ改正により、不定期列車ながら上野─新潟間に急行列車2701レ・2702レが設定される
1950(昭25)/10/ 1 前年に新設された不定期急行列車を定期化する形で、上野─新潟間に急行列車701レ・702レと準急1往復が設定される。この時の急行は所要6時間50分
1950(昭25)/11/ 8 上野─長岡─金沢間の急行列車605レ・606レが急行〔北陸〕と命名され、上越線関係の急行列車では初めて命名された。また、大阪─青森間の“日本海縦貫線”の急行列車507レ・508レが急行〔日本海〕と命名される。さらに、12月20日からは上野─秋田間の急行列車にも急行〔鳥海〕と命名される
1952(昭27)/ 4/ 1 高崎線の大宮─高崎操車場間で電化
1952(昭27)/10/ 1 上野─新潟間の急行列車701レ・702レが急行〔越路〕と命名される。上越線関係では、上野─金沢間(長岡経由)の急行〔北陸〕に次ぐ2番目の命名となる
1954(昭29)/10/ 1 上野─秋田間(上越線経由)に急行〔羽黒〕が、上野─金沢間(信越本線経由)に急行〔白山〕が、それぞれ新設される
1956(昭31)/11/19 年間を通して混雑していた急行〔越路〕の救済を兼ねて、急行〔佐渡〕が運転を開始。上野─長岡間はEF58型電気機関車、長岡─新潟間はC57型蒸気機関車が牽引した
1958(昭33)/ 4/14 上野─新潟間の準急列車703レ・704レが準急〔越後〕と、上野─直江津間の準急列車(長野─直江津間は普通列車)309レ・310レが準急〔妙高〕と、それぞれ命名される。また、上越線初めての電車準急(80系電車)の準急〔奥利根〕(905T・906T)が上野─水上間(10月から上りは越後湯沢始発に)で運転を開始する
1958(昭33)/ 4/29 新潟駅が現在地に移転
1959(昭34)/ 4/13 上野─長岡間に電車準急〔ゆきぐに〕が運転を開始する。所要は4時間17分。また、上野─水上間に週末に運転する不定期準急〔みくに〕が運転を開始
1959(昭34)/ 9/22 新潟─郡山─仙台間に準急〔あがの〕が運転を開始
1960(昭35)/ 3/10 上野─前橋間に電車準急〔あかぎ〕(80系電車)、上野─水上間に電車準急〔ゆのさと〕(80系電車)が運転を開始する
1960(昭35)/ 6/ 1 上野─長野間に準急〔とがくし〕が運転を開始
1960(昭35)/10/ 1 秋葉原─万代間に急行貨物列車〔こがね〕が運転を開始
1960(昭35)/11/ 1 仙台─新潟間(山形経由)に準急〔あさひ〕が運転を開始
1960(昭35)/12/27 北陸・新潟地方で豪雪。帰省ラッシュとぶつかり、各列車は足止めを食らい、乗客は駅前などの民家に分泊して運転再開を待った
1961(昭36)/ 3/ 1 ダイヤ改正があり、新潟─長野─小諸間に準急〔あさま〕が、新潟─長野間に準急〔よねやま〕が、それぞれ運転を開始
1961(昭36)/10/ 1 特急・急行列車の新設を伴う「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模なダイヤ改正を実施。新潟県内初の特急〔白鳥〕が大阪─青森・上野間に(大阪─直江津間で“日本海白鳥”と“信越白鳥”を併結運転)、急行〔きたぐに〕が新潟─金沢間に新設される。また、準急〔奥利根〕が運転区間を新宿─八王子─高崎─水上間に変更し、週末運転の準急〔草津いでゆ〕が上野─長野原間に、急行〔黒部〕が上野─金沢間(信越本線経由)に、〔奥利根〕を引き継ぐ形の準急〔苗場〕(上野─越後湯沢間)が、急行〔丸池〕が上野─長野間にそれぞれ新設される。急行〔日本海〕が新潟経由に変更
1962(昭37)/ 5/20 信越線の長岡─新潟間で電化
1962(昭37)/ 6/10 信越線・長岡─新潟間の電化によりダイヤ改正を実施。上野─新潟間で特急〔とき〕が運転を開始(1M・2M)。東海道本線の特急〔こだま〕で使用されている151系電車を勾配のきつい区間用に改良した新型電車の161系電車が担当し、上野─新潟間は所要4時間40分となった。準急〔ゆきぐに〕1往復が急行化され、急行〔弥彦〕が新設される。上野─新潟間には、特急〔とき〕1往復、急行〔弥彦〕〔佐渡〕〔越路〕の3往復と夜行の準急〔越後〕になった
1962(昭37)/ 7/15 信越線・高崎─横川間が電化
1962(昭37)/12/ 1 新潟─長野─名古屋間に急行〔赤倉〕(キハ58系気動車)が運転を開始し、これにより準急〔あさま〕は上野─長野─直江津間の準急になる
1963(昭38)/01/― サンパチ豪雪。特急〔とき〕が1月24日〜2月17日の25日間も運休するのをはじめ、新潟地方の鉄道網は完全に麻痺状態に陥り、被害額は国鉄新潟支社の約7億1,400円(当時価)。各地から除雪要員の応援を仰ぐも除雪は捗らず、自衛隊も出動、除雪要員は延べ24万人。特急〔とき〕が三条駅で3日間足止めされ、上りの急行〔越路〕は、新潟駅を1月23日16時5分(定刻)に発ち28日8時29分に上野駅にたどり着くという所要時間112時間24分、遅延106時間31分という空前絶後の雪害遅延を記録。2月7日には上野─新潟間の直通列車の運転が再開される >>>[ときの歴史]-[白魔との闘い]
1963(昭38)/ 6/ 1 上野─新潟間にオール寝台車の夜行急行〔天の川〕(701レ・702レ)が運転を開始。上越線の急行列車〔弥彦〕〔佐渡〕〔越路〕〔ゆきぐに〕〔越後〕の全列車が電車化(165系電車)され、ビュフェも営業を開始
1963(昭38)/ 6/21 信越線の軽井沢─長野間が電化
1963(昭38)/10/ 1 信越本線の横川─軽井沢間が旧式アプト式からEF63型電気機関車を連結しての粘着運転に切り替わり、それに伴うダイヤ改正があり、上野─長野間に急行〔信州〕が、新潟─直江津─新井間に準急〔くびき〕が、上野─郡山─新潟間に急行〔いいで〕が、上野─水上間に準急〔みなかみ〕が、それぞれデビューした
1963(昭38)/10/26 清水トンネルの複線区間となる「新清水トンネル」が着工される
1964(昭39)/ 5/31 4月24日に発生した特急〔第1富士〕(東京発宇野行)の踏切事故で、特急〔とき〕に使用されている161系電車の一部が借用され、特急〔とき〕側には6月30日まで、157系電車の一部が組み入れられる
1964(昭39)/ 6/16 新潟地震発生。新潟市を中心に新潟県北部で液状化現象など被害甚大。新潟駅と白山駅が使用不能に陥る。午後の下り〔とき〕から運休。22日に上野─新潟間の急行列車が運転を再開し、27日には特急〔とき〕の運転を再開 >>>[plus+]-[新潟地震の記憶]
1964(昭39)/10/ 1 東海道新幹線開業
1964(昭39)/11/15 第18回夏季オリンピック東京大会の輸送終了を待って、東海道新幹線開業により151系電車が上越線用に181系電車に改造され、その第1編成が完成
1964(昭39)/12/26 新潟地震によって被災した新潟駅が震災から完全復旧を果たす
1965(昭40)/ 3/20 特急〔とき〕を増発し、2往復化
1965(昭40)/ 8/30 信越本線の三条─東三条間の複線化が完了し、信越本線の長岡─新潟間が複線化され、群馬・新潟県境の区間を除いて複線化が完了
1965(昭40)/10/ 1 ダイヤ改正により、大阪─青森・上野間の特急〔白鳥〕が分離され、大阪─青森間のみの運転となり、新潟経由に変更される。また、旧“信越白鳥”は、上野─金沢間の特急〔はくたか〕となる。従前は奥羽線経由だった急行〔鳥海〕(上野─秋田間)が、上越線・羽越線経由に変更される
1966(昭41)/ 3/ 5 準急〔あさひ〕と〔よねやま〕が急行化される
1966(昭41)/ 8/24 信越線の長野─直江津間が電化
1966(昭41)/10/ 1 特急〔とき〕が3往復化される。また、上野─長野間に初めての電車特急〔あさま〕が運転を開始する。上野─長野間の所要は約3時間30分
1967(昭42)/10/ 1 新清水トンネルの完成により、上越線の全線複線化が完了。これにより、特急〔とき〕などの時間短縮が実現し、上野─新潟間は特急〔とき〕で4時間30分となった。また、特急〔とき〕の1往復が東京駅まで乗り入れを始める
1968(昭43)/10/ 1 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれるダイヤ大改正が実施され、特急〔とき〕が5往復に増発(不定期がうち2往復)され、最高120km/h運転となり、所要時間の最速は3時間55分。このダイヤ改正では特急〔とき〕以外に、寝台特急〔日本海〕(大阪─青森間)が新設された他、急行〔奥利根〕(上野─水上間)が〔ゆけむり〕に、急行〔日本海〕が〔きたぐに〕(大阪─新潟─青森間)に、急行〔きたぐに〕は〔越後〕(新潟─金沢間)に、それぞれ変更される
1969(昭44)/ 1/11 国鉄初となるスキー臨時特急〔新雪〕が東京─石打間でシーズンの週末を中心に運転を開始
1969(昭44)/ 5/10 車輌の1等・2等という等級制が廃止され、特別車輌として「グリーン車」が登場する
1969(昭41)/ 7/ 1 特急〔とき〕に使用されている181系電車が東京・田町電車区から新潟運転所に所属変更される
1969(昭41)/ 8/24 信越線の直江津─宮内間が電化し、信越線も全線電化
1969(昭44)/10/ 1 ダイヤ改正があり、信越本線を経由していた特急〔はくたか〕が485系電車にされ、運転区間も上越線経由に衣替え。上越線・羽越本線を経由する上野─秋田間に特急〔いなほ〕(キハ80系気動車)が新設される。この時、特急〔とき〕は定期5往復、急行〔佐渡〕は7往復体制
1970(昭45)/ 3/ 1 新潟─大阪間に特急〔北越〕が運転を開始
1970(昭45)/10/ 1 ダイヤ改正により、特急〔とき〕は6往復に増発される。また新潟─長野間の急行〔よねやま〕が165系電車で運転される
1971(昭46)/10/ 1 隅田川(貨)─沼垂間に貨物超特急フレートライナーが運転を開始(所要は7時間40分)
1971(昭46)/12/ 9 大清水だいしみずトンネル」で上越新幹線が着工される
1972(昭47)/ 3/15 山陽新幹線・新大阪─岡山間開業に伴うダイヤ改正。特急〔とき〕は、山陽方面での余剰となった181系電車を活用して、ほぼ2時間間隔運転となる7往復に増発。信越本線経由の急行〔白山〕(上野─金沢間)が専用の489系電車に車種変更され、特急化。不定期ながら急行〔よねやま〕が上野─長岡─柏崎間で運転を開始し、新潟─長野間の〔よねやま〕は、〔とがくし〕に改称
1972(昭47)/10/ 2 “日本海縦貫線”の電化完成によるダイヤ改正が実施され、特急〔とき〕は3往復増え10往復に増発。「L特急」の指定を受け、従前の全車指定席から一部自由席が設定される。また特急〔いなほ〕と〔白鳥〕が電車化(485系電車)され時間短縮が図られる。急行〔つるぎ〕が20系客車を使用して特急化される。急行〔よねやま〕が定期化されて、直江津まで延長
1973(昭48)/ 3/13 高崎線上尾駅で、利用者無視の遵法闘争に怒った乗客約10,000名が暴徒化し駅・車輌を襲撃、破壊する(上尾事件)。これらにより長距離列車が全面運休を余儀なくされ、上野─新潟間でバス代行輸送
1973(昭48)/ 3/27 ストライキにより上越線、信越線は全面運休
1973(昭48)/ 3/31 東京駅の新幹線関連工事に伴い、この日を以ってL特急〔とき〕の東京乗り入れが廃止される
1973(昭48)/10/ 1 ダイヤ改正を実施。L特急〔とき〕は13往復に増発され、運転間隔がほぼ1時間になる一方、急行〔佐渡〕は4往復に削減され、ビュフェの営業が廃止される
1973(昭48)/12/23 長岡市を中心に新潟県中越地方で豪雪。運休は12月28日にかけて233本
1974(昭49)/ 1/― 前年末からの豪雪により、L特急〔とき〕に使用される181系電車が続々と雪による車輌故障によりダウン、青森から485系電車、金沢から489系電車の応援を受けるも、2〜5往復が運休する事態になる。時の国会でも問題に
1974(昭49)/12/ 3 群馬県渋川市の榛名トンネル工事現場で落盤事故、2名が死亡
1974(昭49)/12/28 雪に弱い181系電車に変わり、雪と寒さへの装備を強化した183系1000番台電車(12輌編成)が完成し、L特急〔とき〕3往復に使用が開始される
1975(昭50)/ 3/10 山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正。上越線関連では運転本数などに目立った動きはなかったが、L特急〔とき〕が全列車12輌編成に増強される
1975(昭50)/ 4/14 上越線の第二湯檜曽トンネル入り口付近で、前々日から土砂崩れが発生し、この日、ついに上り線が不通になり、下り線を使っての単線運転になり、特急、急行など28本が全区間または一部区間で運休。また、この土砂崩れで国鉄官舎など12棟が倒壊
1975(昭50)/ 5/26 4月14日以来不通になっていた上越線の上り線が復旧
1975(昭50)/11/25 国鉄労働組合(国労)、国鉄動力車労働組合(動労)、全国鉄道施設労働組合(全施労)、全国鉄動力車労働組合(全動労)が12月3日までの9日間、公労協によるスト権奪還闘争(スト権スト)を展開し、ほぼ国鉄全線の全列車が運休
1976(昭51)/ 1/― 新潟県上越地方を中心に、「51豪雪」と呼ばれる豪雪、関山で積雪5.66mを記録。旅客1,475本を含む3,854本の列車が運休
1976(昭51)/ 2/18 群馬県渋川市の榛名トンネル工事現場で土砂崩れが発生し、2名が死亡
1976(昭51)/ 5/18 群馬県吾妻郡高山村の中山トンネル先進導坑掘削現場付近で火災発生、1名が死亡
1977(昭52)/ 1/― 前年に続き、上越地方を中心に豪雪(52豪雪)。信越本線の除雪に自衛隊800名が出動するも、旅客1,729本を含む6,394本が運休
1977(昭52)/ 3/ 8 20時30分頃、上越線・津久田─岩本間で、急行〔佐渡3号〕が線路上に落石した岩に衝突、先頭車輌が線路脇の国道17号に転落するなど4輌が脱線、死者1名、負傷者111名を出す
1977(昭52)/ 7/15 新潟県南魚沼郡塩沢町の湯沢トンネル工事現場で坑内火災が発生し、作業員36名が6時間以上も閉じこめられる
1977(昭52)/ 9/12 水上─新潟間で、2日間かけて、レール設備の若返り工事を実施し、このためL特急〔とき〕3本を含め、計画的に運休措置
1978(昭53)/ 5/18 信越線・妙高高原─関山間で白田切川付近で大規模な土石流が発生し、住民13名が死亡、信越線も流失した。3日後にバス代行を開始したが、現場の復旧に鉄橋の架け替えが必要になり、特急〔白山〕は、長野、妙高高原打ち切り、または上越線迂回運転となる
1978(昭53)/ 6/20 L特急〔とき〕の食堂車の営業がこの日限りで終了
1978(昭53)/ 7/20 群馬県北群馬郡榛東村の榛名トンネル工事現場の地上部分にあたる地表の道路と水田が直径30m、深さ10mの範囲で陥没
1978(昭53)/ 9/ 6 土石流災害で不通になっていた信越本線・妙高高原─関山間が復旧、特急〔白山〕が所定ダイヤに戻る
1978(昭53)/10/ 2 ダイヤ改正を実施。特急、急行の号数が現行の下り奇数、上り偶数に変更され、特急に絵入りのヘッドマークが掲げられ、原則として自由席が設定される。L特急〔とき〕は14往復に増発される(183系1000番台電車が11往復、181系電車が3往復)。大阪─新潟間の特急〔北越〕は〔雷鳥〕に名称変更され、新潟─金沢間の列車のみ〔北越〕の名称が残る
1979(昭54)/ 1/25 「大清水トンネル」が貫通。長さ22.221kmと当時世界最長
1979(昭54)/ 3/10 国鉄内に上越新幹線開業準備室を開設
1979(昭54)/ 3/20 大清水トンネル内の工事現場で火災が発生し、16名が死亡
1980(昭55)/11/ 5 長岡─新潟車両基地間で200系電車の試運転を開始
1981(昭56)/ 1/― 新潟県の上越・中越地方を中心に豪雪。運休が6,898本、国鉄新潟鉄道管理局の除雪費用は約18億円
1981(昭56)/ 8/ 1 上越新幹線に係わる新しい現業機関を設置
1981(昭56)/10/ 1 L特急〔とき〕に全国の特急で初めて「禁煙車」(12号車)を導入
1981(昭56)/10/15 上越新幹線で一般試乗を開始
1981(昭56)/10/29 上越・東北新幹線の列車名選考委員会で上越新幹線の列車名は〔あさひ〕と〔とき〕に決定される
1982(昭57)/ 2/13 上越・東北新幹線の仮称だった5駅名が正式決定され、上越新幹線では上毛高原、燕三条に決定
1982(昭57)/ 4/20 埼玉県伊奈町で上越新幹線のレール締結式
1982(昭57)/ 5/ 1 新潟─仙台間を山形経由で結んでいた急行〔あさひ〕が、上越新幹線開業を前に〔べにばな〕に改称
1982(昭57)/ 6/23 夏の輸送需要にも対応するため、東北新幹線の大宮─盛岡間が開業し、上野─大宮間は〔新幹線リレー号〕が接続
1982(昭57)/ 7/23 大宮─新潟間で直通試運転を開始
1982(昭57)/ 9/ 6 L特急〔とき〕に使用されていた181系電車が検査期限切れで運転できず、上越新幹線開業を待たずに1往復が運休扱いにされ、13往復に減少
1982(昭57)/11/14 翌日に上越新幹線開業を控え、上野、新潟両駅で、それぞれの最終となるL特急〔とき27号〕と〔とき28号〕の出発に際して、“さよならとき出発式”が挙行され、新幹線に名称を召し上げられる形で、L特急〔とき〕は20年の歴史に幕を下ろす。長年、L特急〔とき〕に使用された181系電車もこの日で引退。〔とき〕の他にも、特急〔はくたか〕(上野─長岡─金沢間)、急行〔いいで〕(上野─郡山─新潟間)、急行〔しらゆき〕(新潟─金沢間)が廃止される >>>[ときの歴史]-[さようなら、特急〔とき〕]
1982(昭57)/11/15 上越新幹線開業。これに伴うダイヤ改正を実施。上越新幹線は大宮─新潟間に〔あさひ〕11往復、〔とき〕10往復が200系新幹線電車で運転され、上野─大宮間は専用の〔新幹線リレー号〕(185系200番台電車)が接続する。これにあわせて、上毛高原駅、燕三条駅も開業。特急〔いなほ〕は新潟発着の新幹線接続特急に、特急〔北越〕も長岡で新幹線に接続。L特急〔とき〕に使用されていた183系1000番台電車は、中央本線の〔あずさ〕や房総半島への特急に活路を見い出され、新潟から離れ所属先を変更される。新幹線が大宮までの暫定的な開業のため、急行〔佐渡〕は2往復が残されたが夜行の1往復は廃止、上越線・羽越本線を経由する上野─青森間に特急〔鳥海〕が設定される >>>[上越新幹線]
1983(昭58)/ 3/20 越後湯沢駅で〔あさひ153号〕が車輌火災事故、大事には至らず
1983(昭58)/ 6/26 サンケイ新聞主催のイベント列車〔夢トンネル号〕が大宮─新潟間を初のノンストップ運転、所要1時間30分
1983(昭58)/ 6/23 通信衛星を利用した上越・東北新幹線の「地震早期警戒システム」が運用を開始
1983(昭58)/ 7/ 1 上越新幹線開業を記念して、「新潟博覧会」を開催(8月31日まで)
1983(昭58)/ 8/31 東亜国内航空(TDA、現日本エアシステム〈日本航空システムグループ〉)の東京・羽田─新潟線が、新幹線開業による利用者激減で、さよならフライト
1983(昭58)/ 9/20 燕三条駅で〔とき313号〕が送風機の故障から、発煙事故
1984(昭59)/ 1/― 新潟県上越地方を中心に豪雪(59豪雪)。直江津駅構内では近年なかった雪捨て列車を運転。運休は2,836本
1984(昭59)/ 8/ 1 小学生以上の団体を対象に、上越新幹線の新幹線新潟第一運転所に見学コースを作り、一般公開を開始
1984(昭59)/11/11 上越新幹線開業2周年記念に、新潟─越後湯沢間に「ときちゃん号」「お買い物ツアー号」を運転
1984(昭59)/11/15 国鉄高崎鉄道管理局が大清水トンネルの湧き水をミネラルウォーター「大清水おおしみず 源水」として販売開始
1985(昭60)/ 3/13 上越・東北新幹線の上野─大宮間開業を翌日に控え、急行〔佐渡〕がこの日限りで引退、29年の歴史に幕を下ろす。急行〔天の川〕も廃止されることになり、東京と新潟を結ぶ夜行列車は全廃される
1985(昭60)/ 3/14 上越・東北新幹線上野開業。これに伴うダイヤ改正。上越新幹線は、上野─新潟間に〔あさひ〕17往復、〔とき〕17往復に増発され、初めて〔とき〕に区間運転の列車が設定される。上野─新潟間は最短1時間53分。急行〔佐渡〕、〔天の川〕が廃止されたほか、急行〔よねやま〕、〔赤倉〕なども廃止される。また、〔新幹線リレー号〕に使用されていた185系200番台電車を利用して特急〔新特急谷川〕、〔新特急草津〕、〔新特急あかぎ〕が新設される
1986(昭61)/ 6/30 季節臨時列車として快速〔ムーンライト〕(14系客車)が運転を開始する
1986(昭61)/11/ 1 国鉄最後のダイヤ改正を実施。翌年の分割民営化を視野に入れた地域密着型のダイヤ改正となる。上越新幹線では〔あさひ〕に変化はなかったが、〔とき〕は1.5往復減の15.5往復に減少
1987(昭62)/ 3/31 日本国有鉄道最後の日。115年の歴史に幕
1987(昭62)/ 4/ 1 国鉄の分割民営化により、上越新幹線は、正式には新幹線保有機構が保有し、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)にリースする形になるが、事実上、JR東日本の営業下におかれる
1987(昭62)/ 4/18 利用客の〔あさひ〕シフトにより、東北新幹線増発用の車輌を捻出するために〔とき〕の2輌減車が始まり、〔とき〕は10輌編成に
1987(昭62)/ 8/ 2 長岡まつりの花火見物のため、〔あさひ357号〕を長岡駅の手前2kmに約10分間臨時停車。1989年まで実施
1987(昭62)/ 9/ 3 快速〔ムーンライト〕が定期化され、165系電車で運転される。車内はグリーン車並みにリクライニングできる座席を有し、高速バスに対抗
1987(昭62)/11/ 7 再び〔とき〕の2輌減車が始まり、〔とき〕用の編成は8輌編成に
1988(昭63)/ 3/13 JRグループ初のダイヤ改正を実施。青函トンネル開業により青函連絡船が廃止される。上野─札幌間に豪華寝台特急〔北斗星〕がデビュー。上越新幹線では、最高240km/h運転が始まり、途中長岡のみに停車する「スーパーあさひ」も運転を開始し、上野─新潟間を最速1時間39分。「スーパーあさひ」に長岡で接続する特急〔かがやき〕が長岡─金沢間で運転を開始し、東海道新幹線(米原)回りに対抗する「スーパーあさひ」+〔かがやき〕が金沢接続の開拓に努める
1988(昭63)10/24 パリ発東京行の「オリエント急行」が運転され、その後、日本を周遊運転。上野─大宮間では復元された蒸気機関車「D51 498」が牽引
1989(平元)/ 3/ 2 JR東日本新潟支社が初めての子会社「トッキー」を設立
1989(平元)/ 3/11 ダイヤ改正があり、新宿─新潟間の快速〔ムーンライト〕は村上まで延長
1989(平元)/ 6/22 隅田川(貨)─沼垂間にピギーバック(トラックをそのまま貨車に乗せる)専用列車〔中越〕が運転を開始
1989(平元)/ 7/21 上野─札幌間の寝台特急〔北斗星〕と並ぶ豪華な寝台特急〔トワイライトエクスプレス〕が大阪─札幌間で運転を開始
1989(平元)/ 9/ 7 275km/h営業運転を目指して、上越新幹線・高崎─長岡間で275km/h走行の試験
1990(平 2)/ 3/10 ダイヤ改正があり、上越新幹線では、下りの長岡のみに停車する「スーパーあさひ」が最高275km/h運転を開始。上野─新潟間は最短1時間36分
1990(平 2)/ 8/ 2 長岡まつり花火見物客輸送のため、長岡─新潟間に〔とき499号〕を臨時運転。この年以降定例化
1990(平 2)/12/20 上越新幹線の保守引込線を活用した越後湯沢─ガーラ湯沢間が開業。通年の営業ではなく、冬季シーズンのみの営業で、同時にJR東日本グループの「GALA湯沢スキー場」がオープンし、ガーラ湯沢駅はGALA湯沢スキー場のスキーセンター・カワバンカに併設され、新幹線を降りたらそこはスキー場をPRした
1991(平 3)/ 2/11 上越新幹線の1日輸送人員が85,261人で史上最多記録
1991(平 3)/ 3/16 御徒町トンネル事故などの影響で、上越・東北新幹線の東京開業は約3ヶ月ずれ込むも、ダイヤ改正で東京開業を前提としたダイヤになる
1991(平 3)/ 6/20 上越・東北新幹線東京開業。〔あさひ〕〔とき〕の9割以上が東京発着になり、「スーパーあさひ」は上野を通過。ただし、臨時列車は東京駅のホーム許容量の関係で、上野発着となる
1991(平 3)/ 9/19 山形新幹線用の400系新幹線電車が上越新幹線で走行試験を行い、345km/hを記録
1991(平 3)/10/ 1 新幹線保有機構が保有していた新幹線の設備をJR3社(東日本・東海・西日本)が買い取る。株式上場を目指しての措置
1992(平 4)/ 5/18 JR東日本が「その先の日本へ。」キャンペーンスタート
1992(平 4)/ 7/ 1 初めてのミニ新幹線(新幹線・在来線直通特急)の「山形新幹線」が開業
1992(平 4)/11/ 1 高速試験用電車「STAR21」が上越新幹線・燕三条─新潟間で、当時国内最速の358km/hを記録
1993(平 5)/ 3/18 ダイヤ改正があり、上野─長野間の急行〔妙高〕が廃止される
1993(平 5)/12/21 「STAR21」が上越新幹線で高速走行試験を行い、燕三条通過直後に当時国内最速(世界でも2番目に速い)425km/hを樹立
1994(平 6)/ 6/ 1 JR東日本が車輌の自社製作を目指し、新潟県新津市に「新津車両製作所」を開設する。10月3日に操業を開始
1994(平 6)/ 7/15 上越新幹線に全車輌2階建てのE1系新幹線電車「Max」が登場する。E1系新幹線電車「Max」を使用する列車は〔Maxあさひ〕〔Maxとき〕と命名される
1994(平 6)/12/ 3 大阪─新潟間の寝台特急〔つるぎ〕が廃止される
1995(平 7)/ 5/ 8 新潟地区で新型電車E127系電車が運転を開始
1995(平 7)/10/22 北陸新幹線との分岐工事のため、始発から11時前後まで高崎─越後湯沢間が運休。上越線に振替輸送し、長野や青森などから応援に駆けつけた電車で〔新幹線リレー号〕(全車自由席)を運転。10月25日、29日にも実施
1995(平 7)/11/10 新しい新幹線の運行管理システム「COSMOS」が運用を開始
1995(平 7)/12/ 1 JR東日本のダイヤ改正で、上越新幹線では〔とき〕の高崎・越後湯沢─新潟間の区間廃止があり、東北新幹線・東京─那須塩原間の“近距離新幹線”に〔なすの〕が登場する
1996(平 8)/ 3/16 東海道線に快速〔ムーンライトながら〕が登場し、新宿─村上間の快速〔ムーンライト〕は〔ムーンライトえちご〕に改称
1997(平 9)/ 3/22 北越急行「ほくほく線」開業と、山形新幹線に次ぐ第2のミニ新幹線「秋田新幹線」の開業に伴うJRグループのダイヤ改正。越後湯沢─金沢・福井・和倉温泉間に特急〔はくたか〕がデビューし、長岡のみ停車だった「スーパーあさひ」は1往復が越後湯沢にも停車。〔はくたか〕の誕生により、長岡と北陸方面を結ぶ〔かがやき〕は廃止。高田─新潟間に特急〔みのり〕が新設される
1997(平 9)/ 9/30 翌日に北陸新幹線の区間開業を控え、L特急〔あさま〕、急行〔赤倉〕はこの日限りで引退。また、JR東日本管内の新幹線列車名再編により、〔とき〕がこの日限りで在来線20年、新幹線15年の歴史にピリオド。同様に、東北新幹線〔あおば〕もこの日限りで引退
1997(平 9)/10/ 1 北陸新幹線の高崎─長野間が開業(東京─長野間を「長野行新幹線」)によるダイヤ改正。上越新幹線では東京─新潟間の列車は〔あさひ〕、東京─高崎・越後湯沢間の列車は〔たにがわ〕と命名され、越後湯沢─新潟間は〔あさひ〕のみの運転となる。大宮のみに停車する「スーパーあさひ」も設定される。長野行新幹線〔あさま〕は、新型車輌のE2系新幹線電車で運転され、車内では横川駅の「峠の釜めし」も販売
1997(平 9)/11/15 上越新幹線開業15周年とJR東日本創立10周年を記念して、新潟発上野行のみの臨時特急〔懐かしのとき号〕が183系1000番台電車を使用して運転される。上越線に〔とき〕が復活したのは15年ぶり
1997(平 9)/12/20 上野─新潟間に急行〔懐かしの佐渡号〕が165系電車を使用して運転され、この〔懐かしの佐渡号〕の運転を最後に新潟に所属していた165系電車の第1編成が引退
1997(平 9)/12/20 E1系新幹線電車「Max」の後継となるE4系新幹線電車「Max」が運転を開始するが、2000年12月までは東北新幹線でのみの運転となる
1998(平10)/11/― 東京発の早朝の〔あさひ301号〕〔あさひ303号〕の指定席確保を条件に、往復がほぼ半額になる「あさひ朝トクきっぷ」の発売を開始。デフレ経済を反映してか大好評を博する
1998(平10)/12/ 8 JR東日本のダイヤ改正が実施され、東北・長野新幹線で使用されているE2系新幹線電車が〔あさひ〕にも導入される
1999(平11)/01/― 開業以来使用されてきた200系新幹線電車にリニューアル編成(10輌編成)が登場。廃車予定以外の200系新幹線電車が順次リニューアルされる
1999(平11)/ 4/29 磐越西線・新津─会津若松間に蒸気機関車「C57 180」が牽引する〔SLばんえつ物語号〕が運転を開始。上越新幹線からの接続を考慮し新潟─新津間には〔SLリレー号〕も運転
1999(平11)/12/ 4 山形新幹線が新庄まで延伸開業に伴うダイヤ改正。最速型の〔あさひ〕から275km/h運転できる編成が撤退し、上越新幹線での最高275km/h運転は終了
2000(平12)/ 7/15 9時30分過ぎ、高崎─熊谷間を走行していた〔あさひ402号〕が停電により緊急停車。1時間後に停電は復旧したが、〔あさひ402号〕はカラスがパンタグラフにぶつかったため破損し、走行不能。上越・長野新幹線が全線で17時過ぎまで運転を見合わせ、51,000名に影響。上越新幹線開業以来最大のトラブル
2000(平12)/ 9/ 1 1998年11月の発売以来好評だった「あさひ朝トクきっぷ」の発売を終了し、発売期間を限定(7日前まで)した「あさひたび割7きっぷ」に衣替え
2000(平12)/12/ 2 東北新幹線のみで運転されていたE4系新幹線電車「Max」が上越新幹線でも運転を開始
2001(平13)/10/13 上越線の全通70周年を記念して、13日に上野発新潟行、14日に新潟発上野行の特急〔とき号〕が183系1000番台電車を使用して運転される
2002(平14)/ 6/15 2002 FIFA ワールドカップ韓国・日本TMの開催により、新潟スタジアムビッグスワンで行われた決勝トーナメント・デンマーク‐イングランド戦の試合終了にあわせて、上越新幹線では初めての深夜特別運転を実施。新潟16日2時00分発まで16本の東京行〔あさひ〕〔Maxあさひ〕を運転。首都圏でも初電の繰上げを実施。上越新幹線以外でも、急行〔ビッグスワン上野〕、〔ビッグスワン新宿〕、〔ビッグスワン大阪〕を運転し、新潟発成田空港行の特急〔ウイングエクスプレス1号〕も新潟─大宮間で延長運転
2002(平14)/ 7/31 12月の東北新幹線八戸開業に伴うダイヤ改正で、上越新幹線〔あさひ〕が〔とき〕に変更されることが報道される
2002(平14)/ 9/20 JR東日本が上越新幹線〔あさひ〕が〔とき〕に変更されることを正式に発表
2002(平14)/10/17 北朝鮮に拉致されていた新潟県の3人が、〔Maxあさひ313号〕に乗車し、24年ぶりに帰郷
2002(平14)/11/16 上越新幹線の開業20周年を記念して、上野発大宮行の〔ときリレー号〕、大宮発新潟行の〔復活とき号〕(200系新幹線電車12輌編成)が、翌17日には新潟発大宮行の〔復活とき号〕、大宮発上野行の〔ときリレー号〕が、それぞれ運転される
2002(平14)/11/30 東北新幹線の八戸開業を翌日に控え、上越新幹線〔あさひ〕は、〔とき〕への名称変更により20年の歴史に幕を下ろす
2002(平14)/12/ 1 東北新幹線八戸開業によるダイヤ改正を実施。上越新幹線は、東京─新潟間が〔とき〕となり、〔とき〕が5年ぶりに鉄路に復活。快速〔ムーンライトえちご〕は村上行が新潟までに変更された
2002(平14)/12/14 上越新幹線に〔とき〕が復活したことを記念して、14日に上野発新潟行、15日に新潟発上野行の特急〔想い出のとき〕が183系1000番台電車を使用して運転される
2003(平15)/ 2/ 1 埼玉県本庄市が市内の上越新幹線新駅の駅名の公募を開始(締切は28日)、「新」「東」「西」「南」「北」の文字と数字は使わないことを条件とした
2003(平15)/ 3/19 4月6日までのうちの9日間で、上越新幹線で営業車輌(改造)を用いて高速走行試験を行い、国内最速の360km/hを記録
2003(平15)/ 3/31 快速〔ムーンライトえちご〕に使用されていた165系電車が事実上引退し、31日村上発の列車から485系電車に変更。新宿発は4月1日から変更
2003(平15)/ 5/ 7 熊谷─高崎間の本庄市内の上越新幹線新駅が「本庄早稲田」駅と正式に決定される
2003(平15)/ 6/11 天皇・皇后両陛下が上越新幹線で新潟県を即位後初めて行幸啓、13日には長岡から上越新幹線で帰京。昭和天皇が東海道新幹線に乗車された時は0系電車の御召列車が運転されたが、今回は、グリーン車に乗車された
2003(平15)/ 7/ 1 本庄早稲田駅建設工事により、ダイヤ修正
2003(平15)/ 7/20 東京ディズニーランド開園20周年を記念して、上越・東北新幹線の〔とき〕〔たにがわ〕〔やまびこ〕〔なすの〕で東京ディズニーランドのキャラクターをデザインしたラッピング車「ドリームキャンペーン号」を2004年4月11日まで運転。ラッピングは、編成ごとにミッキーマウスと他のキャラクターを組み合せたもの
2003(平15)/ 7/28 16時20分頃、燕三条駅に到着した〔Maxとき321号〕の3号車の床下部分から煙が出ているのを車掌が発見、煙は車輌内にも入り、乗客1名が喉の痛みを訴え、病院へ。この影響で長岡─新潟間で約1時間運転を見合わせ、上下5本に最大48分の遅れが出て、〔Maxとき321号〕の乗客約500名は後続の新幹線と代替バスで新潟まで振替輸送。放火の疑いも
2003(平15)/11/11 JR東日本が本庄早稲田駅の開業日を、2004年3月13日と発表
2004(平16)/ 2/ 6 23時50分頃、燕三条─新潟間の新潟県味方村内(新潟駅から約13km)を走行していた〔とき341号〕(新潟行の最終列車)が、停電事故により運転を見合わせた。停電は下り線のみで、吹雪による強風で架線の一部が切れて他の線に接触し、ショートを起こしたためとみられる。予備電源で照明は点いていたが、暖房が切れた車内で約200名(定員約740席)が缶詰め状態となった。停電していない上り線を使って救援列車が7日1時30分頃現場に到着し、渡り板を介して乗客が移乗、2時40分頃に新潟駅に到着。目的地の最寄りまでバスを運行させた
2004(平16)/ 3/13 上越新幹線で初めての新駅となる「本庄早稲田」駅が埼玉県本庄市内に開業し、開業に伴うダイヤ改正が実施され、1998年から上越新幹線でも運転されていたE2系新幹線電車が撤退。また、上越新幹線では初めて〔Maxとき〕と〔Maxたにがわ〕の併結運転(臨時列車)を始める。さらに、運賃・料金計算ルールが一部改訂された(東京近郊区間内相互間の特例一部廃止)
2004(平16)/ 3/20 上野発石打行、石打発上野行の特急〔新雪〕が183系・189系電車を使用して運転される。今回の復活運転は一般臨時列車ではなく、団体列車扱い
2004(平16)/ 7/13 7・13水害(三条・南蒲原大水害)により、長岡─新潟間で在来線の振替輸送を実施
2004(平16)/10/23 新潟中越大震災(新潟県中越地震)発生。17:56頃(M6.8)、18:12頃(M5.9)、18:34頃(M6.3)に、川口町で震度7、小千谷市、または十日町市で震度6強を観測する地震が発生。最初の地震で、浦佐─長岡間を210km/h程度で走行していた東京発新潟行〔とき325号〕(200系電車10輌編成)の8輌が脱線した。〔Maxとき327号〕〔Maxとき332号〕〔とき361号〕〔とき405号〕〔Maxとき330号〕などが緊急停車した。新幹線の乗客に死者、けが人はなかった。8輌が脱線した〔とき325号〕の乗客は徒歩で長岡駅まで移動した。営業走行中の新幹線列車が地震で脱線したのは、1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業以来初めて。23日は最初の地震発生後、大宮─新潟間で最終列車まで運転中止。在来線は、最初の地震発生直後から新潟県内の全線で運転を見合わせ、上越線、信越本線、飯山線、越後線、ほくほく線が終電まで復旧せず >>>[上越新幹線]-[新潟中越大震災]
2004(平16)/10/24 新潟中越大震災発生で、〔とき〕〔Maxとき〕は終日運転を中止、〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕が東京─高崎間で折り返し運転、東京8時10分発の〔たにがわ433号〕から東京─越後湯沢間で運転を再開
2004(平16)/10/30 新潟中越大震災で不通となっていた上越新幹線・越後湯沢─新潟間のうち、燕三条─新潟間で〔とき〕の運転を再開した。また、関越道を経由して越後湯沢─長岡・燕三条間で列車代行バスを運行
2004(平16)/11/ 4 上越新幹線の不通区間が越後湯沢─長岡間に短縮され、〔とき〕が臨時ダイヤで長岡─新潟間で運転を再開し、列車代行バスも越後湯沢─長岡間に短縮された
2004(平16)/11/19 JR東日本は、震災により運転を中止している上越新幹線・越後湯沢─長岡間の復旧目標を12月28日見込みと発表。また10/24以降全車自由席で運転されていた〔たにがわ〕〔Maxたにがわ〕の指定席発売(11月26日分以降)を再開
2004(平16)/11/27 新潟近郊区間の設定により、長岡─新潟─新発田間などの乗車経路の特例を廃止
2004(平16)/12/ 7 JR東日本は、震災により運転を中止している上越新幹線・越後湯沢─長岡間の復旧予定を12月28日と正式発表
2004(平16)/12/24 JR東日本は、上越新幹線が全線で運転を再開する12月28日から2005年3月31日まで、観光復興キャンペーン「がんばっています!!にいがた」を全社挙げて取り組み、「にいがた応援フリーきっぷ」「がんばっています新潟・東京フリーきっぷ」の発売を発表
2004(平16)/12/27 在来線で最後まで不通が続いていた上越線・小出─宮内間、飯山線・十日町─越後川口間が運転を再開。上越線は越後川口─越後滝谷間で上り線を使用した単線運転となり、運転本数は震災以前の半分程度しか復旧できず
2004(平16)/12/28 新潟中越大震災により越後湯沢─長岡間で運転を中止していた上越新幹線は、始発から全線で運転再開。新潟県内の各駅で全線での運転再開を祝うイベントが開催された。また、E1系電車「Max」には「がんばっています!!にいがた」キャンペーンロゴを貼付(2005年3月31日まで)。越後湯沢─燕三条間で速度を制限したため、15分程度所要時間がかかる暫定ダイヤ(第1次)で運転が再開されたが、18時30分頃に震度5弱を魚沼市で観測する余震が発生したため、20時27分まで運転を見合わせた
2005(平17)/ 1/ 4 新潟中越大震災により日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)が臨時運航していた東京・羽田─新潟便が運航終了。地震発生翌日の2004年10月24日から臨時運航を開始し、2社合計で総便数は1,119便、利用者は約21万3,000人、平均搭乗率は70%
2005(平17)/ 1/ 6 JR東日本新潟支社は、2004年12月28日〜1月5日の利用状況を公表、上越新幹線と在来線を合わせた利用総数は、41万1,000人と新潟中越大震災の影響を大きく受け、前年同期比20%割減
2005(平17)/ 1/22 上越新幹線は2004年12月28日の全線運転再開後、越後湯沢─燕三条間で最高110km/hの速度制限・区間を、燕三条─浦佐間に短縮の上、最高160km/hに制限を引き上げる第2次の暫定ダイヤ修正を実施(2月28日まで)。これにより、大震災前の平常ダイヤとの差は東京─新潟間で約5分に短縮
2005(平17)/ 1/28 JR東日本新潟支社は、支社管内の2004年度鉄道事業収入が12月末までで、前年同期に比べて約50億円の減収になることを明らかにした。中越大震災の影響を大きく受け、10月は約13億円(前年度比)、11月は約28億円(同)、12月は約16億円(同)、それぞれ減少
2005(平17)/ 2/ 4 23時40分頃、〔とき341号〕(東京発新潟行)が燕三条駅手前で、屋根上の配線設備に雪が積もって衝撃音やスパークが続き、燕三条到着後に全車輌内が停電。当時約150人が乗車していたが、けが人などはなかった。5日1:00すぎに運転再開。雪による新幹線の遅れは極めて稀
2005(平17)/ 3/ 1 上越新幹線は2次にわたる減速暫定ダイヤ修正後、JRグループのダイヤ改正に合わせ、大震災前のダイヤに戻すダイヤ改正を実施。長岡─浦佐間の一部で速度制限を続けるため、一部では2分程度の遅れが残る
2005(平17)/ 3/25 上越線の複線運転再開により、新潟中越大震災発生以降運休していた快速〔ムーンライトえちご〕が運転を再開
2005(平17)/12/22 新潟市を中心とした大規模停電が発生し、新潟県内の在来線は8:00過ぎから全線で運転を見合わせ、上越新幹線も11:30頃から長岡─新潟間で送電が停止した。東京─越後湯沢間で折り返していたが16:11に運転を再開
2006(平18)/ 1/ 1 14時19分頃に越後湯沢─新潟間で停電が発生。〔とき323号〕が魚沼市内の線路上で停車し、乗客約550名が暖房の止まった車内に閉じこめられた。JR東日本は、長岡駅で止まっていた〔とき328号〕を〔とき323号〕の停車現場に向かわせ横付けし、渡り板を渡して16時頃までに〔とき323号〕の乗客を移し、越後湯沢駅まで送る。停電は豪雪が原因
2006(平18)/ 1/ 7 5時頃、越後湯沢─ガーラ湯沢間で除雪作業車のアームが収納できなくなり、送電停止。初発から越後湯沢─ガーラ湯沢間を含む上越新幹線全線で不通、8時39分には本線部分は運転を再開し、越後湯沢─ガーラ湯沢間は終日運転不通
2007(平19)/ 3/18 一部列車でダイヤを変更するダイヤ改正を実施、上越新幹線では一部列車のダイヤを変更するにとどまる。なお、この日から全車輌が禁煙となる
2007(平19)/ 3/25 9時41分頃に能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震(能登半島地震)が発生し、上越新幹線は全線で運転を見合わせ、10時25分頃に東京─越後湯沢間で、12時25分頃に全線で運転を再開。この日、燕三条駅で「さよなら新幹線200系12両(F19編成)」車両展示イベントが開かれた
2007(平19)/ 5/ 6 鉄道博物館での展示が決定している181系電車のさよなら展示会が、新潟車両センター(旧上沼垂電車区)で開かれ、485系電車、583系電車(急行〔きたぐに〕)、クモヤ143、115系電車(訓練車)も同時に展示された
2007(平19)/ 5/13 新潟車両センター(旧上沼垂電車区)に保存されていた181系電車「クハ181-45」が搬出され、鉄道博物館に向かった
2007(平19)/ 6/14 4時頃、浦佐駅構内で保線作業車が脱線。始発から越後湯沢─新潟間の下り線が不通となり、〔Maxとき481号〕、〔Maxとき301号〕、〔Maxとき304号〕が運休。8時頃に運転を再開し他に3本に遅れが生じた
2007(平19)/ 7/16 10時13分頃、新潟県中越沖を震源とするマグニチュード6.8の地震(新潟県中越沖地震)が発生し、上越新幹線は東北新幹線・長野新幹線などとともに全線で運転を見合わせた。12時過ぎに東京─越後湯沢間で運転を再開。越後湯沢─新潟間は19時を運転再開予定とされていたが、魚沼トンネル内でコンクリート片が発見されたことで運転再開が遅れ、21時31分に運転を再開、〔Maxとき491号〕〔とき490号〕など上下2本ずつのみが東京─新潟間で運転された。在来線でも信越本線、上越線、越後線などで運転を見合わせ、快速〔ムーンライトえちご〕などの長距離列車が運休した
2007(平19)/ 7/17 15時30分頃、長岡─燕三条間の新潟県見附市で、架線を支える棒状金具の根元が壊れて外れているのを巡回中の作業員が見つけ、越後湯沢─新潟間で運転を見合わせた。17時10分頃に運転を再開したが、上下2本が運休するなどの影響が出た
2007(平19)/ 7/20 13時55分頃、上野─大宮間の埼京線・北与野駅付近(さいたま市中央区)で〔Maxとき325号〕が線路内に立ち入った人をはね、運転を見合わせた。15時45分に運転を再開
2007(平19)/11/10 上越新幹線の開業25周年を記念し、200系電車を白地に緑色の開業当時の車体色に塗り替えた編成を用いて、新潟発上野行の団体列車「25周年あさひ190号」と、大宮発新潟行の〔上越新幹線大宮開業25周年記念号・とき25号〕がそれぞれ運転された。また、新潟市東区の新潟新幹線車両センターでは5年ぶりに「新幹線ご利用感謝祭」が催され、一般に公開された
2007(平19)/11/15 上越新幹線が開業25周年の記念日を迎え、新潟駅では〔とき318号〕(9時38分発)の出発に際し、記念式典が開かれた
2008(平20)/ 3/15 上越新幹線で東北新幹線などとともに、「モバイルSuica」によるチケットレスサービスを開始。同日にSuicaの利用可能エリアが新潟地区で広がった
2008(平20)/ 7/ 1 東京新幹線車両センター(東京都北区)で前夜から滞泊していた200系電車の2号車に落書きが発見され、〔たにがわ401号〕が運休した
2008(平20)/ 9/29 8時5分頃、上野─大宮間を走行中の各列車の運転台に表示される信号が停止信号を表示したまま切り替わらなくなり、上越・東北・長野・山形・秋田の各新幹線が不通となった。約4時間後に運転を再開したが最大で約4時間50分の遅れが出るなどダイヤが終日にわたって乱れた。東京新幹線総合車両センター内に設置されている信号制御用機器に異常が発生したのが原因
2008(平20)/12/ 5 19時20分頃、本庄早稲田─熊谷間を走行していたE926形試験車「East i」が停電故障し動けなくなり、上越・長野新幹線が不通となった。上り線は2時間40分後に運転を再開したが、上越新幹線だけで7本が運休、最大で約3時間の遅れが出た。East iの最後部パンタグラフの不具合が原因
2008(平20)/12/29 初発から、上越新幹線を含め東北・山形・秋田・長野の各新幹線が運転できなくなった。前日に大雪・強風などで山形・秋田新幹線のダイヤが大幅に乱れ、新幹線の運行を全面的に変更したため、運行管理システムに障害が発生したことが原因だった。9時過ぎに運転を開始したが、上越新幹線だけで27本が運休、46本に最大で約4時間の遅れが出て、約4万5,000人が影響を受けた(全体では112本が運休、約13万人あまり)。
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